答案のシェアや発表で相互啓発を正しく働かせる

生徒に考えさせたり調べさせたりしたことを、答案やレポートとしてシェアしたり、発表を行わせたりするときには、できることならすべての生徒に「成果発表の機会」を与えたいもの。

それぞれの生徒が考えたこと/気づいたことを介した相互啓発はクラス全体に大きな学びをもたらしますし、頑張ったことを認めてもらえることも「繰り返したい快体験」として次へのモチベーションになります。
しかしながら、それには、すべての生徒が十分に知恵を働かせ、努力を重ねていることが大前提。いい加減な取り組みを周囲の目に触れさせても、プラスの効果は本人にも周囲にも、期待できません。
生徒を発表に臨ませるときは、事前に提出させた答案、レポート、プレゼンなどに、先生方がしっかり目を通してフィルターを掛けないと、あらぬデメリットを引き寄せてしまうことになりかねません。

❏ 成果の発表は、生徒の間に相互啓発を働かせるため

取り組みの成果を発表させることには、「頑張りを認めてあげる機会」を作ったり、発表という目的を持たせることで頑張りを引き出すという意図もあるかもしれませんが、それだけではないはずです。
本来の目的は、別稿「生徒の答案をシェアして作る学び」でも書いた通り、他の生徒の気づきや思考に触れさせて、教室に「相互啓発」(気づきや発想の交換による学びの深化)を働かせることにあります。
加えて、様々な成果に触れる中で、自分の取り組みや成果を相対化する(客観的に見直す)ことで、的確な「振り返り」を行えるだけの材料を持たせることもまた、答案のシェア/成果の発表の大きな目的です。
生徒一人ひとりが本気になって調べた/考えた/話し合ったことであれば、そこで得られた成果には他の生徒ともシェアすべきものが含まれるでしょうが、いい加減に取り組んだ結果の中には…。
シェアすべきものがあまりない発表に貴重な時間を割くのは、コスパの上でも大いに疑問ですし、適当に済ませたものを他の生徒の目に触れさせ、「なんだ、あんな程度で良いのか」と誤解させては一大事です。
探究活動の成果発表でも、「ウケ狙い」で探究の体をなしていない発表を後輩学年に見せてしまったことで、似たようなケースが年度を跨いで繰り返されていることだってあります。

❏ 多くのものを同時に見ても、吟味や消化が追い付かない

生徒全員に「均等」に発表の機会を与えることのもう一つのデメリットは、目を向け耳を傾ける対象が多くなり過ぎることにあります。
シェアした答案にじっくりと目を通したり、注意深く発表に耳を傾けたりすれば、多くの気づきや学びがあったとしても、限られた時間の中で十分に吟味できなければ、表面的にざっと捉えるのが限界です。
先生方だって、ボリュームのある記述答案の採点や添削には膨大な時間が掛かりますが、生徒はもっと時間が掛かって当然です。
制限時間に追いかけられて、一つひとつの答案/発表にじっくり向き合えなければ、せっかくの学びの機会を逃すばかりではないでしょうか。
相互評価だって、次々に発表が進む中では、まともにはできません。
発表の一つひとつを、鵜呑みにすることなく、問いを立てながら耳を傾け、質問によって発表者の気づきを膨らませること(cf. プレゼンテーション力より質問力)だって、発表の件数を絞ってこそ可能なはずです。

❏ 弊害を抑えるのは、先生によるフィルタリング

こうした「全員に均等に発表の機会を与えること」の弊害を抑えるには先生方による事前のフィルタリングが欠かせないと思います。
生徒が事前に提出したものに、先生が一度目を通してから、「クラス全体の学びに有益なもの」をきちんと選び出していくということです。
選び出すべきは、必ずしも完成度が高いものに限りません。発想は面白いけど、どこかに論理的な矛盾を抱えているなど、少し手を入れさえすればグンと良くなる可能性があるものも好適かと思います。
満点答案ではなく、どこを見直し、どう改めるとより良くなるかを学べるものが「教材」として優れていると考えるのが好適だと思います。
選び出したものをシェアするにも、以前のようにわざわざプリントにする必要もありません。電子データのままなら、画質の劣化などで観察の妨げをわざわざ作るような「残念」な事態も避けられます。
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教育実践研究オフィスF 代表 鍋島史一