大きな問いに挑ませるとき~問いの分割と準備の学習

与えられた問題が大きすぎて、どこから手を付けていいものやら見当もつかないときがあります。そのまま何の手立ても打たず、問題の加工もせずに教室に持ち込んで生徒に挑ませたとしたら、生徒の手と頭は止まったまま、貴重な時間を失います。下手をすれば「わからない、できない、手に負えない」という印象だけを残すことにもなりかねません。
別稿「入試問題を授業の教材に使うときに」でも申し上げましたが、こうした場合、いくつかの切り口を与えて問いを分割する「問いの加工」や、土台を整えさせるための「準備学習」が必要になります。

❏ 大きすぎる問いのままでは、取っ掛かりが作れない

大きく複雑な問題ほど、切り口はたくさんあるもの。(故に、現代社会が抱える諸問題の多くは、その解決に様々な分野の専門家が、互いに知と技術を持ち寄る必要があるのですが…)
例えば、この記事を最初に起こした頃は、「待機児童問題」が論じられることが度々でしたが、施設数や職員数に焦点を当てる議論もあれば、対象者をカウントするときの基準に疑問を投げかける意見もあり、保育所増設に際して費用対効果の最大化こそが大事との主張もありました。
日々の教科学習指導において、単元内容と接点のある身の回りの問題を生徒に考えさせるときのお題でも、切り口はいくらでも作れます。
関連する報道記事や書籍に当たらせて、様々なアプローチから「課題研究」ができれば素晴らしいと思いますが、いきなり生徒にこれを投げ掛けても、生徒は受け止めきれるとは限りません。
下手をすると、ファーストめがけて投げた渾身の牽制球がフェンスまで転々と転がっていくかのような寂しい光景になりそうです。
切り口をある程度まで作ってあげて、そこから学びを掘り下げさせ/広げさせていくのが好適ではないでしょうか。

❏ 切り口を見つけさせるための準備学習

問題に切り込ませようにも、生徒がベースとなる知識や理解を備えていない/決定的に欠けている状態では、学びは狙った通りに進みません。
こうした場合、様々な切り口で論じているコラムや社説などを集めておき、準備学習として生徒に読ませてみると入り口がうまく作れることが多いようです。教科書の該当範囲をしっかり読ませるのもお忘れなく。
当然ながら、資料を集めたり、進行の手順を考えたりするのは、先生方にとっても大きな手間。授業準備に小さからぬ負担がかかります。
ましてや、課題学習のテーマを決めてから材料集めに奔走するというやり方/順序では、授業に間に合わなくなることもあるでしょう。準備のゴールが見えず、焦ってストレスも抱えます。
日常の生活を送りながら、新聞、雑誌などで見つけた記事を、ランダム(使う場を特に想定せず)にスクラップしつつ、容易に探せる(検索できる)状態に整理しておかないと、授業デザインも思うに任せません。
資料のストックには、一緒に取り組める「仲間」を持ちたいもの。自校の同僚に限る必要はなく、大学の同期、あちこちの研修で知り合った他校の先生などいるはず。クラウド上で共有するのも簡単になりました。

❏ 個々の興味・関心に合わせたグルーピング

分割した問いは、一つひとつ取り上げて、順番に処理していくのも良いのですが、各単元に割り当てられる時間には自ずと限りがあります。
切り口をいくつか用意したら、生徒をグループ分けして「分業」で取り組ませることが必要な場面もあろうかと思います。所謂「ジグソー法」ですが、各グループの成果を発表という場を通して共有すれば、広い視野で深く学んだ成果を(間接的にですが)得ることもできます。
どの観点(立ち位置)から論じるかを選ばせるとき、機械的にグループを分けてしまうのが普通かと思いますが、生徒の興味や関心の所在に応じてグループを作らせるという方法もあります。
用意してきた資料の読み込みや、ひと通り資料を読み終えた後の論点整理を終えたら、どの切り口に関心を持ったか、どのアプローチで問題を考えたいか、生徒一人ひとりに意思表示をさせてみましょう。
機械的に割り振られたグループでは、しらけムード漂う集団や、自分の興味を満たせないことで不満を感じる生徒の出現も想像されますが、関心の所在でグループを作れば、より積極的な取り組みも期待できます。

❏ 一人ひとりに役割を与えて、フリーライダーを出さない

別稿「正解がひとつに決まらない問題」でも触れた、「一つの課題にも様々なアプローチや考え方があることを生徒が知る必要」は、多様な立場から書かれた資料を読み、他の生徒と意見を交わすことで、かなりのところまで満たせるはずです。
しかしながら、グループで取り組んでいると、後ろに下がったまま傍観し、何もせずにその場をやり過ごそうとする生徒も出てきます。
その場ではグループとしての答えは出ますので、当座の困りごとは起きませんが、その場のコミュニティを離れてその生徒が何をできるようになっているのか、かなり疑わしいような気がします。
協働の場面でも、一人ひとりの行動や発言には目を配り、その取り組みをしっかり評価し、必要なフィードバックを与えましょう。

活動を重ねさせる中で、考え尽くした結果を伝えることはコミュニティへの貢献であるとの意識をしっかり持たせていくことも大切です。
また、協働での活動を終えたら「学びの仕上げ」に個人のタスクとして取り組ませているでしょうか。答えを仕上げる中で学びは深まるもの。協働学習を”集団としての調和”で終わらせないことにも注力です。



そのままでは大き過ぎる問題を、深くかつ広い視野で効果的に学ばせるための仕掛けについて考えてきましたが、準備学習で視野を広げ、問いの分割で学びを多角化することには、「判断力」や「より高度な問題解決力」を身に付けさせることにも寄与するはずです。問題を上手く切り分けられなければ、出口/解決への道筋も見えてきません。
どこに軸を置いて問題にアプローチするか、判断をしなければならない場面は、受験に限らず、社会生活、職業生活のいたる所にありますが、その土台になる「物事の多様な見方」を身に付けさせる方法の一つが、本稿でご提案した仕掛け/授業デザインだと思います。
この辺りについて考えるところは、拙稿「判断力をどう考え、育て、評価するか」と「多様性をどう評価するのか」でも文字に起こしました。お時間の許すときにご高覧をいただければ光栄です。

教育実践研究オフィスF 代表 鍋島史一