学びの深さ~どれだけ問いを重ねたか

学びや思考の深まりには、「結論を得るまでにどれだけの問いを立てたか」というモノサシを当てることで測れる部分もあるように思えます。
問われて考えたり、調べてみたりすれば、そのたびに「なるほど、そういうことなのか」という気づきが生まれ、その気づきの積み重ねの中で生まれた「厚み」こそが学びの「深さ」であると考えるのも、あながち的外れではなさそうです。
習ったこと、教わったことを鵜呑みにして、覚え込んでいくだけの工程には「気づき」が生まれる余地はなく、それだけで終始する学びは深いものにはなり得ないのではないでしょうか。
新課程が目指す「主体的、対話的な深い学び」をどこまで実現できているか、定量的な検証までもっていくのは難しいと思いますが、手応えを曖昧なままにせず、何かモノサシを用意して日々の授業の成果を確かめていけば、着実な効果の積み上げが期待できるでしょうし、試行錯誤の中で「学びの深さを図る指標」の確立にも近づけそうな気がします。

❏ 他者の思考に触発されて重ねる気づき/深める思考

仮の答えをひとつ導き出した後に、「ちょっと待てよ」とさらに調べてみたり、他の生徒が導き出した答えや先生からの問い掛けに触発されて改めて考え直してみたりすると、そこには新たな気づきが生まれ、学びは一つずつ深まっていくはずです。
答えが一つに決まらない問題に対して、あれこれ調べ、考えてみたとしても、ひとつの答えを導き出したところで「はい、終わり」としては、それ以上の気づきは生まれず、学びは往々にして浅いままです。
問題の捉え違いはないか、別の角度から考えたらどうなるのか、考慮していなかったパラメーターを加えてみたら、といった具合に自分が作った答えに対して、改めて「問い直し」をしてみるきっかけは、他者との対話の中にこそ得られるものだと思います。
生徒がそれぞれに作った答えを互いに見比べる場としてのグループワークや発表などもそうした対話の一つでしょうし、先生からの問い掛け、資料や文献を読んでの「まだ見ぬ、同じ課題に取り組む人々との対話」などを通して、自らの思考の浅さや狭さに気づくことも多いはずです。
答えという形に結実した自分の学びを振り返るには、他者の思考に触れた(=対話を通した)「相対化」が欠かせません。
生徒がそれぞれ導き出した答えをクラスでシェアすることや、思考を掘り下げさせるための問を発することを先生方が怠れば、学びの深まりはそこから先が期待できなくなるということです。
先生方が専門的な知識と広い視野を駆使して、様々な資料(文献やデータ、新聞の論説などの主張)を見つけてきて、生徒の目に触れさせることもまた、学びをより深いものにさせるのに不可欠だと思います。

❏ 書かれていること/教わったことを鵜呑みにしては…

如上の考え方をあてはめるならば、最も浅い学びというのは、何の問いも立てずに、教科書などに書かれていること/先生に教わったことを、そのまま実直に(?)覚えるだけの学びということになると思います。
入ってきた情報を、咀嚼することも味わうこともせずに、鵜呑みにするだけの丸暗記を助長するような学ばせ方では、学びが深まっていかないはずです。
教科書に書かれていることにも、「こう書いてあるけど、どうしてそう言えるのか」と問いかけて、生徒が考える習慣をつけさせれば、教科書のすべてのページ/行に深い学びが生まれ得ると思います。
この習慣を獲得させるのは、言うまでもなく、先生方のそうした問い掛けの繰り返しに他なりません。
先生方が立てる問いは、生徒に問いを立てさせるときのお手本にもなりますし、自力で問いを立ててテクストを読む方法と姿勢を獲得した生徒は、自力で学びを深めていける「自立した学習者」に近づけるのではないでしょうか。
学習内容にかかわらず、大抵の場面で使えるのは、「どうしてそうなるのか」「なぜそう言えるのか」という問いだと思います。
この外にも、「このメカニズムが働くための前提条件は何か」「所与の条件のうちどれが変われば、望ましい状態を作れるか」といった問いなら、ある種の仮定を設けた思考を練習させることもできそうです。
探究活動の場面を想定して「どうやればそれを確かめられるか」「どのようなデータを集めれば、仮説を検証できるか」といった問いを与えて答えを探すことにチャレンジさせることもできると思います。

❏ 問いの立て方への習熟=学習者としての自立

前段に列挙したのは、学びの過程で立てる問いの例に過ぎませんが、
「学習内容ごとにどのような問いが立てうるか」

「どうやって思考を切り込むと物事の理解が深くなるか」
を、教室での対話の中で、提示し、経験させていくことで、生徒は自ら学びを深めていくすべを身につけていけるのではないでしょうか。
先生方は、各教科の専門家ですが、それは単に豊富な知識と広く深い理解を携えているということではないはずです。
ご自身の「学究経験」を通して、問題となり得る箇所を見つけだす方法や、仮説の立て方、その検証の方法などを身につけています。
「学問の方法」とでも言うべきこれらもまた、日々の授業の中で生徒自身に経験させ、学ぶ機会を与えるべきものだと思います。
生徒がここで学ぶものは、「総合的な探究の時間」での学びを進めていくときの大事な土台にもなるはずです。
ただでさえ学ばせることが山ほどある中、限られた授業時間の中でそんなことに充てる余裕はないとのご意見があるのも承知しておりますが、だからこそ、個人で出来ることと教室でしかできないことを切り分けて後者に重点をおいた授業デザインを目指していくべきだと思います。
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教育実践研究オフィスF 代表 鍋島史一