発言がどこから生じているかを読み取らせる

文章を読み、あるいは発言を聞いて、言葉に表現されている内容を正しく理解することは大切であり、「読むこと」の第一の目的であることに異論を差し挟むつもりはありません。
しかしながら、時には直接的に表現されていることの奥にあるもの、主張の根拠や、発言に込めた意図、筆者のバックグランドや根っこの思想まで推し量り、さらには「この場面ならこの人は何と言うか/どう主張するか」まで踏み込んで考えて読むことも必要ではないでしょうか。

2020/10/14 公開の記事をアップデートしました。

❏ 先ずは、根拠は何かを考え、裏付けをとること

社会で暮らしていると、様々な立場の人の発言に触れる中、「この人の主張に乗っても良いのか/任せていいのか」を判断しなければならない場面が多々あります。選挙で投票するときなどもその一つでしょう。
デマやフェイクニュースが出回り、それを鵜呑みにしてリツイートしてしまい、自らもデマの拡散に加担してしまうのは、発言の裏付けや根拠を確かめる姿勢が足りないことにも一因があると思います。
こうして考えてみると、言葉にされている部分だけを鵜呑みにするのはちょっと無防備/不用心に過ぎるような気がしてなりません。
PISAが測定する「読解力」” の定義には「質と信ぴょう性を評価する」という要素が加わりましたが、表現されているものを字面の通りに鵜呑みにしているようでは、読解力として不完全ということです。
根拠を確かめ、裏付けを取る姿勢を身につけさせるために教室でできることは、教科書に書かれていることであっても「なぜそう言えるのか、根拠は何か?」という問いを繰り返す/重ねさせることだと思います。
主張を挟まない(=中立な立場で書かれた)テクストを読むときも、
 現状や事実を正しく、過不足なく伝えているのか。

 裏付けとなるデータ/ソースはあるのか、検証は可能か。

 他の見方をしたときにもその解釈は変わらないか。
といった具合に、事実であることを確かめる姿勢(ファクトフルネス)を持たないと、誤認に基づいて「誤った的に矢を射る愚」を犯すリスクを遠ざけることはできません。
発信者に悪意がなくても、発言のきっかけ/動機となった「事実」の認識に誤りがあったり、データが歪んでいたりすることだってあります。

❏ 立場の違う人が書いた文章の比較で矛盾を発見

PISAの読解力の定義にはもう一つ、「矛盾を見つけて対処する」が加わりましたが、PISA 2018で日本人の正答率が全体の平均を下回ったのは、これら2つの要素を含む問題だったそうです。
普段の勉強で、教材に書かれていることを知識として素早く取り込み、正確に覚えることにエネルギーを注いでいるだけでは、なかなか身につかない能力・姿勢だと思います。
学ばせ方を改めていかないと、いつまでたっても「現代社会が求める読解力」は身につかず、平均以下から抜け出せないかもしれません。
授業で、あるテクスト(教科書の本文でも、教材にした資料でもかまいませんが)を読ませたら、同じテーマについて別の立場の人が書いたものも読ませてみても面白いのではないでしょうか。

社説などを資料として使ったなら、新聞各社のホームページでキーワードを使って記事検索すれば、最初に読んだのと違う切り口からの記事が見つかるはずです。同じ作家の別作品なら、図書室に足を運ぶだけですよね。ネットを使えば、海外の刊行物にもアクセスは容易です。英語の勉強も兼ねられ、一石二鳥かもしれません。

❏ 発言の背景まで想定してこそ、正しく読んだことに

文章であれ、発言であれ、言葉にされたものの背後には、発信者の意図するところや、思想、根っこにある考え方、あるいはその言葉を発する必然性が生じた文脈や状況など、言語化されていない部分があります。
そこまで想像が及び、正しく推定できてこそ、テクストを「読んで深く理解した」ことになるのではないでしょうか。
例えば、国語や英語で本文を読ませるとき、「この筆者はどんなバックグランドを持つ人か」という問いを与えてみたら、教室で実現する文章との対話も大きく変わるように思います。
サーチライトの灯し方で、探索して見えてくるものは違うはずです。
昔からよくあるパターンとして、導入のつもりで本文の背景を先回りして説明してしまうやり方がありますが、如上の問いを与えて生徒にテクストとの対話に挑ませる授業と、従来型の先回り説明型とでは、生徒が学べる/身につけられるものは全く違ってくるはずです。
国語の授業や試験では、「このときの筆者の心情を説明せよ」といった問いは定番の一つです。「行間を読む」(=背景など、表現されていないことも理解する)ことは読解の大事な部分との認識が昔からあったからこそ、こうした訊き方が頻繁に用いられるのだと思います。
如上のダイレクトな聞き方に加えて、「筆者なら次の主張に賛成か反対か」「以下の状況にどう反応するか」と尋ね、理由を添えて答えさせるという問い方もあります。「この主張に添えば、次の解決策のどれを採るのが妥当か」なんていうのも、より深い理解が試せて面白そうです。
新テストの試行問題で似たような問いが登場して以降、こうした出題もあちらこちらで割と良く見かけるようになってきました。
先週公開された令和7年度の大学入学共通テストの施策問題でも、以下のような問いが散見されました。求められる思考は同じタイプです。

  • リード文(ダイアログ)に言及された哲学者の考えとして最も適当なものを選ばせる問題。(公民、政治・経済)
  • ひとつのことに対する、立場の異なる5者の意見を読んで、それぞれの意見とその根拠を理解して整理することを求める問題(英語)

この手の問いに答えるには、表現されたものの背後への想像とそこから導く推論の正しさが不可欠。その力を養えるかどうかは、同様の問いを教室でどれだけ投げ掛けられたかで決まる部分が大きいはずです。

❏ 読解力の育成は、全教科の先生が参画する総力戦

これまで、行間を読む練習はもっぱら国語の授業やテストに任されてきたように思います。しかしながら、各教科の授業や総合学習/探究活動の中でもテクストを読む活動はふんだんにあるはずです。
たとえ教科書に書かれていることでも鵜呑みにせず、問いを立てて一つひとつ確かめながら読む姿勢を持たせる必要があるのは、前述の通りです。学習内容の拡張を図るための「調べ学習」では教科書以外のソースに当たることになり、ソース選びにも一層の用心深さが求められます。

これらはまさに「質と信ぴょう性を評価する」ことの練習にうってつけの機会ではないでしょうか。
地歴公民で単元の内容を深く学ぼうとするとき、あるいは探究活動の研究課題を見つけたり絞り込んだりしようするときには、新聞各紙の社説を読み比べる機会などもあると思います。
当然ながら互いに相容れない主張に出くわすでしょうから、「矛盾を見つけて対処する」ことを実地に経験し、その力を身につけて行けます。
別稿「全教科でコミットすべき能力・資質の涵養」でも書きましたが、教室での様々な機会を余さずに活用して、これからの社会を生きて行くために必要な読解力を養っていきたいものです。



追記: あらぬところまで疑惑の目を向けて、相手の意図を捻じ曲げて邪推したりするのも、決して建設的な態度とは言えません。深読みが過ぎるというよりも、発言の背景にある真意を深く正しく理解する力に欠けているからこそ生じる過ちのような気がします。言語化された部分だけを見て鵜呑みにする迂闊さ、無防備さと、実は同じところに根っこを持つ問題だと思います。

教育実践研究オフィスF 代表 鍋島史一