カリキュラムを活かす、目的意識を持った科目履修

各教科の内容をしっかり学習させつつ、21世紀型能力を構成する様々な能力・資質を獲得させるべく練り上げられたせっかくのカリキュラムも必要な科目を必要な生徒が正しく選択して履修してくれないことには、本来備えている性能を十分に発揮できません。
嫌いな科目を避けたり、受験情報誌などが示すモデルパターンを鵜呑みにしたりの履修科目選択では、いざ出願校を選ぶときになって落とし穴に入り込んでいることに気づいたり、進学後になって高校で履修しなかった科目の知識が必要とされたりといった「危険」をはらみます。

❏ 目的意識をもって科目選択に臨ませる

履修科目選択に限りませんが、「選択が正しいかどうか」は「目的とするところとの整合性」で決まります。「なぜこの科目を履修するのか」という問いに対して生徒一人ひとりがしっかりとした答えを持たなければ科目選択が妥当なのかの判断すらできないことになります。
冒頭にあげた「危険をはらむ科目選択」の例では、そうした答えを生徒は持っていないはずです。
志望校がすでに決まっていれば「志望校への合格に必要だから」という外在的な理由くらいはあがるでしょうが、「受験では日本史や世界史も選択できるけど、なんで政治・経済なの?」と突っ込まれて答えに詰まるようでは、その科目を学ぶことへの自分の理由はなさそうです。
中には「政治・経済の方が教科書が薄いから」と答える素直な生徒もいますが、それは「日本史、世界史を選ばない理由」であって、「政治・経済を学ぶ理由」ではありませんよね。
───「総合的な探究の時間での活動を通して、行動経済学を学んでみたいと思いました。勉強できる学部・学科を調べてオープンキャンパスに行って話を聞いてみたら、高校の政治・経済はしっかり勉強しておかないと改めて思い、履修することに決めました。」
履修の理由を聞かれてこのくらいのことを言えるようなら、目的意識は十分でしょう。志望理由書や学修計画書だってしっかりしたものが書けるでしょうから、総合型選抜(AO入試)だってうまく行きそうです。

❏ 教科学習指導、探究活動、進路指導の一体設計

最もシンプルで明確な履修理由は「面白いから」「好きだから」です。大切にしてあげたい理由ではありますが、これだけで履修科目を選択すると、どこかで進路と結びつかなくなるリスクも生じます。
進路という大きな課題が先に待っている以上、ある科目群を学ぶことがどこに繋がっているのか知る必要がありますが、正しい選択の前提となるのは「明確な進路意識と学びの理由」を生徒が持っていることです。
学習指導、進路指導、探究活動で作るスパイラル の中で生徒一人ひとりがどこまで明確な進路意識を形成できるかどうかが、カリキュラムが設計通りの性能を発揮できるかどうかを半ば決定してしまう、と言っても過言ではありません。
新課程に向けたカリキュラム作りでは、各教科の授業と総合的な探究の時間、進路指導を一体で設計・運用することを改めて目指しましょう。
21世紀型能力の「実践力」に列記されている「自律的活動力」「人間関係形成力」「社会参画力」「持続可能な未来への責任」を獲得できるかどうかも、進路指導や探究活動によるところが大きいはずです。

  • 身につけた能力・スキルを使って、どのように社会に参画し、責任を果たすかを考えるのが「進路指導」
  • やがて突きつけられる“解法が未確立の課題”を解決する方法(新たな知)を生み出す方法を学ぶのが「探究活動」

カリキュラムを考えるとき、各教科の学習指導にばかり目が向きがちですが、教科、進路、探究の各指導を一体のものとして考えて設計に当たらないと、新しい学力観の求めは満たせないと考えるべきです。
限られた時間枠に様々な要素を効率的に組み込むにも「重なり」の上手な活用が欠かせません。ひとつの活動の成果を他で利用する「関連性」を高めることも重要です。(cf. 教科学習指導と探究活動の重ね合わせ

❏ 教科×探究×進路を一体化させるちょっとした工夫

一体での設計・運用といってもさほど複雑なことではありません。普段の指導の中でのちょっとした工夫で実現に近づけます。
例えば、日々の教科学習指導の中で、「探究から進路へのきっかけを作るプラス α の一問」を提示するのを習慣にすれば、生徒が探究テーマを見つけるときの有為な支援になるでしょう。
各教科で身につけさせた汎用スキルや学習方策を発揮する場として、探究活動を位置づければ、日々の授業に取り組む中で様々な能力・資質を身につける必要性に生徒は気づくはずです。
また、生徒に探究活動のテーマを設定させるときに「好きなこと/興味のあること」という目的意識の希薄なのを許容するかの如き表現を不用意に使っては「探究活動の目的から考えるテーマ選び」が遠のきます。

❏ 必修科目にも「学ぶことへの自分の理由」は不可欠

必修科目は、当然ながら生徒が選ぶものではありませんが、「目的意識をもって履修する」という要件を満たすべきであることは、選択科目の場合となんら変わりはないはずです。
必修になっているからには、生徒全員が学ぶ必要性がそこにあるはず。それを掘り起こさずに「必修だから履修しなきゃいけないよね」と突き放しては、生徒も納得して学びに向かえないのではないでしょうか。
目的として示すのに好適なキーワードは、「認知の網を広く、偏りなく張らせる」と「学ぶことで学び方を学ぶ」の2つだと思います。
認知の網を広く、偏りなく張ることは、必修科目を中心に好き嫌いなく様々な科目を学ばせる理由の最たるものだと思います。
将来、どんな知識が必要になるかは誰も正確に予想できません。何か知らなければならないことに出会ったときに、それが認知の網に引っ掛からないことには、それが何であるか当たりもつかず「わからないことがそこにある」ことに気づくことすらできません。
当たりがついても、過去に学んだことが痕跡としてでも記憶のどこかに残っていないと、検索のためのキーワードすら思い浮かばす、ネットで調べることも困難が生じるのではないでしょうか。

また、科目を学ぶことを通して身につけた「学び方」は、将来どこかで学ぶ必要が生じた/学ぼうとしたときに自分を助けてくれます。
自力で学べる素地(基礎力+学習方策)が備わっていれば、必要に応じて学びを重ねて課題をクリアすることができるでしょうが、学びを避けてきた結果、学び方を学んでいないとそうは行きません。
例えば、商品企画の仕事に就いて市場調査の必要性から統計学を学ぼうと思い立っても、教科書を自力で理解する力もなければ、入門書すら読めず勉強はちっとも進みません。高校の学習で基礎的な概念に触れていた場合と、全くのゼロから学ぶのとでは大きな違いが生じます。
科目を学ぶことの目的を、学習内容の中に求めるのではなく、内容(コンテンツ)を学ぶ中で身につける能力・スキル(コンピテンシー)で語る方が、合理的な説明になるように思いますが如何でしょうか。



ある科目が苦手で嫌いといって学習に消極的な生徒には、「苦手なのはこれまでの学び方が悪かったからかもよ」と伝えてあげましょう。勉強を好きにさせる学ばせ方というものは実在し、それまで嫌いだった科目が好きになる生徒も一定数に上ることを示すデータもあります。
次稿「”学びの拡張”まで考慮したカリキュラムの設計」に続く。

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教育実践研究オフィスF 代表 鍋島史一