メモに起こす内容には、2つの種類があります。ひとつは、相手の発言などを記録するもの。講義を聞きながら大事だと思ったところをノートやレジュメの余白に書き込むのはどなたも行っていると思います。
もう一つは、相手の発言に触発されて、自分が感じたこと/考えたこと/思いついたことなどを文字に起こしたもの。こちらは、メモに残しておかない限り、後で思い出せなくなったら復元のすべがありません。
その場でせっかく得た気づきや着想も、痕跡なく消失してしまえば、その先で拡張したり、他の発想と融合したりするチャンスを失います。

2016/03/22 公開の記事を再アップデートしました。
❏ 他人の発言なら、確認・補完の手立てはあるが…
授業を受けているときに、しっかりと手が動いている生徒もいれば、板書されたことを書き写すとき以外「不動」を通す生徒もいたりします。
先生が話したことを一言も漏らさないと言わんばかりに、筆記具を動かしている生徒でも、近くに寄って手元を覗き込んでみると、ノートには先生の発言を断片的に切り取って文字にしているだけだったりします。
先生の説明を書き留めることは大事ですが、それしかノートを取れていないようなら、「考えながら聞く」段階はまだということでしょう。
その場で考えながら聞いていたら、疑問を持ったり、対象に主体的な関わりを見出したりするはず。相手の発言を書き留めただけにはならず、自ら考えたこと、気づいたことも、もっと文字になっているはずです。
教わったことをそのまま覚えれば良いという「学習観」が、相手(=先生)の発言だけで埋まるノートを作っているのかもしれません。
先生の話なら、聞き落としたり、書き取り損ねたりしても、あとで質問しにいけば、また教えてもらえます。「なぜちゃんと聞いてなかった」と叱られることはあっても、「情報が復元できない」という事態は避けられます。実害もリカバー可能な範囲にとどまるはずです。
しかしながら、話を聴く間のある瞬間に頭に浮かんできたこと/気づいたこと、そこから自分が考えたこととなると、まったく別の話です。
❏ 自分の中に生まれたアイデアや思いは…
自分が感じたこと、考えたこと、思いついたことは、どんなに素晴らしいものでも、メモ(=備忘録)に起こすことなく、そのままにしては、時間の経過とともに記憶から消え去り、想起できなくなります。
メモは、記憶の補助であると同時に、思考を一度外に出し、後から扱える形にするための道具。「思考を拡張するための起点作り」です。
年を取るにつれて「あれ、何をしようとしていたんだっけ」という瞬間が増えてきますが、若者でも「思考の処理」は一度にたくさんの情報を保持できない「短期記憶」で行われるため、次の情報が入った途端、処理が終わっているかどうかに拘らず、上書きされて消えてしまいます。
上書きされて消えてしまったものは、それが何であったか、周りの誰もわかりません。頭の外にメモとして書き出されていなかったら「復元」のすべがないということです。
素晴らしいアイデアでも、誰かに伝えなければならないことでも、思い出せなければ何にもなりません。何かの折に再び同じ話を聞くチャンスがあっても、同じことを思いつけるか、保証の限りではないはずです。
❏ 考えを書き留めることで、さらに広がる可能性
自分が書き起こした文字を見ると、それが刺激になり次の新たな思考が生まれることが多々あります。そうした思考は互いに結びつき合って、やがてまとまりのあるものを形成します。
いつか手に入るはずの「パズルの最後の1ピース」に出会うまで、それまでに考えたこと/思いついたこと/気づいたことを想起可能な状態に保持できているかどうかが、ブレイクスルーやイノベーションを生み出せるかどうかを分ける、と言っても良いのではないでしょうか。
保持と想起が保証できない頭の中の「記憶」に置いておくのでは、その可能性をどんどん小さくしてしまいそうです。先に書いたこととも重なりますが、「ノート上に残されたメモは、次の思考の足場」です。
自分が書いたものも、暫く時間が経過して、様々な出来事を経験した後にみると、また違った気づきを与えてくれます。
気づきや考えを言語化して残しておくことは、後の「化学反応」に備えて材料を蓄えておくこと。その反応の大きさはときに予想を超えます。
このブログもそうですが、後で読み直すと、記事を起こしたときに想像もしなかった「他に繋がる道筋」が見つかることも少なくありません。
あちらこちらに書き散らかしたメモは散逸しがちです。単元ごとに起こされる各教科の授業ノート、体験ごとに綴られるポートフォリオなどに残しておけば、様々な「学びの記憶」を頼りに、目的のメモにたどり着くのも容易なはず。文字列検索ができれば、なお好適かもしれません。
❏ メモを取る力は、授業への集中力も高める
授業中に、生徒が集中力を欠くのは「やることがないとき」です。問い掛けられてもいないので、考える必要がない。課題が与えられていないから手を動かす必要もない。そんな中で集中力を保てなくなって、居眠りしたり、私語が始まったりして、要点を聞き逃します。
しかしながら、2つの種類のメモ(外から入ってきた情報を書き留めるものと、自分の考えや気づきを文字に起こすもの)のうち、後者の重要性をしっかりと伝えて理解させ、次々に入ってくる情報に能動的に関わりを持つ習慣を持たせれば、生徒は「考えながら聞く」というタスクを常に持つ/認識することになります。
メモを取らせることは、授業中の集中を保たせる「小技」ではなく、学習者が授業に能動的に関わり続けられるための方策だとお考え下さい。
初期の段階で、このようなメモを取ることを促し、習慣化させることができたら、授業に臨む姿勢、集中の度合いもずいぶん違ったものになりそうな気がしますが、いかがでしょうか。
蛇足ながら、打ち合わせの席でメモ帳を手放さず、ときに相手の顔もろくに見ないでメモに熱中している新社会人を見ると、「真面目にやってるね。頑張れよ」とねぎらいの言葉の一つもかけてあげたくなります。
しかしながら、聞くのが精一杯で「主体」として考えることができていない場合、相手の発言の断片をコピペしたかのようなメモしか取れず、へんなところを誤解していたり、軽重を取り違えてポイントを掴めていなかったりすることも少なくありません。
もしこれが、生徒/学生だったときに第二のタイプのメモの重要性を知り、そのスキルを高める機会がなかった結果だとしたら、指導してきた側にも、少しばかり反省すべきところがあるように思います。
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教育実践研究オフィスF 代表 鍋島史一
