ある単元を学ばせるときに「不明を残さずに理解させること」だけを目的とするなら、先生が丁寧に教えてあげればそれで十分かもしれませんし、ある問いに正解を導くことだけを目指すのであれば、手順をきちんと示してあげることで、当座の目的は達することができると思います。
しかしながら、このアプローチでは「学び方を学ばせる」という要素が欠落する可能性が大です。「先生が丁寧に教えてくれさえすれば理解できる」という段階に止まっては、先に進んで自力で学ぶ必要が生じたときに、困るのは生徒自身ではないでしょうか。
生徒に「この科目の学び方が身についてきたか」と尋ねてみて、YESと自信を持って答えてくれないようなら、これまでの指導に改めるべき点があるはずです。
2016/09/01 に公開した記事を再アップデートしました。
(前回更新:2018/10/11)
❏ 学習方策が身についたかという問いにNOが増える?
生徒による授業評価アンケートで「この科目について学び方が身についてきたと思うか」と生徒に尋ねてみると、学年・学期が進むにつれて、NOという答えが徐々に増えてくるケースが少なくありません。
下図に見る通り、どの教科でも中間学年までは、学年が上がる(=学習内容が高度化する)につれて、徐々に「自分の学び方への自信」が弱まっていく様子が見て取れます。
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先生が丁寧に説明してくれるのをしっかり聞き、理解できたら覚えていくという学びのアプローチしか持たないでいると、自力で不明を解消する力も養われず、学習内容が難しくなるたびに躓くことが増え、徐々に自信がなくなっていくということだと思います。
最上級生に近づくと、どの教科も回復していきますが、その背景には、その科目の学び方を身につけた(と自認する)生徒が履修者のメインになることや、演習の機会が徐々に増える中で学び方を工夫するようになるといった事情もあろうかと思います。
その一方、中間学年で集計値の分布がボトムを打っている様子からは、途中で学び方に自信を失い、その教科/科目の学びを諦めてしまっている生徒の存在も想像しなければならないのではないでしょうか。
学びが次のステージに進んだときのことを考え、そこで必要な学び方を身につけさせることに十分な意識を向けていたかどうか、指導者が省みなければならない問題だと思います。
如上の質問への回答分布は常に注視し、「学び方を身につけられていない生徒」の発生を早めに把握して対処が後手を踏まないようにしたいもの。経年的に蓄積したデータからは学習方策の獲得がスムーズに進まなくなる時期も予想できるため、先回りした対処も可能になるはずです。
❏ 知識活用の機会を重ねるほど学習方策の獲得が進む
下の散布図は、授業評価アンケートの授業別集計値(n=1,542)を用いて作成したものです。
横軸に置いた【知識活用の機会】は「授業で学んだことを用いた課題解決の機会が整っているか」という問いへの答えを0~100点のスケールに換算したもの、縦軸の【学習方策の獲得】は「この科目の学び方が身についてきたと思うか」への答えを-10~+10に換算した結果です。
両項目の間の高相関は、分布が狭い範囲に集中していることから一目瞭然だと思います。実際、相関係数は 0.801というかなり大きな値です。
また、学習効果「授業を受けて学力や技能の向上、自分の進歩を実感できるか」で75ポイント(=肯定的な回答が概ね9割)以上に達した授業は、{知識活用の機会≧75、学習方策≧3.0}の領域に分布が集中しており、その他のエリアには「例外的」と言えるほど少数です。
データをより詳しく解析してみると、学習方策の獲得に最も強い影響を及ぼしているのは「獲得した知識を生きて働かせ、課題解決に活用する場が整っているかどうか」であることがわかります。
学習方策で+3.0以上に達する確率が十分に高まる(=箱の下端が同値を超える)のは、知識活用の機会が75ポイント以上に達したときです。本稿のタイトルにした「学習方策は課題解決を通して身につく」というのは直感的にもご理解いただけることかと思いますが、データに照らしてみても間違いなさそうです。
ちなみに、活用機会が極端に低い授業(50ポイント台以下)で学習方策の獲得で高めの数値が出ているケースもありますが、知識を使わせてみていないことで、「覚えただけで、きちんとわかった/できたと勘違させてしまっている」という可能性も疑ってみるべきだと思います。
❏ 丁寧にやりかたを教えて理解させるだけでは…
冒頭でも書きましたが、「学習内容を理解させること」と「学習内容を理解する方法を学ぶ/身につける」ことはイコールではありません。
拙稿「教科固有の知識・技能を学ぶ中で」で申し上げた通り、各科目の学習目標達成を「手段」と捉える発想を持つことも重要だと思います。
目の前の学習内容を理解させることに意識が向き過ぎると、勢い、丁寧に説明することに気を取られてしまい、本来なら生徒にやらせるべきであることを不用意に肩代わりしてしまうことがあります。
常に、できない?やらない?やらせてない?と自問し、できることはどんどんやらせる~生徒の邪魔をしないようにしたいものです。
やらせるためのきっかけは、言うまでもなく/データでもお示しした通り、「生徒が自力で解決すべき課題を与えること」です。適切な課題を与えれば、それに取り組む中で、生徒はやり方を考えながら、不明を解消したり、仮説を立てて検証したりといった、学び方を広く身につけ、学びの成果を積み上げていく土台を獲得していくはずです。
ジョージ・パットン流の「人にやり方を教えるな。何をすべきかを教えれば、人はその創意工夫で驚かせてくれる」に通じるものを感じます。山本五十六流の「やってみせ、言って聞かせて、させてみて、ほめてやらねば、人は動かじ」だけでは、解内在型の課題には対応できても、そこから先の創意工夫は生まれないのかもしれません。
❏ 予習や復習のやり方についても同じことが
予習や復習のやり方を懇切・丁寧に教えたとしても、それを生徒が身につけてきちんと履行しているかどうかは別問題ですし、指示した方法がその生徒にマッチしているとも限りません。
新年度を迎えたときの授業開きで伝えた「学び方」は、どのくらいの生徒が自分のものにしているでしょうか。半年が経過してもなお定着していないようであれば、年度前半での指導に不足が疑われます。
また、提示した方法に沿って学びを進めている生徒と、それ以外の生徒とで成績の伸びに違いがなければ、生徒に求めた学び方そのものの妥当性も疑ってみるべきです。
別稿「説明がわかりにくいと言われたら」でも申し上げた通り、生徒同士の教え合い・学び合いを促したり、参照型教材を徹底的に活用させたり、先生以外のコンサル先を持たせることで、学び方のバリエーションを増やすように仕向けていくことも重要です。
先生の説明がわからないと立ち止まってしまい、そこから先に進めない場合と、友達や書籍を「コンサル先」(相談相手)として必要な知識や情報を得て先に進められる場合とでは大違いです。後者の生徒の方が、学習者としての自立に近づいていることは間違いないはずです。
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教育実践研究オフィスF 代表 鍋島史一