先生方は教科の専門家であり、日々研究を重ねる中で、見渡せる世界を広げ続けています。一方、学びの途上にいる(入り口に立った)生徒はこれから学ぶことの周辺や背景にはそれほど広く想像が及びません。
言い換えるなら、これから学ぼうとしている生徒は、先生方と違う景色を見ているということです。何を教えるにしても、この違いを常に意識しておかないと、意図するところは正しく伝わらず、生徒の理解形成が円滑に進まなくなります。
2019/03/20 公開の記事を再アップデートしました。
❏ 初学者が見えている景色を想像してみる
最近はあまり見かけなくなりましたが、1980年代に「巨大迷路」のブームがありました。迷路に入って進むうちに、出口の方角も怪しくなり、目の前の通路を右往左往しながら進んで行くしかなくなります。
これと同じようなことが、複雑な体系をなす各教科の単元群を学んでいくときの生徒にも起きています。
地図も持たず(=学問/教科の全体像を捉えていない)、ゴール(目指すべき到達状態)もどっちか分からなくなりかけている中、右に行け、まっすぐ進め、左に曲がれと、あれこれ指示を出されても、自分が今どこにいるかもわからなくなり、来た道を戻ることさえ難しくなります。
先生方に見えている景色と、生徒に見えている景色(四方を取り囲んでいる壁)の違いを想像しながら、教え/学ばせないと、伝えたいことも十分に伝わらなくなるリスクを抱えるばかりです。
ある程度の「認知の網」が張られていない領域では、入ってきた情報を拾い上げ、理解という形に再構成することすら容易ではありません。
既に知っていること/理解していることは、新しい情報を拾い上げるための「認知の網」として機能します。「網」が張られていない/穴が開いている領域では、たとえどんなに重要な情報が入ってきても、新たな理解や発想を形成することもなく、あっという間に認識の外にこぼれ出ていってしまいます。(拙稿「イノベーションをもたらす認知の網と偶然との出会い」から再掲)
❏ 曖昧な理解を専門用語でごまかしていないか
先生方には馴染みの深い専門用語も、十分な定義もしないまま、生徒が本当のところを理解しているかどうか確かめずに使っていると、生徒の学びに大きなリスクをもたらします。
生徒は、用語を使っていることで何となくわかったような気になってしまい、ときには曲解が膨らんでいくこともあります。
先生方は、背景知識を十分に備え、用語/概念の成り立ちなども知った上で、科目固有の用語を使っていますが、生徒はそうとは限りません。
ここにも、先生と生徒の間の「見えない認識の壁」が存在します。
例えば、先生が「行動経済学」と「古典的な経済学」を対比して使ったとき、生徒は両者の違いや関係をきちんと踏まえているでしょうか。
総合的な探究の時間の指導でも、「調査」という言葉を当てるべきところで「探究」という言葉を使ってしまう生徒も少なくありません。これも用語の意味を正しく理解していない/させていない例の一つです。
用語の厳密な定義から入っては、堅苦しさから学びの意欲も損ねますので、ある程度までは用語の感覚的な使用を許しても良いと思いますが、学びがある程度進んだ段階できちんと整理をつけさせましょう。
こうした「少し学んでからの再定義」をきっかけに、あたかもドローンが中空に飛び立つかのように、自分の視点が高い位置に動き、「迷路」の全体が見渡せるようになることがあります。
先生方も、中高生、あるいは大学生として様々な科目を学んでいたときに、そんな感覚を経験したことがあるのではないでしょうか。
❏ 身近な問題から認知の網を広げる材料を揃える
新しいことを学ばせていくときの鉄則のひとつは、生徒が理解し得ることを起点に「認知の網」を押し広げながら学ばせていくことです。
生徒がネットや報道で見聞きし、問題を意識している(であろう)ことを取り上げ、その解決に講じられている方策を紹介してから、背景にある知識(単元内容)の学びに繋げていくという手順は効果的です。
これから学ぶこと/関連する既習の単元で既に学んだことが、身近なところでどう使われているのかを紹介するエピソードも導入の材料の一つです。クイズ仕立てにしてみるのも効果的。問われて答えを考える中で頭の中に「?」が生まれてこそ、学びに向けた準備も整います。
こうした材料をすべての単元、学習内容について「自分の引き出し」に揃えるには、常にアンテナを高く張り、日常の出来事と自教科で学ばせていることの接点を探すことを習慣とする必要があろうかと思います。
好適な材料を見つけ出し、ストックする活動には、仲間の先生方と一緒に取り組むのが好適なのは、別稿で触れた出題研究の場合と同じです。先生方がそれぞれ見つけ出したものを、互いに提供し合えば、蓄積は何倍ものペースで進むはずです。
せっかく見つけた材料/ネタは、年度を跨ぐときにも着実に継承したいもの。授業で使った教材・課題や考査問題の引き継ぎも大切です。
教材は自作した方が先生方の達成感は大きいかもしれませんが、目的はあくまで指導の質的改善。他人の成果を利用しようが、自分で創り上げようが、生徒の学びに資するものならどちらでも構わないはずです。
❏ 不用意な先回りが生徒の学びを阻害する
少々脇に逸れてきた話を元に戻します。タイトルにある「生徒と同じ景色を見て」という要件が満たせなくなるケースは他にもあります。
先生方は長年の経験の中で、問題を見れば解き方がすぐに思い浮かび、どの知識を利用すべき場面かの判断がつきます。問題文が伝えていることも、豊富な背景知識に照らして容易に/より深く理解できます。
しかしながら、初学者や学習の途上にある生徒は、そうした「先読み」ができず、問題文に与えられた情報を一つひとつ拾い上げ、紡ぎながら考えていくしかありませんし、その過程でこそ、問題を見つけ、解決の方法を考え出す力が身につきます。
これを忘れて、不用意に先回りをして解法を示してしまっては、迷路から抜け出せる力を獲得しようとしている生徒を、クレーンで釣り上げて出口に運び出してしまうのと同じです。達成感も奪ってしまいます。
見えているものを観察し、問題とその解決への糸口を見つけ、その先の工程を考え出す力こそが、21世紀型能力の「思考力」を構成する「問題発見・解決、創造力」。すべての生徒に獲得させるべものです。
思考力を鍛えるのは、教える前が勝負であることを忘れず、「正解ありき」で教えていないか?と常に自問を重ねながら、生徒の学び/授業をデザインしていきましょう。
ゼロ学期が終われば、また新しい生徒を教室に迎えます。これまで長らく指導してきた生徒との間には、相互理解が作られ、見えている景色の違いも捉えられていたと思いますが、その関係も一度リセットです。
新課程への移行を機に、入学してくる生徒がこれまでに学んできたこと/体験してきたことも以前とは違っているはずです。生徒が学ぶ姿をしっかりと観察し、どんな景色が見えているのか正しく把握するところから、新年度の授業を始める必要があるのは言うまでもありません。
教育実践研究オフィスF 代表 鍋島史一