できない? やらない? やらせてない?

本来ならば生徒自身に挑ませて完遂を求めるべきことを、先生が不用意に先回り/肩代わりしてしまうと、生徒は自力でできるようにならなければいけないことをいつまで経ってもできないままだったりします。
学習者としての自立を促すためにも、主体性の及ぶ範囲を膨らませるためにも、生徒にやらせずに先生が肩代わりしていたことがないか、これまでの授業をどこかで振り返ってみる必要がありそうです。

  • 生徒にはできないと思い込んでいたことも、試しにやらせてみたら思いもかけず良くこなしてくれた
  • 自分から進んでやらないだろうと思っていたことも、その必要性や楽しさに気づいたとたんに自分で取り組むようになった

といった場面を実際に目にして「これまではやらせていなかっただけかも」と気づくことも少なくありません。生徒自身の取り組みに任せられる部分が大きくなれば、その分だけ教室でその先にあるより深い学びに多くの時間がさけるようになるはずです。

2018/06/27 公開の記事を再アップデートしました。

(前回更新:2020/10/01)

❏ まずは、テクストを自力で読んで理解するところから

自力で教科書や副教材を読んでその内容を理解することは、どの生徒にも出来るようになってもらう必要があることですが、教室を覗いてみると、そうした活動に取り組ませていないことが多いように見えます。
やらせてみないことには、できるようになりませんし、できて然るべきことなのに自分はできていないという認識を生徒が持たないことには、できるようになる必要性も感じないのではないでしょうか。
新課程のもとでの入試では、「学習型問題」も頻繁に登場するようになるはずです。生徒が教科書を読む前に、先生が先回りして説明するのでは、生徒は、教科書や資料などのテクストやデータを自力で読んで理解する力を身につけられず、新タイプの問題への対応に不安を残します。
解くべき問いを示した上で、「この資料を読んで自分なりに答えをまとめてみなさい。隣と相談してもいいよ」と指示をしたら、もしかしたらあっさりと出来てしまうかもしれません。
自分で調べて答えを見つける楽しさを知れば、学習者として一歩成長したということ。適切な問いを与えるだけで、自力で理解と解決を試みる姿勢を見せてくれるようになるのではないでしょうか。

もう一歩進んで、読んで理解した中に「問いを立てる」ことにも挑ませてみたら、さらなる成長を見せてくれるかもしれません。書かれていることに問いを立てるというのは、テクストとの対話そのものです。

❏ 生徒の可能性を低く見積もらず、まずはやらせてみる

予習中心の授業に転換を図りたいのに「うちの生徒に予習を求めても」と躊躇しておられる先生がいらっしゃいましたが、次回の予習ができる状態を作って授業を終えるよう、仕掛けを講じてみれば、案外、あっけなくできてしまうかもしれません。
まずは、やらせてみなければ本当にできないのか確かめられませんし、工夫を凝らしながらやらせ続け、できるようにさせていくのが指導者の仕事ではないでしょうか。
やらせてもみずに「生徒には難しいかな」「ちょっと無理かな」と慮って、先回りして教えたり、お膳立てを整え過ぎたりすることが、生徒の能力発現と成長の機会を奪ってしまいます。
できるようになって欲しいことなら、まずはやらせてみましょう。
たとえ最初は一部の生徒しかできなくても、生徒は互いの取り組みからも学びます。その中で自分の方法を身につける生徒も現れるはずです。
そもそも、先生ができていること(=肩代わりしてやってあげていること)は、生徒にも大人になるまでのどこかで同じようにできるようになってもらわないことには、世代を重ねて社会が後退してしまいます。

❏ できるようになったことの自覚が更なる挑戦意欲に

何か新しいことができるようになれば、達成感もあり、新たに獲得した能力やスキルをつかって何かに挑む場面を求める気持ちも生まれます。
さらに高度な課題に挑みたいとの欲求が生まれたということです。その欲求を満たしてあげれば、モチベーションは更にアップします。
学びの機会のたびに、しっかりと振り返りをさせて、新たにできるようになったことの「たな卸し」をさせるようにしましょう。
練習や工夫を重ねて新たな能力やスキルを獲得しても、実際にそれを使ってみる機会がないと、獲得したことそのものを認識していないこともありますので、学んで身につけたものを活用する機会は、欠かさず用意してあげたいものです。

授業の中で新たにできるようになったことの少し先に、次のハードルを設定して挑むように促すことも、できること/生徒の主体性が及ぶ範囲を広げていくことに通じます。

❏ 何がどこまでできるのか、観察を通じて見極める

生徒たちが小中学校ですでに経験して方法を身につけていることも沢山あるはずです。

指導は、その先を目指して設計すべきもの。まずは、様々なことをやらせてみて、生徒が何ができるようになっているか観察する機会を持たないと、その後の指導を考えるときの見極めを誤ることもありそうです。
他の先生の授業を参観してみたら、自分のクラスではやらせてみたこともないことに、生徒が想像もしないほどの活力を持って取り組んでいる姿をみて驚くことも少なくないかもしれません。
学習活動に生徒が取り組む場面を様々と作り、生徒の行動を観察するところから、指導方法や授業設計を考えていく必要があると思います。
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教育実践研究オフィスF 代表 鍋島史一