指導と評価の一体化~実現のための発想転換(前編)

新課程への移行でこれまで以上に求められるようになった「指導と評価の一体化」ですが、その実現は、口で言うほど簡単ではないようです。
両者の一体化には、それぞれを行うときの発想や観点が一致していることが大前提。指導計画作り/授業デザインを考えるときに、評価の機会と方法も併せて想定しておかなければなりませんが、2つのことを同時に考えるのでは、思考は複雑になり、まとまりにくくなるものです。
指導と評価では、これまでの「習慣」もあってか、意識が先に向くのはどうしても前者になりがちですが、両者の一体化を図るには、発想を切り替え、「評価のことを先に考える」ことを新たな習慣とすべきです。

❏ 評価のための課題や活動の配列=カリキュラム作り

評価を行うには、当然ながら、何らかの課題や活動に取り組ませ、その結果や過程を観察する必要があります。やらせてもみないで評価を下すというのは、理屈の上でもあり得ません。
評価のための課題や活動をきちんと用意してさえいれば、それらを指導時間(+生徒による授業準備と学びの仕上げ)の枠内に適切に配列することで、指導計画の「フレーム」は自ずと出来上がるはずです。
別稿でも書いた通り、カリキュラムは{学習内容×能力資質}で設計するもの。各単元の学習内容を学ぶことを手段に、様々な能力(基礎力、思考力、実践力)の獲得という目的を達成していきましょう。


評価のために用意された課題や活動に取り組む中で、生徒はそれぞれで試されている能力を発揮し、その中で各能力を伸ばせるはず。わざわざ別に「トレーニングのためのタスク」を用意する必要はないはずです。
もちろん、評価を行ってみた結果、獲得が不十分なら、追加のタスクを用意して、不足を補っていく必要がありますが、それはカリキュラムのコア部分とは別に、場面ごとの「対応」の中で考えるものでしょう。

❏ 問いを軸に授業を設計し、観察の機会を作り出す

その日に学ぶこと(単元や学習内容のまとまり)を正しく理解したかどうかを試す問いを軸に授業をデザインしていれば、学び終えたときに生徒が導いた/作り出した答えを以て「知識・技能」は評価できます。
答えを導くのに必要なことを学ばせるのに、「説明して聞かせる/理解させる」という手段だけに頼らないようにしてこそ、生徒は様々な活動に力を発揮し、先生方はそれを見て「評価を行う機会」を持てます。

教室でしかできない学びを充実~問いを軸に授業を設計

先回りして答えや解法を教えずに、生徒自身に考えさせていれば、答えを導くまでの工程をどのように踏んでいるかも観察できるはず。
必要な情報を集めて知に編む工程では、基礎力(言語、情報、数量の各スキル)を駆使して取り組む姿を目にすることもできますので、そこで行動や成果を「基準」に照らしながら観察すれば、評価も行えます。
各自が調べて、考え尽したものを持ち寄って話し合い、如上の問いへの答えを磨き合う場を持てば、協働で課題解決に向かうときの行動や姿勢も観察でき、協働性や多様性を評価する機会も持ち得ます。

生徒が取り組む学習活動(聴く、調べる、考える、話し合うなど)を適切に/バランスよく配列して、学力の3要素を余さず駆使させることこそが、指導と評価の一体化を実現するための第一歩ということです。

❏ それぞれの学力要素を正しく定義/理解しているか

評価しようとしている学力の各要素について、先生方がきちんと定義できているかは、妥当な評価を行うための大前提でしょう。
学校内/あるいは教科内で、それぞれの先生方の「定義」がまちまちでは困るはず。評価結果に対する説明責任も果たせなくなります。
最初の「知識・技能」だって、その頭には「生きて働く」という限定句がついています。それらが生きて働く(=課題解決に活用する)場を設けないことには、評価は出来ないはずです。
誰もが使っている「思考力」という言葉にしても、きちんとした定義が共有されているとは限りません。多様な要素を集めて「思考力」に括られていますが、その一つひとつを正しく捉えているでしょうか。
解内在型の問題では、教えられた解法を覚えているだけで正解に辿り着けますが、それは「解法」という知識を獲得しただけのこと。
測定すべきは、解に至る工程を(見通しを立てて)考え出す力であり、初見の問題を突きつけないことには評価/測定できないはずです。

解法が確立していない問題では「解に至る工程を創り出す力」が求められますし、別の場面では「問題発見力」も問われます。
実験などの場で予想と違った結果が出てしまったときにどう対処しているかにも、生徒の「思考力」は表れます。きちんと観察しましょう。
思考力とともに第二要素を構成している「判断力」と「表現力」でも同様です。改めて定義を訊かれると言葉に詰まるかもしれません。
後者は「考えたことに、他者の理解と共感を得られる表現を与える力」でしょうから、定義もシンプル。問いを起点に発動した思考の結果を表現させれば、育成と評価のチャンスを作れます。
但し、言葉/文章以外の表現(説得や証明のためのデータの効果的な活用、モデル化など)もありますので、記述問題を課していればそれで十分ということにはなりません。
前者になると、定義も具体的な評価場面の作り方もさらに容易ならざるもの。別稿「判断力をどう考え、育て、評価するか」を起こした後も考え続けていますが、なかなかスッキリとまとまってきません。
後編に続く

教育実践研究オフィスF 代表 鍋島史一