学びの個別化と授業者に課される役割の変化

昨日(8月26日)の朝刊に、今春に本格導入となったデジタル教科書で教室に起きた変化を紹介する記事が載っていました。(デジタル教科書使うほど「主体的学習」に、授業が課題
生徒がそれぞれ自分のペースとやり方で勉強を進められ、学びの成果や過程を端末を通じてシェアできることは「主体的・対話的で深い学び」の実現を容易にすると同時に「学びの個別化」も加速していきます。
最初の利点(自分のペースと方法)で、説明を聴かせるのが中心の従来型授業に比べ、理解形成はより確実になるはず。「教える」から「学ばせる」に転換を図らないでいると、学びのブレーキになりかねません。
生徒が自力で/主体的に学べる部分が増える以上、先生方が「教えること」に自らの存在意義を見出していては、役割を担えなくなります。

❏ 問いの設定と、それを軸にした授業のデザイン

デジタル化で学びやすい教科書に変わったとはいえ、生徒が「学ぶことへの自分の理由」を持たない状態のまま、学習範囲だけを示して「さあ頑張ろう」と声を掛けたところで、期待通りの動きにはなりません。
頑張る理由/学ぶ意義を見出せない生徒は、取り組みもダラダラ。当然の如く、成果も大きなものにならず、モチベーションの原資たる達成感の供給も小さいため、学ぶ意欲も中々大きくなって来ません。
別稿でも書いた通り、教科書で学んだことに基づき、思考や対話を重ねて解を導くべき「問い」の存在が、学びに目的と主体性を作ります。

活動そのものが評価の対象になるような、適切な問いが設定できない/問いによる到達目標提示に馴染まない場合は、観点別の段階的な評価規準(ルーブリック)やチェックリストで「ゴール」を示しましょう。
目指すべきところ(到達目標や活動目標)が明確になってこそ、取り組んだあとの振り返りにも確固たる「基準」が持て、「進捗と改善課題を捉えた学び」「次に向けた課題形成と目標設定」が可能になります。

❏ 取り組み方を考えさせることも、大事な学習

ゴールさえ示したら、「どうやってそこに到達するか」は生徒に考えさせましょう。やり方を教え、それに従わせるだけでは、解決法が未確立の問題へのアプローチを練習し、学ぶ機会にならなくなります。
もし、生徒が個々に考えるだけでは行き詰るようなら、「話し合い」で知恵を持ち寄らせてみましょう。分散知の活用を学ぶチャンスです。
考え尽くしてやってみて、その結果を踏まえて、より良い方法/上手くいく別の方法を考え出していくことが、「学びの改善」や「メタ認知・適応的学習力の獲得」に繋がるはず。「教える」のは最後の手段です。

あれこれ考え、時に失敗しながら、より良い学び方を身に付けていくことが「学習者としての成長」であり、生徒が個々に抱える目的や課題に沿った学びが(卒業後にも)できるようになるための大前提。学習方策は課題解決を通して身につくことを念頭に指導をデザインしましょう。

❏ 問いが与えられるのを待たず、自ら立てる姿勢を

進化する道具(デジタル教科書やICT)を効果的に活用するには、起点となる問いが必要なのは、前述の通りですが、誰かが問いを与えてくれるのを待つしかないというのでは、学びとして「依存的」でしょう。
せっかく学びやすい(自学しやすい)教科書が手に入っているのですから、生徒に教科書をきちんと読ませる(=自力で必要な情報を集め、知に編む)ことにはこれまで以上の注力が必要ですが、さらに踏み込み、生徒に問いを立てることを求め、その力の獲得を図りましょう。

当事者としてより良い社会の創造に参画するにも、21世紀型能力の実践力の一つである「持続可能な未来への責任」を果たすにも、先ずは、目の前にある現実をしっかりと観察し、その中に問題を見つける(=問いを立てる)ところからだと思います。
物事を観察し、問題を見つけ、その解決への工程を考え出すこと(=創造)は、「既に誰かが解き明かしたこと(≒教科書に書かれたこと)を学んで知ることの先にある、別のフェイズに存在する活動です。
わかっていることを知るだけなら、デジタル教科書などの活用で効率化が図れますが、問題発見、問題解決・創造は人間だけの営みです。探究活動を含めた教育活動全体での学びで、その主体を育てましょう。

