思考のための道具は知識です。どの単元を学ぶときでもある程度まで体系的な知識を整えさせないと、その先に取り組むべき思考・判断・表現といった活動には進めませんが、体系的な知識を形成しようと先走り、導入フェイズから長々と説明を聞かせては生徒は退屈するばかりです。
その日の授業で学ぶことに「興味」や「理解する必要性」を感じ取る前にあれやこれやと説明を聞くのを苦痛と感じる生徒もいるでしょうし、抽象概念を消化するのが苦手な生徒は、先生の説明を具体的なイメージと結び付けられずピンとこないまま不明を積み上げてしまいそうです。
答えを導くべき問い/解決すべき課題が示されなければ、何を学ぼうとしているのか生徒は具体的なイメージを持てません。
❏ 体系的な理解の形成を先行させることの弊害
教科書に書かれていることや、それを拡張した内容を理解させた上で、そこで学んだことをもとに思考力などを発揮させる活動に取り組ませるという手順は、昔から広く用いられているものです。
前半部分に当たる「体系的な理解の形成」の段階では、生徒はまだ「学んだことを用いて解決すべき課題/答えるべき問い」を示されていないので、何のために学ぶのか/どんな必要性があるのかピンときません。
別の言い方をするなら、学ぶことへの自分の理由を見出していない状態です。学び終える前に退屈してしまうのも無理からぬところ。問題意識も刺激されていませんので、大事なところを聞き落としそうです。
こうした弊害を防ぐには、学びの入り口からできるだけ近いところで、学ぶ理由を知るための具体的な課題(=知識活用の場)を示す必要があります。抽象思考に不慣れな生徒が多いクラスでは、その課題もできる限り身近なところから引っ張ってきてあげることが肝要です。
学びへのモチベーションがあまり高くないクラスでは、「生きるための切実な問題」を切り口にする必要もありそうです。
❏ 解くべき問い/理解したい事象を学びの入り口に
理論から入る如上の「伝統的アプローチ」に対して、「具体的な事例から入り、一定の学びを重ねてから理論に帰着させる方法」もあります。
その日に学ぶ概念や知識が理解の手掛かりになったり、解決法を与えてくれるような事象や問題を「学びの入り口」にするやり方です。
イメージするには、PBL(課題解決型学習:Project Based Learning)を思い浮かべていただくのが手っ取り早いと思います。
事例(資料やデータ)を一つ示しておき、「教科書に書かれていることに基づいて説明するとしたらどうなる?」という問いを投げかけてから自力で教科書を読ませるというやり方もあります。
先般、見学させていただいた授業では、生徒一人ひとりが教科書を読んで考えた後に、グループで持ち寄って「説明」をまとめていましたが、既にここまで取り組んだ後なので、その後に先生が行った補足を含めた解説講義への理解度もかなり高いものであるように感じました。
授業時間をもっと有効に使うなら、個人で教科書を読んで考える部分は次の授業までの「宿題」にする手もあります。次の授業への橋渡しをどのフェイズで行うかの変更だけなので特に複雑なことはありません。
同様に、事例を示した上で、それを説明できそうな理論を教科書に書かれていることに加え、幾つか他の選択肢を配布資料で示し、それぞれの説明を読んで理解させたうえで、どれが一番上手に事例を説明できるか考えさせるという、意欲的な実践もお見掛けしたことがあります。
❏ 文法学習などの基礎的知識を獲得させる場面でも
このやり方をもう少し拡張して考えると、英語や古文でテクストを読み進める中で、文法や語法などの未習事項に行き当たるたびに辞書や参考書、先生の説明で必要な知識を獲得していくのも同様の手法でしょう。
解決すべき課題、理解したいテクストを目の前に置かれていますので、調べたり教わったりして獲得する知識のひとつひとつが、自ずと一定の意義を持ち得ますし、その場で生きて働きもするはずです。
