探究活動や課題研究のプログラムを作って導入して生徒に取り組ませるとき、「何を目的とする活動か」という根源の問いに先生方がどのような答えを共有しているかはとても大事なことだと思います。探究活動には様々な役割がありますが、以下の2つは他の活動では代替困難です。
- 既に知られているところの先を解明する(=新たな知を生み出し、より良い社会を作る方法を考える)ための方法を学ぶ機会
- 調べたり、考えたりする中に自分事としての課題を見つけ、自らの進路(自分の在り方、生き方)を探る”入り口”に立つための機会
指導に当たる中、「調べ学習」で終わっている生徒、そこにも到達していない「検索&コピペ作業」だけで調べ終えたような気になっている生徒を見過ごしてしまっては、1.の機会にはなり得ません。
また、何かテーマを選んで調べたところで、調べて分かったことの中に何らかの課題を見つけて、その解決に何をなすべきかまで踏み込んでいかなければ、2.の機会としても大きな期待はできないように思います。
2016/06/14 公開の記事をアップデートしました。
旧タイトル「考えさせ表現させた先に~当事者としての覚悟と行動」
❏ 調べて知ったことの中に課題を見つけるのがスタート
調べさせて、その結果を発表させることが、探究活動のゴールではありません。むしろ探究の入り口に立っただけなのではないでしょうか。
テーマに沿って調べたことを整理しただけでは、新たな知(それまで知られていなかったことの解明や見出された課題への解決策など)は一つも生まれていません。
調べて分かった(=既に解明されていた)ことに基づいて、明らかにすべきことがらを見つけ出したところから、探究活動が始まります。
検索して知ったことを鵜呑みにする「見つけ活動」とでも呼ぶべき段階に止まり、事実かどうか疑って確かめてみないのでは困りものです。
拙稿「探究活動を通して養う”ファクトフルネス”」で申し上げた通り、更新されていない古い知識や、間違ったものの捉え方を足元にしては、間違った的に矢を射ることになりかねません。
書かれていたことは本当なのか確かめるべく、様々な先行研究に当たってみれば、当初想定した結論には「不都合」な研究結果に出くわすことも少なくないはずです。
それらを踏まえた上で、事実をより良く説明できる仮説を立ててみて、それを検証する方法を考えて実行してみることこそが、探究活動の根幹をなす部分ではないでしょうか。
❏ 解決すべき課題には自分事として向き合う
調べ学習を通して明らかにできた事柄の中に、解決すべき問題を見つけても、それらを列挙するだけでは何の解決にもなりません。
問題の解決に何をなすべきか、どのような仕組みを整えるべきかを考えることが、探究活動に2.の意味を持たせる条件ではないでしょうか。
解決すべき問題に自分事として向き合い、解決策を考える中で思いついた様々なアイデアを一つひとつ試して効果を検証することの繰り返しの中でこそ「ある問題への解決法」という新たな知が生まれます。
深く・広く問題を捉え、その解決策を考え出す中に、新たな知を得ることができれば、生徒はそこに達成感と大きな喜びを感じるはずです。
同時に、その先をさらに覗いてみたい、もっと深く関わりたいという欲求も生まれるはずであり、それがやがて進路希望という形に転じていくものと考えます。
❏ 解決策を実現する仕組みを考えるところまでが探究
思いついた解決策も、ひと・もの・かねを揃える仕組みを伴わなければ、絵にかいた餅であり、実行には移せません。
その仕組み作りそのものが、問題解決法そのものだと思います。ときにはビジネスモデルとして成立するかの考察も必要です。
こうした部分への考察を欠いた発表は、課題の解決に本気で向き合ってない(=自分事として認識していない)可能性が高そうです。
たとえ着眼点が面白くても、実現への仕組み作りを考慮していないものを発表会の代表作品として選出するのは、次の学年への影響を考えると避けるべきだと思います。
探究活動は、傍観者や評論家を育てるためのものではありませんよね。不用意に発表者を選ぶことは、意に反して間違ったメッセージを伝えるリスクを招きます。
また、発表した内容に、自分事としての関わりを持とうという意識が感じられるかどうかは、注意深く観察し、これまでの指導の妥当性を検証する際の材料とすべきではないでしょうか。
❏ 成果発表会は、指導者の関わりを評価する場
限られた指導時間の中で、これらの要求を満たすのは決して容易なことではないことは重々承知しています。
ましてや、生まれて初めて探究活動に取り組んだ生徒に、そこまで自分で気づけというのは無理というものです。探究活動のガイド本を手元に持たせて読ませたくらいではカバーするのは困難です。
探究活動の成果発表会を見学していると、「テーマ」と「課題」を混同していたり、ただ調べものをしているのに過ぎない場面で「探究」という言葉を使っていたりする生徒も少なくありません。
ここで問われるべきは、生徒の資質や能力ではなく、「指導に当たる先生が途中の段階で、どこまで有効な手立てを講じて気づかせるように導いたか」ではないかと考えます。
間違った方向に行こうとしている生徒には、「質問者」として問いを投げかけ、再考を促しましょう。「こうやれば良い」と安易に教えることは、探究スキルの獲得を阻害します。
大前提として、冒頭の「探究活動は何を目的とするものか」という問いに明確な答えを用意できていれば、成果発表に至る前に、何らかの声がけや軌道修正を働きかけることができたのではないかと思えます。
記事アップデートに際しての追記:
進路とは、自分が何をすべきか、社会にどう関わるかを考え尽くした中から選び出すものだと思います。
キャリアは選ぶものではなく重ねるものですから、その時々で新しい目標を設定するとはいえ、ある時点での選択の結果は、その後の選択肢の構成を大きく左右するのも事実です。
選択に臨むときは、できるだけ広く認知の網を張った上で事実を正しく踏まえておくことが大切なことは言うまでもありません。
探究活動を通じて、自分が生きる社会をより良く知り、そこへの関わり方をしっかりと考えさせないと、自分の未来を間違ったところに描き出させてしまうのではないでしょうか。
■ご参考記事:
教育実践研究オフィスF 代表 鍋島史一