資料を与えて読ませる/探させる、そしてその先に

新課程の土台となった21世紀型能力では、その中核となる「思考力」を構成する要素に「問題解決・発見力・創造力」が挙げられています。cf. 全教科でコミットすべき能力・資質の涵養
思考力には、これ以外にも「論理的・批判的思考力」「メタ認知・適応型学習力」といった要素が含まれますが、それぞれに応じた「獲得のための学習活動」を適切に配置したカリキュラムが必要です。

カリキュラムは{学習内容×能力資質}で設計する


これらがどのような力であり、日々の授業の中でどう鍛えていくか、しっかりとイメージを作り、指導を計画していきましょう。基本的には、

  1. 資料を与えて(揃えてあげて)、そこから必要な情報を拾い上げ、まとめ上げる力を養うフェイズ[問題解決力:前段]
  2. 生徒自身に資料を探させて、信頼できるソースを選び、矛盾を見つけて対処できるようにするフェイズ[問題解決力:後段]
  3. 自ら集めた情報の中に問いを立てて、より深く考察させたり、自分事として向き合わせたりするフェイズ[問題発見力]

といった具合に段階を踏んで進めていくことになろうかと思います。
その先にある「創造力」は、獲得させる場が「総合的な探究の時間」に移ります。(cf. 調べたことの先に~新たな知と当事者としての関わり

❏ 問題解決に必要な道具立て(知識など)を揃える工程で

最初の「問題解決力」は与えられた問いに答えを導く力のことですが、題意を正しく理解した上で、所与の情報を正しく分解・整理し、答えに再構成する中では、手持ちの知識や理解が「道具」となります。
当然のことながら、手持ちの道具に不足がある場合、必要な知識や理解、情報を自ら手に入れる(調べる、質問する)力も求められます。
ちなみに、高大接続改革以降の入試で散見される「学習型問題」は、題意に含まれている初出概念を理解する読解力を求めることで、そうした力を高校までの教室で身に付けさせて欲しいとの意図によるものです。
新たな知識を得るには、資料などを自力で読んで理解する力(=必要な情報を拾いあげて、知に編み上げる力)が必要ですが、その資料は与えられる(≒先生が用意してくれる)ものだけではないはずです。
教室での学習(授業)以外では、必要な情報の所在を自ら探し、信頼できるソースを選び出すところから求められるのが普通。「先生が用意した資料を与えて読ませる」だけでは不足があるということです。
教室内外の学習活動の中に、生徒自身に「資料を探させる」というタスクも、しっかりと/計画的に組み込んでいく必要があるのは自明です。
探究活動は、その好機ですが、それだけでは練習機会は十分とは言えません。各教科の授業の中にもトレーニングの機会を整えましょう。

❏ 問いを与えて調べさせ、結果をシェアして矛盾に対処

資料を探させるといっても、「○○について調べてみよう」では、目的意識もはっきりせず、活動はぼんやりしたものになります。
問いを与えることで、「何について調べるのか、どんな情報を集めるのか」にしっかりと「焦点」を持たせることが大切です。
「〇〇について、以下の用語を用いて▲▲字程度で説明しなさい。参照した資料はリストにまとめて出典を明らかにすること。」
という、ストレートな問い/タスクでも構わないかと思いますが、学習方策の獲得が十分に進み、興味関心や学習意欲の高いクラスなら、
「〇〇について、■■という主張がある。これについて賛否を明らかにした上で、その根拠をデータや資料を添えて述べなさい。」
といった具合に(ちょっと高度な)思考や判断を求めたりするチャレンジングなものにした方が、良い反応が得られるかもしれません。
生徒は放っておくと、スマホでちょこちょこっと検索して、そこに書かれていることを鵜呑みにして調べるのをやめてしまいますが、「答えるべき問い」が設定されていれば話は違ってくるはずです。
答えを作るのに必要な情報が揃うまでは、調べる手を止められないでしょうし、答えを書きあげようとする中で「あれっ?」と思えば、さらに調べて見ざるを得ません。
生徒がそれぞれに調べてきたことをクラスでシェアすれば、競合したり矛盾したりする結果が持ち寄られることもあるはず。それらをどう処理するかを考え/話し合わせることで「矛盾を見つけて対処する」というPISAの定義による「読解力」を獲得する機会も設けられます。