単に「問いを立てろ、問題を見つけろ」と発破をかけても、そのやり方を全く知らない(経験もない)のでは、生徒もやりようがありません。日々の授業の中で、そうした体験をさせていくことが大切です。

生徒が個々に調べ・考えて、起こしてきた問いを、ICTを介して共有すれば、物事の見方や捉え方、同じものに触れたときの気づきの違いなどを、生徒が互いに学ぶ「相互啓発」の好適な機会になるはずです。
蛇足ながら、「観察の力」と「問いを立てる力」は、社会の中でいかなる役割を引き受けるときも、最も大切なもののだと思います。

❏ 予習や復習の位置づけを見直し、レディネスを整える

デジタル教科書の導入で、予習や復習(授業準備や仕上げと拡張)も、これまでより行いやすくなりました。生徒が個々に取り組めるところは生徒に任せ、授業は「教室でしかできないこと」に集中しましょう。

新しい道具でできることが増えると、それだけでもわくわくしますが、予習や復習を含めた「学び全体のデザイン」をやり直さないと、部分的な工夫だけでは、他の箇所に無駄が残った/生じたりするものです。
また、「行いやすく」とは言いましたが、すべての生徒が同じように新しい道具を使いこなせるわけではなく、できる生徒はどんどん工夫して活用のスキルを上げ、そうでない生徒は同じ場所に止まったまま。教室に「新たな学力差(ツール活用のリテラシー格差)」が生まれます。
日々の授業の中で、新しい道具をきちんと使わせ、且つ活用が不十分な生徒の学び(成果と過程を共有することによる「生徒間の相互啓発」が優先で、先生からの指導や助言はあくまでも補完)も確保しましょう。

❏ AI時代における、授業者としての役割

前述の通り、学びの文脈(教科書に書かれていること、生徒同士の話し合い/発表など)の中に「適切な問い」を立て、それを起点に課題解決や対話協働などの学習活動を効果的に配列するところにこそ、授業者としての仕事と「腕の見せどころ」が残るのだと思います。

生徒の問い(質問や疑問)に答えるのは、生成AIがかなりのところまで代替してくれますし、生徒にとっても、先生が順番に対応してくれるのを待たずに済むのは大きなメリットです。
既にわかっている情報を集めて「答え」に編んだり、必要な情報を探し出すのを手伝ったりということでは、AIの方が守備範囲も広い(何といっても参照先が膨大)上に、スピードも段違いの早さです。
しかしながら、観察した事実の中に問題を見つけたり、それらを解決してどんな世界を創り出すべきなのかを描いたりするのは、(少なくとも当面は)人間がやるべきところに違いないはず。AI時代にヒトがアドバンテージを持ち得るのは「問いを立てる力」だと思います。
本稿のタイトルに含む「学びの個別化」という点でも、ひとまとまりの課題(設問)を与えて、その正誤から「個々の生徒が獲得している知識や理解の分布(欠落や偏り)」を判定し、それを適切に補う教材を提示するような機能は、かなりのところまで実装が進んできています。
ここでも生身の先生方が、AIなどの向こうを張ろうと苦労をする必要はなさそうです。その分、個々に頑張る生徒の様子を注意深く観察し、不足を補う支援をしたり、その結果を指導の計画や授業のデザイン(=活動の配列)に反映させたりすることに力を注ぎましょう。



従来型の「教授」をメインとするやり方は、生徒を社会に適応させるための訓練であり、必要とされる知識や技能を効率よく獲得させることを目的としたもの。そのために教え込みも増え、しつけが優先されます。
一方、これらからの「学び」は、社会への適合の先、「より良い社会を創るメンバーを育てる」ことを目指します。現状が抱える問題が何であるかを特定し、社会はどうあるべきかを思い描き、それを実現する工程を考え出せる人材の輩出が、教育の使命に変わりました。
最新のPISAでは、創造的思考力のオプション調査が行われました。日本は調査に加わっていませんが、世界は「やってみせ、言って聞かせて」では通用しない世界を想定した教育への転換が進んでいます。

教育実践研究オフィスF 代表 鍋島史一