学びの過程で「問い」が担う役割は極めて大きいものです。「思考」は問いに触れて初めて発動するものであり、適切な問いが設定されないところでは、思考力を鍛えることも評価することもできません。
深い(=思考を十分に掘り下げた)学びの実現にも、問いを重ねることが不可欠。「学びの深さ」はどれだけ問いを重ねたかで決まります。
また、単元の導入からまとめ(次に向けた新たな起点)に至るフェイズのすべてで、問いはそれぞれに大きな(中核的な)役割を担います。
先ず、問いに触発されて不明の所在に気づかないことには、それを解消しようとの欲求も生まれず、学ぶことへの自分の理由も生まれません。
所在に気づいた不明を解消し、疑問を明らかにしようと、方々のソースに当たり、必要な情報を集めて知に編もうとする努力(インテイク)の中で、学習方策の獲得などが進み、学習者としての自立が図られます。
学び終えた段階でも、問いに立ち返って答えを作り上げ、それを評価/採点する中で、学びの進捗と課題を捉えることができます。前者は学びの意欲を高め、後者は学習の改善に繋がっていきます。問い(課題)は的確な振り返りや評価のための観察を行う上でも欠かせないものです。
学びの場での「問いの活かし方」について、当ブログでも様々な視点で記事を起こしてきました。ここでまとめて整理してみたいと思います。
❏ 学びの起点~問い掛けて不明の所在に気づかせる
学びの起点を作るのにも、「問い」は重要な役割を担います。導入フェイズの目的の第一は、「学習を通して到達すべき状態」を正しく認識させ、その実現に向けた欲求(自分の理由)を刺激することです。
目的地がわからないのでは、途中で道にも迷います(わからないことが積み重なる)し、歩を進める気力(学習意欲)も湧かないはずです。
単元名などを黒板に大書きしたところで、まだ学んでいない生徒には何のことやらピンとこないでしょうし、ましてやそれを学ぶことへの自分の理由など見出せるとは思えません。
これに対して、具体的な問いの形をとったもの(例えば、「以下の用語をすべて用い、荘園制度の起こりを200字程度で説明せよ」など)であれば、何をどこまでわかればよいのか、生徒も容易に想像できます。
問いが、身近な(=自分の生活や未来への影響の大きい)課題に根差すものであれば、それを解決する切迫した必要も見出せますし、「わからない」と感じたことに対しては解消したいとの本能的欲求も働きます。
どんな問いを導入フェイズで「ターゲット」として示すかで、学びの力点の置き方も決まります。生徒の学力や志向に応じたものを選び出すには、出題研究などで「問いの手札」を増やしておくことが大切です。
❏ 「学びの個別化」「主体的な学び」も問いが実現
適切な問いが付与されれば、その答えを作ろうと、生徒は必要な(=不明を埋める)情報を集め、知に編もうと、何らかの行動を起こすはず。
もし、問いが与えられ、わからんという表情を浮かべるばかりで、教科書や副教材を開こうともしないようであれば、「教わるのを待つ」ことが習慣化している(=学習させてしまった)ことが疑われます。
先生方から「教科書には何て書いてある?」「用語集は何ページ?」と問いかけて、自ら調べる姿勢を獲得させる必要があろうかと思います。
自力で調べてもわからないことは、周囲と話し合ってみれば、知識や気づきの交換でその解消も進むでしょうし、調べ方(教材や資料の活用法など)についても相互啓発の中で学んでいけます。
デジタル教科書の普及などで、生徒が自ら(=自分のペースで、工夫を重ねて)学べる部分はどんどん大きくなります。「教える/説明して理解させる」から「自ら学ばせる(調べさせる、考えさせる、話し合わせる)」への転換を図るにも、鍵を握るのは「適切な問いの付与」です。
❏ 答えの仕上げ、相互啓発、振り返りによる学習改善
問いは、学びの起点と方向性を作り、その過程を充実したものにしますが、学び終えた仕上げのフェイズでもまた重要な役割を持ちます。
学びの起点にターゲットとして示した問いに立ち返り、その答えを完成させようとすれば、そこまでの気づきは統合され、もし不明が残っていても、調べる/尋ねることで解消し、学びを仕上げることができます。
生徒がそれぞれに作り上げた答えをクラスでシェアすれば、自分の頭の中だけでは思いつかなかった切り口に触れたり、考えが及ばなかったところに気づけたりします。相互啓発は学びをより大きなものにします。
自分が作り上げた答えを、採点基準に照らしてみれば、不足しているところ(=減点要因)にも気づけます。なぜ、それを満たせなかったのかを考えるところから「より良い結果を得るために何をどう学ぶべきか」を見つけていくことが、「学習の改善」に繋がっていきます。
導入フェイズで「仮の答え」を作ってノートなどに残しておき、学び終えて作り直した答えと比べれば、学びを通した自分の進歩(=学習の進捗)を捉え、学んだことがどう活きるのかを理解する機会になります。
問いの答えを導き出したらそこで学びは終了ということではなく、そこからさらに学びを深め、より確かなものにする工程が待っています。
その工程を大切にさせるためにも、すぐに模範解答を示す(=生徒の思考を先生の答えで上書きする)のではなく、生徒が学びを仕上げるのを待つようにすることも大切です。(cf. 結論を出さずに終える授業)
❏ 与えるだけでなく、問いを立てることも求める
適切な問いが学びのあらゆる工程で重要な役割を担うことは、既に申し上げた通りですが、問いが与えられるのを待たず、自ら問題を発見し、解を導くべき問いに仕立てていく力と姿勢も獲得させていきましょう。
耳目にしていることを「当たり前」と見逃したり、様々な意見を鵜呑みにしているようでは、よりよい社会に近づけません。問題発見力は21世紀型能力において「思考力」を構成する要素の一つです。
教科書や資料を熟読させ、その中に「問いを立てる」(=不明点を見つけ出し、その正体を捉えて、他者と共有できるように言語化する)ことを求めるのは、そのトレーニングとして好適です。
授業を通して一通りの学びを終えた段階で、改めて学習範囲を俯瞰し、その中に新たな問いを立てる(=質問を見つける/作る)ようにさせることでも、学びは一層深く、広いものになっていくはずです。
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問いを立てるというのは、別の表現で言い換えるなら、解き明かすべきこと/解決すべき課題(目標)を設定することです。別稿でも書きましたが、適切な課題設定の入り口は「正しい問い」にあります。
そこでの誤りは、目指すゴールや取り組みの方向を誤らせます。設定した課題の適否に関わらず、その達成(及びその過程)で脳はドーパミンの支配を受けるため、破滅に向かう「欲求の暴走」にも繋がりかねません。「広い視野で適切な問いを立てられる」ことを目指しましょう。
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教育実践研究オフィスF 代表 鍋島史一