活動させるだけでは学ばせたことにならない

授業のデザインでは、従来の「教えること」から「学ばせること」に発想を切り替えていく必要がありますが、生徒を学習活動に取り組ませることを自己目的化してしまえば、深く確かな学びは実現しません。
よく言われる「教え過ぎない」というのは、生徒に取り組ませるべきことを不用意に肩代わりしないということですが、これを曲解してしまったのか、「生徒に活動をさせるだけで、きちんと学ばせていない授業」が生まれてしまっているようにも感じます。

❏ 教えることと学ばせることを正しく組み合わせて

教えることと学ばせることのバランスを正しく取るのは容易なことではないと思いますが、基本的な考え方(判断基準)としては、

  1. 生徒に出来ることは不用意に肩代わりせずに、生徒にやらせる。
  2. 出来るようになるべきことはやらせ、出来ることを増やしていく。

その上で、必要な知識・理解に欠けるところが生じないように、

  1. 知識・理解の不足があれば、学びの仕上げでしっかり補わせる。
  2. 生徒の気づきが及ばないところは、問い掛けで意識を向けさせる。
  3. それでも足りないところは、きちんと教え知識・理解を確保する。

という順序を追うことになると考えます。日々の授業を振り返り、この判断基準から外れているところがないか、しっかり点検しましょう。

❏ きちんと教えられる技術があってこその「学ばせ方」

教えるべきことをきちんと教えないと、学習活動に取り組ませる土台である知識や理解も不完全なものとなり、活動は表面的・形式的なものになってしまい、「ただ話し合った」だけで終わりかねません。
下図は、授業評価アンケートの集計結果(n=2,397)を用いて探った、
先生の説明はよくわかり、指示にとまどうこともない

話し合いなどの協働で、気づきや学びの深まりが得られる
の2項目における換算得点(授業別集計値)の相関の様子です。

見ての通り、箱の位置は階段状に綺麗に並び、先生方の伝達スキルが高いほど、生徒の学習活動(対話など)での気づきが深まります。
わかりやすい指示や説明がなされなければ、生徒は戸惑いなく活動に取り組むこともできませんし、前提となる知識・理解に不足を残したままやり取りを重ねたところで、学びは深いものにはなり得ません。
生徒が取り組む学習活動の土台である「知識・理解」を効率的に(=短時間で)きちんと獲得させられるスキルは、これから先も授業者として欠かすことのできないものとして、磨いていく必要があります。

❏ 学びの成果をまずはきちんと確認

何かを調べさせても、「調べたことを以て完了」としてしまっては、正しい知識・理解が獲得できたかどうかも定かではありませんし、どこまで思考が深まったかもわかりません。
生徒が話し合いなどの活動に積極的に取り組んだからと言って、必要な知識を獲得し、狙った理解がきちんと形成された保証もないはずです。
活動に取り組ませることを以て、学びの目的が達せられたと考えてしまっては、不用心に過ぎるのではないかと思います。

生徒に取り組ませる学習活動を「自己目的化」させないためには、学んだ(調べた、話し合った)ことをもとに、きちんと答えを作るべき問いを用意しておくことが鍵になります。
実験や実習、練習などの場でも考え方は一緒です。
本時の学びを通して生徒が解を導けるようになって欲しい「ターゲット設問」は何か、という問いに先生ご自身が即答できないようなことが、万が一にでもあれば、「活動の自己目的化」という罠に嵌っている可能性がありそうです。
ターゲット設問に対し、生徒一人ひとりに答えを作らせてみましょう。必要な知識や理解に「漏れ」が残っていれば、当然ながら答案は不完全なものになりますし、思考の浅さ、視点の欠落も見て取れるはずです。
先生方にしても、ターゲット設問への答えを生徒に書かせて、それに目を通してみないことには、自分の学ばせ方が十分で且つ効果的なものであったかどうかを確かめるすべがないはずです。

❏ 答案のシェア、確認結果に基づく学びの仕上げ

知識・理解の獲得を確かめるために生徒一人ひとりに答えを作らせたとしても、そこでストップしてしまえば、学びは不完全なままです。
下手をすれば、「できなかった」という記憶だけを刻み込み、不必要な苦手意識を持たせてしまうことにもなりかねません。
確かめてみた結果に基づいて、足りないものを補わせ、学びをより深く確かなものにさせるための工程をきちんと用意することは、言うまでもなく、先生方のお仕事です。
自分が作った答えを「まあ、こんなものだろう」と肯定的にみていては学びはその先に進みませんし、「なんか足りない感じがする」と感じている生徒を放置しては、学びを通じて得られる達成感(=次の学びへのモチベーションの原資です)も得られません。

生徒の答案をシェアして、高く評価できるものとそうでないものを比較する中で、「学びの不足」がどこにあるかを生徒自身に気づかせていくことも、「仕掛け」として不可欠だと思いますし、そこで得た新たな気づきなどを携えて、もう一度きちんと答えを作り直してみる中での学びは小さくないはずです。

教育実践研究オフィスF 代表 鍋島史一