課題やテクストそのものが、生徒にとって興味を持てるものであれば、その解決や理解に必要な知識への「獲得の欲求」が刺激され、学びへの食いつきも大きく違ってくるのではないでしょうか。
どんなテクストを用意するかに加え、どんな問いをセットして「テクストとの対話」を促すかによっても、効果的な「学びの入り口」を作れるかどうかが左右されます。
文法や語法だけを取り出して学ぶのは無味乾燥になりがちですよね。面白味を感じないまま表面的な学びを続けていれば、学び終えたときに蓄積された知識・理解は曖昧で欠落の多いものになっていそうです。ましてや、生きて働くものになっているかと言えば、甚だ疑問です。
❏ 入り口となる良問の収集・開発には先生方の協働で
前者の「理論から入って実例に落としていく方法」と、後者の「事例から入って理論に帰着させる方法」を比べてみた場合、生徒の視点で学ぶことへの自分の理由の見つけやすさでは、後者に軍配が上がりそうですが、ネックになるのは「適切な問いや事例を常に用意できるか」です。
適切な問いや事例は、その場で探そうとしてもいつも簡単に見つかるとは限りません。良問のストックを日頃から心掛ける必要があります。
先生方がお一人で頑張るよりは、教科内で、あるいは他校の先生も交えた協働で、好適な問題の収集や開発に当たった方が、効率的です。実際に授業で使ってみた上での問題のブラッシュアップを重ねて行くにも多くの先生方の知見を持ち寄った方が面白いものになりそうです。
大学入試や高校入試の問題は、ちょっと違った立場から問い方を研究した成果を発表してくれているものですから、それらも大いに活用したいものです。(cf. 出題研究を通して”問い方”を学ぶ)
同じ問いや事例を用いた授業を、それぞれの先生方が最善と思う方法で扱った結果(=指導効果)を比べてみれば、より良い方法を抽出し、そこから更に練り上げていくときの方向性も得られそうです。
❏ 学びを入り口で終わらせない、仕上げもきっちり
学びの入り口に近いところ(=導入フェイズ)で用意した問いに一定の解を導いたとしても、そこで終わりにしては、せっかくの理解は単元の学習内容の一部に止まってしまいます。
PBL型の授業では、生徒の学習活動(調べる、話し合う、表現するなど)に多くの時間がかかり、ターゲット設問に解を導くところで時間切れになってしまうことが少なくありません。
掘り下げは得意でも、単体では知識の拡張や体系化という機能を備えないのがPBLという方法の「特性」です。
深いながらも局所に止まっている理解を、どうやって単元全体を俯瞰し得る体系的で広い知識に昇華させるかも併せて考える必要があります。
学び終えたあとの「まとめのフェイズ」では、知識の体系化を目的とした解説を行ったり、周辺的な知識に学びの範囲を拡げて理解の肉付けを図るタスクに取り組ませたりするのを忘れないようにしましょう。
当然ながら、授業後には、ターゲット設問に立ち戻り、しっかりと答えを仕上げさせることも忘れないようにしたいものです。
理論(体系的理解)から入るか、実例(解決すべき自分事として感じられる課題)から入るかは、授業デザイン上の大きな分岐点になります。
単元内容などによって、常に一方が正解で他方が誤りということではありませんが、学びというプロセスを考えるときに、事例を入り口にした方が有利に働きそうですし、実例を通して具体的なイメージを携えさせてからの方が、不可欠でありながら抽象的になりがちな学問的な俯瞰/知識の体系化もスムーズに進む公算が高そうな気がします。
資料やデータで示された事例を理解するには、一定の知識体系を携え、そこに土台を置いた観察が必要です。しかしながら、理解すべき事例や解決すべき問いが存在しないところでは、知識の必要性も生まれないのではないでしょうか。
教室でしかできない学びを充実するにも「問いを軸に授業を設計」するのは、効果的な手段になろうかと思います。
教育実践研究オフィスF 代表 鍋島史一