探究活動に取り組んでいる生徒に、先生方が「その根拠で言い切れるのか?」「ほかの可能性は考えられないか?」などと問い掛けることがあるはず。こうした「突っ込み」を受けることで、生徒は自分の考えを客観的に捉え直して、見落としていた問題点にも気づくことができます。
しかし、問い返されることの効用はそれだけにとどまりません。先生方がどこに着目し、どのような問いを投げかけたかを学ぶことで、物事を批判的・論理的に捉える力、問題点を見つけて改善の方向を探る力も、同時に育まれていくのではないでしょうか。
他者からの突っ込みを、自分自身の考えを深める力に作り直させるために、どのような指導や工夫ができるかを考えてみたいと思います。

本稿の内容をChatGPTでイラストにしました。クリックで拡大します。
❏ 問われることで気づく、見落としや思考の偏り・浅さ
探究活動に限らず、生徒は様々な学習の場で「自分なり」に考えています。問いに答えを求められれば、手持ちの知識で考える傍らで、教材を読んだり、情報を探して検索したりAIに相談したりしているはず。
しかし、そこで導き出した「答え」は、自分の発想(既に備えていた/その場で考えて思いついた)を「探索と思考の範囲」とするものです。
有用な情報ソースの所在に気づかなければ、足りない情報の範囲でものを考えることになりますし、持たなかった疑問や違和感の先には、解き明かすべきものが、触れられることなく横たわったままのはずです。
こうした「発想の欠落」に気づかせ、補うきっかけを作るのは、周囲との対話です。教科学習の中では、同じ課題に取り組む他の生徒の意見や考えに触れること(答案のシェア)がそうした機会になりますが、各自がそれぞれのテーマに取り組む探究活動では事情が違います。
ご指導に当たる先生方からの「突っ込み」(生徒が考えたことに対する疑問の提示)がないと、見落としは気づかれもせずに放置されます。
最終的には、自分の考えを論理的・批判的に評価し、修正できるようになること(知の自立)を目指しますが、それは段階を踏んでのこと。初期には、学びを見守る指導者からの「気づきへの支援」が不可欠です。
❏ 見落としや思考の欠落に気づかせるための問い掛け
生徒の思考や情報の検索に不足があって、見落としていることや間違った論理の積み上げなどがあったとき、それらを直接的に言葉で指摘するのは、必ずしも上手な方法とは言えません。
ダイレクトに批判されれば、生徒の側も面白くないでしょうが、問題はそうした「感情」に関わる部分だけではありません。先生が気づいた問題を、先回りして伝えてしまっては、生徒が自分の思考や取り組みを点検する練習にならず、そうした力の獲得にブレーキをかけます。
先回りをしないように気を付けながら、気づきに至らせる(=問題に意識の焦点を向けさせる)「問い」を投げ掛ける必要があります。この目的に適した問い(以下は例の一部)は場面ごとに様々。工夫を重ね、周囲の先生方とも共有しながら、「問いの手札」を揃えていきましょう。
- その結論を出すには、他にどんな情報が必要だろうか(根拠の不足)
- 別の立場の人にも話を聞いたら、同じことが言えるか(情報の偏り)
- 調査の範囲を広げても、その結果は当てはまるか(過度な一般化)
- 相関はあるけど、一方がもう一方の原因だと言えるか(因果の飛躍)
- 同じ結果を、別の理由では説明できないのか(別解釈の見落とし)
- その解決法は、別のところに問題を作らないか(検討範囲の不足)
学習の改善を図らせる、学習者としての自立を促すためには、助言や指示は、生徒自身がじっくり振り返ってから行うことが大切です。くれぐれも結論を先回りせず、問い掛けて、思考を待つようにしましょう。
❏ 欠落に気づくまでのプロセスを捉え直す「振り返り」
