新課程への移行がいよいよ目の前に迫ってきました。中学校では2021年度に全面実施、高校でも2022年度から年次進行での実施です。既に教育課程のアウトラインが完成し、細部の調整に取り掛かり、順調に進んでいる学校も少なくないものと拝察します。
新しい科目も設定され、3ヵ年、6ヵ年の枠に必要な科目を配列するだけでも容易なことではありませんが、科目の適正配置を実現しただけでは教育目標の達成に十分な機能を備えたカリキュラムになり得ません。カリキュラムの設計に際して押さえるべきことを考えてみました。
❏ 新しいカリキュラムで目指すもの
カリキュラムによって実現するべきは、学校教育法に基づく学力の三要素(基礎的な知識・技能、思考力・判断力・表現力等の能力、主体的に学習に取り組む態度)やそれをベースとする高大接続改革答申、新学習指導要領(および新課程の土台になった21世紀型能力)に提示される以下の各要素を学習者一人ひとりに獲得させることです。
高大接続改革答申 | 新学習指導要領 | 21世紀型能力 |
---|---|---|
基礎的な知識・技能 | 生きて働く「知識・技能」 | 基礎力 |
思考力・判断力・表現力 | 思考力・判断力・表現力 | 思考力 |
主体性・多様性・協働性 | 学びに向かう力・人間性 | 実践力 |
3ヵ年/6ヵ年という枠の中に必修科目、選択科目をきちんと収めて、教育課程表の上に「科目の最適配置」を実現したとしても、それが意味するのは、「科目固有の学習内容を授業カレンダー上に並べた」ということだけです。
この段階で止まってしまっては、カリキュラムで実現を目指す「新しい学力」の獲得に十分な仕組みを整えたことにはなりません。
繰り返しになりますが、必要な科目を最適な形で並べただけで保証し得るのは科目固有の知識や各単元の学習内容に触れる機会に限られます。
各学習内容を学ぶ中で、21世紀型能力を構成する能力や資質をどう涵養していくかという視点を加えて、カリキュラムの設計に臨む必要があるということです。
❏ 学習内容×獲得させるべき能力・資質のマトリクス
3ヵ年/6ヵ年に配列された科目の各単元で学習させる内容を縦軸(=時間軸)に、各学習内容を学ぶ中でどんな能力・資質を涵養していくかを横軸に配したマトリクス(下図参照)を想定してみましょう。
何を学ばせながら、どんな資質・能力を獲得させていくか、そのためには各学習内容を扱う時にどんな学習活動をセットすれば良いかまで踏み込んで考えてこそ、有効に機能するカリキュラムが実現します。
学習内容を理解させるだけなら、丁寧にわかりやすく教えてあげるだけで事は足りますが、「基礎力」に含まれる各スキルはもとより、思考力の各要素が効果的に身につくかと訊かれたら、その答えは否定的にならざるを得ないように思います。
基礎力は「言語・数量・情報を道具として目的に応じて使いこなす力」と定義されていますが、教科書に書かれていることを自力で読んで正しく理解するといったことだって、教えてもらうことに慣れすぎて自力で教科書を読む習慣すら希薄な生徒には、低いハードルではありません。
高大接続改革を機に学習型問題が多く登場するようになったのは、こうしたスキルをきちんと身につける学び方をしてきたかを試す意図の表れだと考えるのが好適です。(cf. 学習型問題への対応力を養う)
❏ カリキュラムが機能するかは個々の授業の設計しだい
言語スキルであれば、資料を与えてきちんと読ませること、読んで理解したことを言語化させることを意識して、一つひとつの授業をデザインする必要があることは言うまでもありません。
数量スキル、情報スキルにしても、数学や情報以外の教科でも、それらを発揮し鍛える機会はふんだんにあるはず。そうした機会を十分に利用してトレーニングを積み上げた生徒とそうでない生徒とでは、学校での3ヵ年/6ヵ年を経過したときに大きな差が生じているはずです。
ましてや、思考力を構成する「問題解決・発見力・創造力」「論理的・批判的思考力」「メタ認知・適応的学習力」の各能力に至っては、意図的・計画的にその育成場面を作らなければ、3ヵ年/6ヵ年の限られた指導機会の中で十分なトレーニングを積ませるのは困難です。
答えが一つに決まらない問題や、結果ではなく解法そのものを尋ねる問題の登場も見落とせません。(cf. 正解がひとつに決まらない問題)
❏ 科目内容を学ぶことを手段に能力・資質の獲得を図る
教育課程表を練り上げて科目の最適配列を実現したとしても、それだけではカリキュラムは十分に機能しないことは、ここまでの議論で十分にご理解いただけたものと思います。
各教科・科目において如上のマトリクスをきちんと想定し、自教科の学習指導を通してどんな能力・資質を育むのかを十分に意識して指導目標を設定する必要があります。
科目の内容を学ぶことを自己目的化せず、基礎力、思考力を獲得するという目的のための手段と捉える「思い切った価値観/授業観の転換」が必要なのだと思います。
こうした授業観の変化を踏まえて授業の一つひとつをデザインしていかないと、せっかく苦労して作った教育課程も「仏を作って魂を入れず」になりかねません。
当然ながら、従来はそれほど時間をかけてこなかった(かもしれない)学習活動に十分な時間を割く必要も生じますので、教室でしかできないことと自学自習に回せる部分との切り分けの明確化が必要です。
次稿「カリキュラム・マネジメントの実行&検証フェイズ」に続く。
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教育実践研究オフィスF 代表 鍋島史一