探究活動や課題研究の成果発表会では、優れたものをきちんと選び出してスポットライトを当てるよう、その運用には細心の注意が必要です。
後輩たちは先輩の発表を見て参考やヒントにします。良いものと悪いものの違いがはっきり判るようにしてあげないと、適当にお茶を濁したものを目にして「あの程度でOK」という誤解を抱くかも知れません。
成果を発表させる/まとめる機会は、学校全体で取り組んできた新たなチャレンジが、次年度以降にどれだけの実を結ぶかを分ける重要な場面です。最後で躓かないよう、準備の段階から心して臨みたいものです。
2018/11/06 公開の記事をアップデートしました。
❏ すべての成果品を同等に扱うことにメリットはない
成果発表会の実施や論文集の編集に際し、発表者や掲載作品を選出する評価・審査はきちんと(=合理的な基準で)行えているでしょうか。
すべての生徒の成果品を平等に扱うという意図があるのかもしれませんが、倣うべき要素を多く含んでいるものと、形を整えただけのものとを同列に扱って表示することには小さからぬ疑問を感じます。
冒頭にも書いた通り、後輩たちは先輩の成果物を見て、自分が取り組むときのヒントや参考にします。
優れたものに触れて「ここまでできるのか/やるべきなのか」と覚悟を決めたり、「これを超えるようなものをやってみせるぞ」と意を新たにできた場合と、「なんだこんな程度でいいのか」と誤解してしまうのとでは、来るべき活動への意欲の持ち方に大きな違いが生じます。
当事者学年にしても、成果発表を機とする振り返りで、上級学校に進んだ先での学びや研究に向けた「反省と課題」をしっかり認識できるかどうかは、その後の学修への取り組みに大きな違いをもたらすはずです。
成果発表会は教育機会ですから、生徒にどれだけ「良い教訓と刺激」を残すかを視点に、慎重にそのやり方を考えるべきだと思います。
❏ 評価した結果の違いを、表示方式にも反映させる
ポスターセッションでは、最優秀賞や優秀賞、奨励賞などの段階的表示を添えてポスターを貼りだすようにしている学校があります。
倣うべき優れた先例はこれだよと後輩たちに伝えることができますし、セッションの開始に当たり「受賞したものと他のポスターの違いを考えておくこと」をタスクにしておけば、効果はさらに大きくなります。
ある学校では、選出の理由や選考委員の評価コメントを添えていたケースもありました。別の学校では、探究活動のルーブリックに照らした評価結果をポスターに添えることを検討しています。
論文集にまとめるときも、最優秀作品は論文の全編を掲載し、優秀賞は見開きページにまとめ、奨励賞はサマリーのみ、他の作品はタイトルの一覧に並ぶだけ、という明確な差をつけている学校もあります。
別格の扱いを受けた作品を手掛けた生徒は自己肯定感を刺激され、次に向けてモチベーションを高めるでしょうし、適当に済ませていた生徒も全文を掲載されて恥ずかしい思いをせずに済みそうです。
後輩たちに参考にさせたくないものをその目に触れさせないということも、ネガティブな教育効果を残さないために必要な措置だと思います。
❏ 成果発表会は学校の教育力を評価される機会
探究活動や課題研究にしても、その他の学校独自の教育活動にしても、公開で行う成果発表会は学校の教育成果を校外に伝えるチャンス、これまでの指導のあり様を問われる場と考えるべきです。
発表会を通じて「ここまで頑張っている生徒がいる」「その頑張りを支えるだけのシステムがある」ことを伝えられてこそ、自校が取り組んできた教育活動への理解と共感の獲得に繋がります。
学校の取り組みとその成果をよく理解する人が地域に増えれば、学校が目指す教育に共感して「ここで学びたい/学ばせたい」と考える生徒/保護者も自ずと増えてくるはずです。
学校が目指す教育像や育てたい人間像に共感した生徒や保護者によって形成されたコミュニティは、その教育目的の実現を容易にし、そこで得られるより大きな成果は、地域からの理解と共感をさらに増やします。
この好ましいスパイラルの起点となるのが教育活動の成果発表会です。
❏ 発表作品の選出は、探究活動の評価基準に沿って
発表の舞台に上げる生徒/作品を選びだすときの「基準」には、十分な合理性が備わっているでしょうか。
「探究活動」の成果発表ならば、「調べ学習」の域を出ないものにスポットライトを当てるべきではありません。
調べ尽くした中に新たに問いを立て、その答えを見つけ出すための思考と行動が「探究活動」であり、その要件を満たしていないものまで一緒くたにしては、後輩学年にいらぬ誤解を与えかねないからです。
着眼点のユニークさ(ときに「奇抜さ」)やプレゼンの巧さだけで代表作品を選んでしまっては、学校全体の探究活動を「次年度以降に繋がる継続的で着実な改善」から遠ざけてしまいます。
成果発表でスポットライトを当てる作品を選び出す「評価と審査」は、先生方にとっては「それまでの指導とその成果を振り返る機会」です。適当に(=発表会の目的を意識せずに)済ませては、指導やプログラムのさらなる改善に向けた課題形成の機会を逸するリスクを抱えます。
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発表者の選出や講評の在り方しだいで、「探究活動全体を振り返る中で得られる学び」も「後輩に伝わる刺激(啓発)」も、方向性がまったく違ったものになってしまうリスクを常に念頭に置くべきです。
ゼミごとに1名といった「枠ありき」での選出では、他のゼミで次点となったものより劣るものを選ばざるを得ないこともありますし、生徒の互選で代表を選ばせた結果、ウケ狙いのおちゃらけた発表が「代表」になってしまうこともあります。
それらを見た後輩たちが、「選ばれた代表はあんなもの、自分たちもあのくらいで良いんだな」とあらぬ誤解を抱くような事態は、何としても避けたいところです。活動の締めくくりにこそ心して臨みましょう。
教育実践研究オフィスF 代表 鍋島史一