確認した結果に基づいてきちんと学びを仕上げさせる

授業では、教えたこと/学ばせたことの確認を様々な場面で行っているはずですが、現時点での理解や進歩の度合いを確かめるところを終点にしては、理解や習熟に不足が残る生徒をそのままにしてしまいます。
十分な理解が形成されたか、習熟に不足はないかを確認するのは、確認した結果を踏まえて「仕上げ」に向かわせるためです。確認後に仕上げの工程を伴わないのでは、確認の意味は半減し、下手をすると「できなかった」ことを生徒の意識に刷り込むだけの結果にもなりかねません。
確認には様々な場面と方法があります(別稿参照)が、確認を通して検知した「知識・理解や習熟の不足」をどうやって補うか/補わせるか、授業案を起こす段階で、しっかりと考えておく必要があります。

❏ 理解の確認は、補うべきものを特定するための工程

授業でひと通り学び終えた段階で、導入フェイズで予め提示しておいた「ターゲット設問」(cf. 学習目標は解くべき課題で示す)に立ち戻り、その答えを作らせることで、本時の理解を確かめたとします。
その段階で、十分な答えを作ることができた生徒は、一定以上の理解を得て、学習目標も達成していることになりますが、中にはきちんとした答えを自力で作ることができなかった生徒もいるはずです。
模範解答を配り、「各自しっかり復習しておくように」と指示しても、それを暗記して定期考査に備えるだけの生徒は、問いに答えを作る/課題を解決する力を獲得しないまま、先に進むことになります。
ここでいう「力」とは、単元固有の知識・理解に限りません。問題文や資料を読んで理解する力や、見通しを立てて解法を考える力、不足する情報を集める[調べる]力なども含まれ、これらの不足を放置しては、次の学びに進んでも同じ躓きを経験するだけではないでしょうか。
技能の獲得を目指した「練習」をさせるときも同様です。
授業中の練習で十分にパフォーマンスが向上した生徒には、その頑張りを評価してあげれば良いでしょうが、ちゃんとできていない/練習の成果が十分でない生徒をそのままにしては、その先の授業でさらに高度なタスクに挑める状態にないはずです。
理解や習熟、進歩の度合いを確かめるのは、先に進む準備を整えるためであり、不足が見出されたときの指導こそが重要なはずです。

❏ 学びの仕上げは、生徒が個々に取り組むべきタスク

如上の「ターゲット問題への答え作り」での理解確認/達成検証では、教室で学んだこと(=調べたこと、聞いたこと、話し合いや問答などを通して得た気づき)を携えて、教室を離れ、生徒一人ひとりがじっくりと「自分の答えを作ること」に取り組むことが大切です。
不用意に解答例や模範解答を提示/配布してしまっては、生徒は自ら考えることをやめてしまいます。先生が作った答えを超えてやる!と挑戦意欲を燃やす生徒は稀でしょう。苦労して自分の答えを作るより、先生の答えを覚えてしまった方が効率的と考えるのは当然かもしれません。

グループで学ぶときの「答えの仕上げ」も個々のタスクとすべきです。
話し合いは、気づきの交換による思考の深化を図るのに欠かせないものですが、うっかりすると他のメンバーの発言に触れて、自分もわかった/できたような気になってしまうことがあります。
この「なんとなく答えらしきものが見つかった」ところで学びを止めてしまっては、本人の学びは「仕上げ」とはほど遠いところにあるはず。気づかないままの不明も残っているでしょうし、何より、他者の答えに乗っかって安心するような姿勢は身につけさせたくないものです。

こうして取り組ませた「学びの仕上げ」にはもう一歩先があります。
個々の生徒が仕上げてきた答えをクラスでシェアすれば、他者の答案から新たな気づき(こんな着眼点もあるのか、論証に説得力があるな、こうまとめた方がわかりやすくなるな、など)も得られます。
その上で、自分の答え(=取り組んできたことの成果)をもう一度客観的に見直してみると、より良い答案にするにはどうすれば良いか、欠けているのは何かを見つけて、学びはさらに深まっていくはずです。

❏ 実習、実技、練習の場面でも「確認→仕上げ」

実技実習系の教科では、練習や取り組みの成果を生徒が発表/演示した後に、生徒に何をやらせるかが重要なのは言うまでもありません。
生徒の発表を見て先生が評価し、評定などの点数をつけるだけでは、生徒が自ら「学びの仕上げ」に取り組む機会は作れないからです。
他の生徒の発表に触れる中、彼我の違いを着眼点に、自らの成果や取り組みを振り返り、次に向けてどうすれば良いか/何をするべきか考えることはもちろんですが、そこで考えたことを実際の場面(次の機会)で試してみて、その手応えを確かめさせることまで繋げていきましょう。

振り返りを通して見つけた自分の課題を次の機会にきちんとクリアできてこそ、学びに成果があったことになりますし、その先の学びに必要な土台(基礎技能や取り組み方)も身についてくるはずです。
自分で考えた方法によって、より良い自分に近づけた(=成長できた)ことで、学びに対する自己効力感も高まっているでしょうし、メタ認知や適応的学習力の獲得も進んでいるはずです。次の授業/単元からは、より積極的な取り組みが期待できるのではないでしょうか。
講義座学系の授業で音読などの「練習」の要素が大きい活動に取り組ませる場合も、回数をこなすことを自己目的化しないようにしましょう。練習を通じた進歩の確認を怠っては、当然ながら、その先で取り組むべき「仕上げ」も行われなくなるのは必定です。
チェックリストなり、観点別の段階的評価規準(ルーブリック)なりを活用して、練習の成果をきちんと(≒定量的に)確認した上で、どこに不足があるかを特定し、それを補うための再練習にきちんと取り組ませないと、当初の期待を満たす状態には近づけないと思います。
仕上げにきちんと取り組ませ、そこで得られた「進歩」を焦点に評価をすれば、苦手な生徒にもポジティブな自己イメージを持たせられます。



知識や技能の獲得だけに焦点をおいた「昔ながらの勉強」では、確認といっても覚えたかどうかを試すだけ…。仕上げも専ら「間違い直し」と「覚え直し」に終始していました。そこには「生徒にどう学びを仕上げさせるか」をあれこれ考える必要はなかったはずです。
しかしながら、知識や理解に「生きて働く」ことが以前と比べられないほど強く求められる新課程での(=新しい学力観の下での)学びでは、そうした単純なやり方では通用しない場面が増えるはずです。
英単語を覚えさせるのに「朝テスト」を行い、基準点未満の生徒に「再テスト」を課すという、昔よく見たやり方は、初期段階の生徒に学習の習慣を身につけさせたり、学習のペースを作ってあげたりするのには役立つかもしれませんが、深く確かな学びの実現や学習者としての自立に役立つかと言えば、見通しはかなり否定的なものになりそうです。

教育実践研究オフィスF 代表 鍋島史一