言語化を通じて育む「振り返りのための相対化スキル」

学習場面での「振り返り」は、学びへの目的意識を持った/主体的な取り組みを生徒から引き出し、学習者としての自立に向かわせるために欠かせないものですが、振り返りという行為そのものがメタ認知を用いた高度な知的活動であるため、何の準備指導もなくやらせてみたところですべての生徒がきちんと/的確に行えるわけではありません。
的確な振り返りができる生徒を育てるには、トレーニングの機会とその都度与える先生からの的確なフィードバックが必要であり、限りある指導時間の中にどれだけ効率的にそれらを整えられるかが問われます。

❏ 振り返りの目的は成果のたな卸しと次への課題形成

自分の取り組みやそこで仕上げた答えや作品、発揮できたパフォーマンスなどを相対化できないことには、「頑張った」「楽しかった」「難しかった」といった感覚的な捉え方の域を出ません。
この段階に止まる生徒に何のフィードバックも与えなければ、

「できるようになったことのたな卸し」

を通じた自己効力感の増大もあまり期待できないような気がしますし、いつになったら

「次の機会には(もっと良い結果を得るために)こうしてみよう」

との展望を合理的に描き出してくれるか、やきもきするばかりです。
ましてやその状態を肯定するかのように、きちんとできていない振り返りに「たいへんよくできました」のハンコを押しては、その場に止まることを推奨してしまっているようなものかもしれません。
学習者としての自立に向けて糧となり得る「的確な振り返り」のためには、「相対化スキル」が欠かせないものの一つであり、これを育むためには、良いものとそうでないものを比較する機会を重ねることと、なぜ良いのか/良いものと感じさせるのかを言葉にさせる練習が必要です。

❏ 相対化スキルを養う様々な機会

相対化スキルを養うための言語化の機会には様々なものがあり、言語化そのものにも様々なバリエーションがあります。思いつくままちょっと並べてみただけでも次のようなものがありそうです。

  1. いくつかの作品やパフォーマンスを並べての比較評価
  2. 採点基準に照らしての自己答案や答案例の評価・添削
  3. 授業内外の発表機会で行わせている自己/相互評価

いずれも、日常の学習指導/教育活動の中にすでに存在している機会ですが、その目的をきちんと意識した上で指導に臨んでいるかどうかが、その機会を十分に活かせるかどうかの分岐点ではないでしょうか。
如上の機会を設けても、形だけでは効果は期待できません。
生徒が振り返った結果そのもの(=リフレクションシートに記載されたことがらなど)も教室でシェアし、「ここまで深く考察・内省できている生徒もいる」ということをほかの生徒に知らしめて、学びのコミュニティに相互啓発を働かせたいところです。
以下の記事も、お時間の許すときにご高覧いただければ光栄です。

  1. 答案を正しく評価できているか
  2. 新しい学力観に基づく評価方法(記事まとめ)
  3. 振り返りを経てこそ次への課題形成

❏ 言語化と相対化スキルは、判断力の土台になる

新学習指導要領でこれまで以上に重要になる「思考力・判断力・表現力」を育むにも、言語化と振り返り/相対化は大きな役割を担います。
他者が言語化した思考に触れることで、発想は拡充し、一人では導けない解に到達することもあることは言うまでもありません。課題を前に発動した思考は対話を通して拡張します。
言語化して書き出したものは、もはや「アタマの中にある漠然としたもの」ではありませんから、自分が書いたものを客観的に評価したり、批判してみることもできるようになります。
独りよがりにならず、広い視野で論理的に自分の考えを見直すことは、判断に際して正しい軸足を持つことにほかなりません。
論理的な矛盾に気づけば、そこを埋めるロジックを考えたり、埋めるべき隙間にはまるピースを探したりするきっかけになります。(すぐに答えが見つかるとは限りませんが…)
ときには、自分が書いたものに触発されて、それまで思いつきもしなった発想を得ることだってあります。(私自身、このブログを書いていてしばしば体験しています)
当然ながら、言語化の習慣を持てば、第三者の理解と共感を得るのに必要な表現力を高める(あるいは高める必要を生身で感じ取る)ことになります。周りの生徒の「表現」に啓発を受けての成長も大いに期待できるはずです。

❏ 言語化させることには教える側でのメリットも大きい

様々な場面で生徒に考えたこと/感じたことを言語化させることがもたらすメリットは、学習者にとってのものだけではありません。
教える側にとっても、生徒の内面で起きていることを覗きこむ「観察の窓」を開くことになるからです。別稿でも申し上げましたが、まさに、活動させるのは観察のためですよね。
こうした気づきを持って欲しい、ここまで考えを及ばせてほしいという思いは、指導の場面のすべてにあるはずですが、その思いが達せられたかどうか確かめるには生徒自身の言葉に触れるしかありません。
生徒に言語化を求めることを習慣化し、その思いがどこまで達せられたかを常に知ることができるようにしておくことは、より良い指導を実現していくための課題形成の土台を整えることだと思います。



この記事を書いたきっかけは、昨日の朝、たまたま観ていたテレビでの1シーンです。
パラリンピックのメダルを狙う視覚障がい者である「アスリートママ」が登場しましたが、お子さんとのコミュニケーションでは「原因から結果まですべてを言葉にする」ことをルールにしているとのこと。
そうしたルールの中で、お子さんには意図しない大きな成長があったそうです。例えば友達と喧嘩したときでも、感情的に相手を批判するのではなく、冷静に物事を整理しながら自分の思いをきちんと相手に伝えられるようになったとお子さん自身(小学生!)が言っていました。
この話に触れ、これまであれこれと考えていたことにすっと整理がついたような気がしました。「頭や心の中にある思いを言語という記号に置き換えることには実に様々な効能がある」と改めて感じています。
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教育実践研究オフィスF 代表 鍋島史一