多様性をどう評価するのか

多様性は、主体性、協働性とともに学力の第3要素を構成するものですが、いざ、獲得を図らせ、評価を行おうとすると、いったい何を指しているものかピンと来ないもの。評価の観点を立てるのにも戸惑います。
辞書的な意味としては「コミュニティや群の中にいろいろな性質のものが存在して、変化に富んでいること」ということでしょうが、学習を通じて目指すべきところは、個々の生徒が「様々な考えや立場があることを想定/受容した思考や行動ができる」ようになることだと思います。
コミュニティを構成するメンバーそれぞれの、属性や立場、価値観などを考慮した上で、そうした違いを乗り越えた「納得解」を導けたか/導こうとしているか。生徒に問うと同時に、しっかりと観察しましょう。

❏ 発揮する場を整えてこそ、能力の涵養と評価が可能に

多様性に限らず、あらゆる能力や資質は、生徒がそれらを発揮する場を整えないことには、獲得を図らせることも評価することもできません。
立場や価値観の違いに拘わらず答えが一つに決まる問題にだけ取り組ませていては、多様性の涵養や評価はその機を得ないということです。
賛否が分かれるイシューや、正解や解法が確立していない問題を用意して、それらの解決に取り組む機会を教室の中(=先生方が観察できる場所)に作り出すことが、多様性の涵養と評価を進める前提です。
直ぐに思い浮かぶのは、持続可能な社会の実現に向けた問題などでしょうが、生徒の手持ちの知識だけでただ話し合わせるのでは、それらが及ばないところに別の立場や考えがあることに気づけません。
様々な立場からの主張を資料などで示して、「問題の解決に際して考慮すべきことの広さ」を知らしめていきましょう。
こうした学びを重ねる中で、誰かが用意した資料がなくても、生徒が自ら「他の考え方もあるのでは?」と考え、情報を集める姿勢を見せるようになったら、多様性の獲得が一歩進んだことになりそうです。

❏ ルーブリックを活用し、評価の記録をきちんと残す

評価の結果には「説明責任」も問われますので、何をどう評定に組み込んだか、きちんと記録に残しておく必要も出てきます。昔ながらの「総合的に判断して」では、ツッコミどころが多すぎるかと。
例えば、何かの問題に対して意見を論述させたとき、「異なる意見の存在を想定し、それに対する反論を、相手の納得を得るだけの材料と表現で行っている」のと「自分の意見を滔々と述べるだけ」では大違い。
別の考えがないか、その出処は何かを把握しようと、あちらこちらを調べているのと、自分の意見をサポートする材料を探すだけで終えているのでも、「多様性」という点では、だいぶステージが違います。
情報の信ぴょう性を評価して、矛盾が生じたときにどう対処するか(PISAが測定する「読解力」)と通じるところがありますが、こうした違いもきちんと評定に組み込んでいきたいところです。
生徒に取ってもらいたい行動をセンテンスに起こし、観点と段階性で整理して提示すれば、ルーブリックの原型も出来上がるはずです。

論述課題やレポートを提出させるとき、どんな資料に当たったか、リストを挙げさせ、それぞれの要約(論述内容に直接関わる部分)と、自分がそれにどう対処したかを簡潔に記述させるのも好適かと思います。

❏ 学習内容によって、できるところで無理なく評価

教科や単元によっては、如上の問題を用意できないこともあるはずですが、能力や資質を発揮する場が作れないところで、無理に評価を行っても、根拠に乏しい歪みある結果を評定に残すばかりです。
しかしながら、少し捉え方を広げてみると、評価のチャンスが全くないということではないようにも思います。
答えが一つに決まる問題しか扱えない場面(教科、単元)でも「別のアプローチはないか」「設問条件が変わったらどうなるか」と、さらに思考を重ねられることも、視野の広さ(≒多様性)のひとつかと。
自分が考え出した解き方、考え方を説明するにも、相手に応じて表現や伝える手順の工夫ができるのも、土台になるのは「相手が備える理解力や前提知識、誤解の所在が様々であること」の想定でしょう。
評価の機会が豊富に作れる場面(教科、単元)では、しっかりと評価を行い、評定にも「厚く」反映させ、そうでないところでは係数を小さく抑えて、評定への影響を抑えるのが合理的ではないでしょうか。

❏ 他の学力要素、能力・資質も整理し、互いに関連付け

学力の3要素の一つである「主体性・多様性・協働性」は、「主体性を持って多様な人々と協働して学ぶ態度」として括られているものです。どれか一つを他の2つと切り離して涵養・評価するのは困難でしょう。
それぞれが意味するところを改めて、整理しておく必要があろうかと思います。この整理を怠ると「鍛える場、評価する場」としての「生徒が取り組む学習活動」を観察できる場所に配列することができません。

一つめの「主体性」は、生徒一人ひとりが「(その科目、単元を)学ぶことへの自分の理由」を持っていることに加え、学ぶのに必要な学習方策に習熟したときにはじめて実現するものだと思います。

一方、「協働性」は、課題解決に協働で取り組もうとしたときに、どんな役割を担えるか、コミュニティにどんな貢献ができるかを問うものだと考えます。(cf. 協働場面における個々の生徒の評価をどう行うか
立場の異なる(=多様な)人々と協働して課題の解決に当たる場面で、すべての当事者が納得できる解を探そうとする姿勢と方法を学ばせることが、多様性と協働性を同時に(関連付けて)鍛えることになります。
多様な属性などを背景に、賛否が分かれたり、最適解が一つに決まらない問題に取り組む場を設けないことには、色々な価値が互いに尊重され否定されずに併存し得るコミュニティに参加する主体は育ちません。
こうした学びは、教室という対面の場で作るもの。生徒が個々の学習活動で取り組めるところと、教室でしかできないところをきちんと分けた上で、後者の充実を図る必要があるのは言うまでもありません。



21世紀型能力の「実践力」は、自律的活動力、人間関係形成力、社会参画力、持続可能な未来への責任といった要素で構成されますが、これらも「主体性・多様性・協働性」のバランスの上に成り立ちます。
主体性を欠き、自律的に行動できなかったり、コミュニティ全体の納得解の形成に貢献しないフリーライダーでいてもらっては困ります。探究活動を通じて育む「思考力」と「実践力」も問われるはずです。
生徒一人ひとりに、「個々人としての評価」をきちんと行い、バランスの取れた学力/能力・資質の獲得を着実に進めていきましょう。
当然ながら、生徒会活動や学校行事といった課外活動も、21世紀型能力の獲得を目指して設計・運用していくべきだと思います。

教育実践研究オフィスF 代表 鍋島史一