解くべき課題で「何のために学んでいるか」を伝える

単元内容が明示され、何を学び、何を身につけるべきかが示されたとしても、その前段階として、「何のために学ぶのか」という問いに生徒が答えを見いだせないことには、「学ぶことへの自分の理由」は生まれてこないのではないでしょうか。
自分の理由がなければ、所詮は他人事。身を入れて学ぶ気にならなかったとしても、生徒を責めるわけには行かないような気がします。
何のために学ぶのかという如上の問いには、「学ぶことがどのように生きて働くのか」を示すことが答え方の一つになり得ます。
本時の授業で生徒が学ぶことを用いて解決すべき問いを、生徒が「自分ごと」と認識できるところに設定することが、「何のために学んでいるか(学ぶ意義)」を伝える最も簡便で効果的な方法であると考えます。

2020/01/20 公開の記事をアップデートしました。

❏ 何を学ぶか=どんな問いに答えるのか

先生方は、各教科の専門家として、その科目の存在意義や学びを進めた先にあるものを知っていますが、生徒はこれから学ぶところ/学びの途上にありますので、先生方と同じ景色は見ていません。

これから学んで獲得する知識や理解を用いて解決すべき課題を示すことで、どんな問いに答えを導こうとしているのかをイメージさせるのは、授業や単元の導入を効果的なものにします。
問いを投げかけられて、「なぜだろう」「どうなっているんだろう」と疑問を持てば、それを解明したいとの欲求が生まれます。自らのうちに生まれた欲求を満たすことは、もっとも原初的な「学ぶことへの自分の理由」になるはずです。

何のために学ぶのかを伝えるために用意した問いは、導入フェイズで提示し、その場で「仮の答え」を作らせましょう。
手持ちの知識や発想だけで作る答えなので、当然ながら不完全なものしか出てきませんが、今の自分が持っていないもの(知識、情報、理解)の所在に気づけば、それを埋めたい/手に入れたいと思うものです。

❏ 学び終えたら最初の問いに立ち戻る

その日の授業や単元の学習を終えたときに、その問いに立ち戻り、自分の答えを仕上げようとすれば、解消されずに残っている不明の所在に気づきますので、教科書や参考書をもう一度開く動機も得られます。
答えを仕上げ切ることができれば、そこには達成感も得られますし、学びを通した自分の進歩/成長にも気づきます。そうした「ある種の快体験」は繰り返したくなるもの。次の学びに向けたモチベーションの原資として働いてくれます。
生徒が取り組むべき「答えを仕上げる工程」を先生が不用意に肩代わりしない(=先回りして答えを示さない)ことも大切です。
正解や模範解答を示された瞬間に、生徒はそれ以上考えることを止めてしまい、せっかく勢いがついていた学びもそこでストップです。

❏ 問いを立てる力は、学び続けるための土台

テストがある、課題を提出しなければならない、というのは生徒が自らの意志で作った状況ではありません。他人が作った理由で学んでいる限りは、その理由がなくなった瞬間に学び続ける必要もなくなります。
社会の変化や科学の進歩で新たな知識が日々生み出され、更新されていく世界では、学びを止めるわけにはいきません。
日々の生活を送る中で出会う情報の中に、問いを立てられるようになれば、そこから「目的を持った新たな学び」が生まれるはずです。
教科学習指導の中で、生徒自身が問いを立てる練習を積ませることは、そうした力と姿勢を養うために欠かせないことのひとつです。
探究活動はその力を一段上のレベルに引き上げる好機ですが、各教科の学びの中での訓練なしには、形だけのものになってしまいます。



教科・科目に固有の知識や理解の獲得は、学びを進める上で欠かせないものですが、新しい学力観の下でこれまで以上に強く問われるようになったのは「それらが生きて働いているかどうか」です。
獲得させた知識・理解に「生きて働く場」を与えるためにも、学びの成果を確かめるためにも、「授業で学んだことを用いて解く課題/答えを導く問い」を日々の授業のデザインの中にしっかり組み込みましょう。

言うまでもありませんが、好適な問い/課題の開発・収集は先生方にとって先送りできない課題です。先生方の協働で着実に進めましょう。
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教育実践研究オフィスF 代表 鍋島史一