❏ 問題解決力の先にある「問題発見力」

ここまでは、提示した問いに答えを作らせる中で、問題解決力を高めさせる活動ですが、その先にある「問題発見力」の獲得には、調べて分かった/学んで知ったことの中に「問いを立てさせる」ことが必要です。
日々の教科学習指導の中では、教科書や資料を読ませ、そこに書かれていることに問いを立てさせることになりますが、如上の「調べ学習」でも、調べて知ったことの中に改めて問いを立てさせてみましょう。

答えらしきものに辿り着き、掘り下げることもなく「ああ、そういうことね?」と分かった気になったところで調べるのを切り上げてしまうのと、「本当にそうなのか?」「どうしてそうなるのか?」「なぜそう言えるのか?」「別の考え方はないのか?」と考えられるのでは大違い。

後者のように自ら問いを立てて考えられるかどうか、知ったことをステップボードに次のアクションに繋げられるかどうかは、「情報を活かした正しい/より正しい生き方」ができるための要件のひとつです。
考えることは、問いを立てることにほかなりません。新たな問いを立てることで物事の理解や思考は深まっていきます。

❏ 授業外の任意課題と探究活動を通して問いに向き合う

授業時間には限りがあり、こうした活動を毎回の授業に組み込むのは到底無理かと。単元ごとの山場などで実施するのが限界でしょう。
その中で生徒がやり方に慣れてきたら、その後は余力のある生徒だけが取り組む授業外の任意課題として継続していくのもアリかと思います。

各教科の学びを通じた、こうした活動の経験と、そこで得たものは、総合的な探究の時間(探究活動)を進めるときの土台になるはず。
リサーチクエスチョンを正しく立てられれば、探究活動も実りの大きなものになるでしょうし、そこで立てた問いが「自分事」と捉えられるものであれば、進路意識の形成にも繋がっていきます。
別稿で、解くべき課題で「何のために学んでいるか」を伝えると申し上げましたが、自分自身で立てた問いなら、答えを見つけることへの意欲もより高いものが期待できるのではないでしょうか。
たとえ、そこで導き出した答えが間違っていたとしても、しっかりと問いを立てさえすれば、対象への関わりはより深いものになります。
自分事としての問題に向き合い、その解決方法を考え出すところに、第3の要素である「創造力」(=未解決の問題を解決するスキームを描き出す力[仮])を生徒が手に入れていく機会があるのだと思います。
21世紀型能力の「実践力」の構成要素である、社会参画力や持続可能な未来への責任もまた、その中で育まれていくのではないでしょうか。



各単元の学習内容を正しく理解し、知識を蓄えていけば、解内在型の問題(先人によって、既に正解と最適な解法が明らかにされている問題)への対処力は十分に身につくでしょうが、21世紀を生き抜く力としての「思考力」は別のところにあるように思います。
課題を前に(=PBLの要素を備えた授業デザインの中で)、自ら情報を集め、信ぴょう性を評価しつつ、課題の解決に必要な知を編んでいく経験と、理解したことの中に問いを立てて自分事として向き合っていく中にこそ、「問題解決・発見力・創造力」は育まれるのだと思います。
先日、NHKで放送されていたコズミックフロントでは、量子論と相対論が統合に向かう契機を作ったホーキンスの仮説についてレオナルド・サスキンドが「答えが間違っていたことはさして重要ではない。大事なことは彼が正しい問いを立てたということだ」と述べていました。
既に知られていることをしっかりと学び、巨人の肩の上に立って、正しい問いを立てられる生徒を育てることが、目指すべきところかと。
教科書をきちんと読ませることや参照型教材を徹底的に使い倒すことを生徒に求めることは、こうした能力を獲得させる指導の序章、土台作りとして欠かせない初期のステップなのだと改めて感じています。

教育実践研究オフィスF 代表 鍋島史一