先生方からのこうした問いで、思考や探索の不足に気づかせても、そこを修正させるだけでは、謂わば「絆創膏を貼っただけ」の状態。なぜ転んでケガをしたのか把握できなければ、またどこかでコケます。
どういう観点で、自分の取り組み(思考や探索など)と結果を点検すべきだったか、どうしたら見落としや偏りに気づき、自力で修正できたのかを考えさせる(=体験を学びに再構成させる)ことこそが大切です。
以下の問いを自らに向けさせるのが、学びへの再構成に有効です。「他者の問い返し方を自分のものにする」ことを意識させていきましょう。
- 先生は、自分の説明のどこに着目して問い返したのか。
- その問いを受けて、それまで見落としていた何に気づいたのか。
- (先生と同じように点検するとしたら)次は自分自身にどんな問いを投げかければよいか。
自分の思考や学習過程を対象化して捉え直す、メタ認知を働かせる場面ですから、その場で答えを求めるのは少々無茶かも。次回までの宿題として、じっくりと考えさせた方が、十分な消化が期待できます。
振り返りの結果(次の機会にどう臨み、何を意識して取り組みを進めるか)は、きちんと生徒自身の手で言語化させ、記録に残させましょう。先のフェイズに進んでから、立ち戻れてこそ、確かな学びになります。
❏ AIには、自分の考えをぶつけて、評価・反証させる
生徒は、勉強以外のことでも、あらゆる場面でAIを使うもの。禁止したところで、止められるものではないでしょう。発想を変えましょう。
弊害を防ぐのに肝心なのは「使い方」。答えを求めたり、方向を示させたりする使い方では、自らの思考は鍛えられませんし、AIに対して従属的な立場に堕していくリスクすらあります。
AIの利活用では「壁打ち」という言葉が時々使われますが、自分の考えを言語化してAIに渡し、その妥当性や実行可能性、隠れたリスクなどを「回答」として出力させる使い方もその一つ。
こうした使い方ができれば、探究活動に限らず、指導に当たってくれる先生が目の前にいないときでも、自分の思考や探索が十分な深さと範囲を備えているかのチェックができ、さらなる「思考の深化と拡張」を自力で図っていく上での手掛かりを得ることができます。
出てきた回答を鵜呑みにして、言われるがままに、考えや発表内容を修正していくだけでなく、どんなところで思考や探索の欠落を指摘されたかに意識を向け、「自分の思考の傾向」を捉えさせることが大切。
言うまでもありませんが、AIの答えは尤もらしいだけで合理性に欠けるものも含まれます。返ってきた「批評」にも、冷静に向き合い、疑ってみる姿勢は必須です。(cf. AIの答えをどう疑わせるか)
以下の別稿では、「プロンプトの修正を重ね、出力をやり直させることは、言わば自分自身の判断基準を育てる訓練」と書きましたが、これとは別のやり方の中で、自らの思考を磨ける可能性が生まれます。
自分の考えを問い直せるようになれば、探究の出発点に置いた「問い」そのものにも疑問を向けられるようになるはずです。調べ、考え、他者との対話を重ねる中で、当初の問いの不足や偏りに気づき、より適切な問いへと更新していく。こうした探究のプロセスを経た「問いの深化」も、問い返す力を自分のものにすることで得られる成果の一つです。
なお、本稿でも一度使った「知の自立」という語ですが、これは他者の支援を必要としなくなることを意味しません。他者の意見や批判、問い掛け、あるいはAIの出力を利用しながらも、何を採用し、何を退け、どう考えを組み立て直すかを、自分で判断できることです。
■関連記事:
- AIの時代だからこそ「問いを立てる力」
- 探究のプロセスを経た「問いの深化」
- 論理的思考と批判的思考
- 探究活動の指導におけるフィードバック(AIも活用)
- 学び方における守破離(続編)~型を学ばせた先~
- 対話により思考の拡張を図り、観察の窓を開く
教育実践研究オフィスF 代表 鍋島史一
