正しい選択を重ねられる生徒に育てる

どんな場面でも生徒を指導をするときに最終的に目指すのは、「正しい選択を重ねられる生徒に育てる」ことだと思います。これは進路指導に限らず、生活や学習の場面についても言えることだと考えます。
正しい選択が行えるようになるには、幾つかの要件を満たす必要がありますが、そのうち最たるものは以下のようなところでしょうか。

  1. 信頼できる情報を、偏りなく十分に集め、判断の材料とすること
  2. 複数の価値が競合する場面で、優先順位を正しく設定できること
  3. 選択の場がいつ訪れるのかを知り、十分な準備を整えて臨むこと

1では、必要な情報は何かを特定し、それを効果的に集める力(土台となるのは「読んだり、聞いたりして、情報を集め、理解する力」です)を学校生活における様々な学びの場面で養っておく必要があります。
2では、「自分が何に価値をおいているのか/大切にしているのか」をきちんと知っておく必要があるはずです。「他人の価値」で物事を測った結果が、自分にとって大事なものと一致する保証はありません。
3を欠けば。追い込まれて拙速な(材料の不足と冷静さを欠いた)判断となるリスクも高まります。先を見通して、「その場」を迎えるまでにどう準備を進めるか考える習慣と方法を獲得できるかどうかです。
いずれも、先生方が傍についているうちは、カバーしてあげられる部分かもしれませんが、巣立たせた後のことまで考えて、必要な能力と姿勢を育んでいくことに重きをおいた指導が求められます。

❏ 信頼できる情報を、偏りなく集めて整理する

正しい選択をするための大前提の一つが、信頼できるソースを使って十分な情報を集めることであるのに異論はないかと思います。
進路指導の計画に沿って、各フェイズで必要な情報を生徒自身に集めさせることは、そのトレーニングの核となるはずですが、各教科の学習の中でも、探究活動の中でも同様の体験を積ませることが可能です。
それぞれが集めてきた情報を持ち寄り、グループのメンバーで突き合わせてみれば、使ったソース、調べた範囲の違いから、「これまでの自分の調べ方」の不足にも気づけるはずです。
また、調べ方の不足に気づかせるのには、「きちんと調べていれば、それなりに答えられる問い」を投げ掛けてみるのも効果的です。
集めた情報もバラバラのままでは、判断に使いにくい上に、情報の欠落/調べたりていないことの所在にも気づきにくいものです。
幾つかの観点を設けて、比較や検討がしやすいように情報を整理してみるのが好適ですが、その練習も至るところでできるはずです。

❏ 自分の価値観と照らして、より大切なものを選択

Aも良いけど、Bも捨てがたい。「迷い」は日常的に経験するものですが、繰り返される日々のことなら「今日はこっち、そっちは明日」というのも有りです。しかしながら、そういう場面ばかりではありません。
片方を選んだことが他方へのアクセスを難しくすることもあれば、先送りしたことでチャンスが遠のくことも多々あります。
どちらかを選ばなければならないなら、「より大切な方」が当たり前ですが、そこには「自分にとって」という但し書きがつきます。
自分がどんなことに引かれるのか/何に価値を置いているのかを知るのは、選り好みせず、様々なことに取り組んでみる中でのこと。
やってみて、自分がどう反応するか確かめることの大切さを、実体験の中で学ばせましょう。選択は人生を通じて続きます。

❏ 思考の縛り(思い込み)を解く方法も学ばせたい

また、正しい選択を妨げるものの一つに「思い込み」があります。厄介なのは「思い込み」ゆえに、それが自分の思考を縛っていることに、本人も中々気づけないことにあります。
誰かのふとした(ときに、違う状況下で発せられた)言葉が頭のどこかに張り付いて縛りになっていることもあろうかと思います。
本人も気づいていない「思い込み」が選択肢を狭めている場合、思考の縛り(思い込み)に気づかせるのは、周囲からの働き掛けです。
代案としての「こういう考え方もあるのではないか」との示唆が必要ですが、そこに「納得できるだけのロジック」が備わっていることと、その場の対話の相手(=示唆をする人)との間の信頼関係が大切です。
どちらか一方が欠けたら、「聞く耳」は持ちにくいはずです。力関係によっては「面従腹背」もあり得ます。(cf. 生徒と信頼関係を構築する
但し、「それは違う」と否定で入ると、それに対する反論の中で歪んだロジックを固めさせてしまい、却って頑なにさせてしまいます。
生徒自らが気づくように仕向ける「問い」の形をとる方が効果的なことも多いはずです。問われて考えて、自分で気づく瞬間に「思い込み」からの解放があるのではないでしょうか。
そうした役割を担ってくれる人が周囲にいないときにでも、自分で自分に問い掛けができるようになって欲しいもの。対話の中で、問い掛けを続けることは、「問いの立て方」を学ばせる数少ない手段の一つです。
何らかの不合理な思い込みに縛られていたら、集める情報にも偏りが生じます。普段から、多様な立場や意見を考慮して、広い視野で、独善や偏見を離れた「正しい判断」を行えるようトレーニングさせましょう。

❏ 選択の場を迎えるまでの準備を計画させる

必要な情報を集めて、十分な材料の上に判断/選択を行えるだけの能力を備え、自分にとっての価値を正しく評価できるようになっていても、その力を活かせるのは十分な準備期間が確保できてこそです。
学校では、年間行事予定は予め示されていますし、行事が近づけば担任の先生がそこに向けた取り組みをガイドしてくれます。

しかしながら、そうした「親切なサポート」が常に用意されているとは限らないのが学校外の世界です。そこでもきちんと「先を見通し、計画を立てて、準備を重ねる」ことができるようにさせたいところ。
後手を踏んでは、タイムリーに指導したら上手くいったはずの計画も、上手く機能しなくなるリスクが高まるばかりです。
準備を始めても、途中でもたもたしていれば、事態に先行され、最初に考えたアプローチでは役に立たなくなることもありそうです。
進路指導の各フェイズの中でも、模試や考査の結果を振り返って学習行動を改める中でも、こうした「見通しを立てて計画を起こし、行動に移す」ことの練習を積ませることはできるはずです。
3年間/6年間の中の限られた指導機会を、眼前の課題をクリアさせる(その場の結果を出す)ことだけでなく、将来必要になる能力や姿勢を育むことも念頭に、しっかりと活用していく必要があります。
■関連記事:

教育実践研究オフィスF 代表 鍋島史一