学ぶことへの自分の理由を持たせる~新単元等の導入指導

どの教科、科目、単元でも言えることですが、生徒が「それらを学ぶことへの自分の理由」を持っていないことには、「深く確かな学び」を実現するための必須要素である「主体的な学び」は期待できません。
能動的・積極的な学びには、目的意識と学びの方策の2つが必要です。目的意識をもって学びに取り組んでいるか学習方策の獲得はどこまで進んでいるかによって、取り組みもその成果も違ったものになります。
新年度に始まる新たな学びには、初動での十分な意識づけ(導入指導)が重要な意味を持ちます。授業開始に備えて、戦略を練りましょう。

❏ 初めて学ぶ科目・単元ならではの難しさ

生徒は、初めての教科・科目・単元では「どんなことを学ぶのか」すら単元や項目の名称からぼんやり想像するくらいしかできません。
何を学ぶのかもハッキリしない状態で「学んだことの先にどんな自分との関わりがあるのか」をイメージできるはずもなく、「学ぶことへの自分の理由」をそこに見つけろというのは無理な注文です。
実際に学んでみて、内容を知った上でしか、学び終えたときに見える光景を思い浮かべることはできないという当たり前のことを忘れて、授業開きやオリエンテーションで科目を学ぶことの意義を、先生がどれほど熱く語ったところで、その効果は限定的だと思います。
新課程で新たに扱うことになった内容なら尚更であることを、しっかり念頭に置きましょう。
どんなことを学ぶのか、それがどう役に立つのかを、先輩や兄姉、保護者からの話として聞くこともありませんので、学びをイメージすることは既存の教科・科目以上に難しいものになるはずです。
中には、科目名・単元名などからあらぬ/勝手な想像をしている生徒もいるかも。学習を始めてから実際の内容が想像していたのと違うことに失望されても困ります。
逆に、どんなことを学ぶのかも知らないで、「勉強することがまた増えるの?」「テストもあるんでしょ?」「特に興味はないんだけど?」という後ろ向きな気持ちを膨らませている生徒だっていそうです。

❏ 自分事として捉えられる問いを与えるところから

教科・科目、単元の導入に当たっては、これから学ぶことが自分にとってどんな意味を持つのか、生徒が理解/得心できるような「仕掛け」を講じることができるかどうかが、指導全体の成否を分けます。
仕掛けと言っても、ゼロから新たな手法を編み出す必要はないはず。
従来からの教科・科目で使っていたものをベースにして内容に合わせてアレンジすれば、ある程度のところまで効果が期待できると思います。

自分事として捉えられる課題を前に、新たなことを学びながらその解決策を考える「体験」を通してこそ、今学んでいること/その科目・単元を学ぶことの意義を実感できるのではないでしょうか。
答えを見つけようとあれこれ考える中で、学んでいることへの「関り」の持ち方/感じ方も大きく変化してきます。
学習目標は解くべき課題で示すのが基本です。問いという形式に備わる「これまで意識していなかったところに問題意識を向けさせる機能」を上手に活用しましょう。(cf. 隠されているものは覗きたくなる
問いのあり方に焦点を置いた授業研究はますます重要になるはずです。

❏ 新設の教科・科目などを生徒はどうイメージしているか

新課程では、「総合的な探究の時間」や家庭科での「金融教育」といった新たな学びが用意されていますが、それらがどんなものであると生徒が想像しているか、探ってみるのも好適かと思います。
先生方は、新しい学習指導要領の内容が公表されて以降、あれこれ研究を積み、どんなことをどのように学ばせるか/教えるかをずっと考える中で、指導をどう進めるかイメージされているはずです。(この時期を迎えてイメージできていないとしたら一大事ですよね?)
しかしながら、学ぶ側である生徒が、先生方が思い描くのと同じ光景を想像している保証はどこにもありません。

先生方は教科の専門家であり、日々研究を重ねておられます。知の地平はぐんぐん広がり、より高いところから学問の全体を俯瞰しています。一方、先生方から教わる生徒は「学びの途上」であり、新たに学ぼうとしている生徒は、先生方と違う景色を見ているということです。(生徒に見えている景色を想像しながら教えているか

教える側と学ぶ側とで「見えている景色」の違い(ギャップ)を解消するには、まずはどんなギャップが生じているかを知ることが先決です。
授業開きで、少し時間を取って教科書の目次や新設定単元のページをざっと読ませた上で「どんなことを勉強すると思うか」を訊いてみたら、生徒からはどんな答えが返ってくるでしょうか。
実際に訊いてみないことにはわかりませんが、先生方が期待しているような答えにならないことも少なからずありそうな気がします。



新課程で始まる「総合的な探究の時間」も、生徒は中学校までに経験してきた「総合的な学習の時間」との違いを意識せずに、単により高度な内容に再び取り組むといった程度の認識しかないかもしれません。
高校での新たなチャレンジの意味も考えず、「またやるの?」「面倒だな」と思っている生徒だっていることを想定しておきましょう。
高校の探究は、「自己の在り方生き方を考えながら,よりよく課題を発見し解決していくための資質・能力を育成する」ことを目的とします。
単なる調べ学習との境界や進路への繋がりを意識させ、調べたことの先に「新たな知」と「当事者としての関わり」を得ることを目指す活動であることを理解させなければ、目的の達成は遠のいてしまいます。

高校家庭科で始まる「金融教育」などでも、同じことが起きそうです。
生徒は(多少のアルバイトの経験はあったとしても)、基本的には自分の小遣いの範囲でやりくりするところまでしか実体験が追い付いておらず、「ライフイベント」や「予想困難なリスク」をどこまでリアリティをもって想像できるかわかりません。
これまで「消費者」としての視点でしか社会や身の回りのことを見ていなければ、深い理解には「生産者/提供者」の視点を必要とする起業や資金調達の話も、表面をなぞっただけの理解に止まりかねません。
繰り返しになりますが、新課程で始まる新たな学びを生徒が「自分事」にできるかどうかは、先生方が講じる仕掛けの如何にかかっています。

教育実践研究オフィスF 代表 鍋島史一