生徒の進路希望を叶えさせてあげたいとの思いが強くなるほど、「学ばせたい」ことが増えるもの。教科書以外の教材群(副教材やプリント)が「これでもか!」といわんばかりに膨らんでいく傾向があります。
目標大学の合格には、これもやらなければ、あっちも削れないと思えてしまいがちですが、その熱意(あるいは不安)に押されて、容量超過を常態化させては、学びに向かう姿勢にも好ましくない影響があります。
そもそも、荷物を増やしても、学びが膨らむとは限らないのではないでしょうか。生徒がこなせる量をきちんと見極めつつ、知識をどこまで拡張するかは個々のニーズに合わせて考えるべきだと思います。
2015/11/16 公開の記事をアップデートしました。
❏ 仕上げずに放置する悪習慣を「学習」させない
容量超過が続いて仕上げ切れないものが積み上がるうちに、最初は何とか頑張ってついてきていた生徒も、ちゃんと取り組む気持ちをしだいに失っていくことがあります。
やるべきことを仕上げ切らずに放置することを習慣化(学習)させてはそれこそ一大事。学びに向かう姿勢を歪めてしまうばかりです。
例えば、副教材(単語集や熟語集など)を計画的に学び進めさせようと先生方の「善意」で定期的に課している小テストでも、こなしきれて/きちんと取り組めていない生徒がいるのではないでしょうか。
きちんと取り組めない生徒は、日々真面目に準備をして小テストに臨むより、出たものだけ答えを丸暗記して再テストに備えた方が効率的と、上手なさぼり方、手の抜き方を覚えてしまうかもしれません。
上手にさぼったり手を抜いたりできるようになることも、ある意味では成長のひとつかもしれませんが、少なくとも教科学習指導の目標達成からは遠ざかってしまいます。
❏ 知識や学習方策の獲得が遅れる中で
最初は「やればできる子」だったとしても「やらないからできない子」として過ごす期間が長引くほどに、既習内容の習熟不足が重なります。当然ながら、学び方の獲得も遅れるはずです。
その結果、やがて「やろうと思ってもできない子」に逆進化(退化)してしまうことだってあり得ます。
これからは頑張ろうと気持ちを入れ替えたときに、既習であったはずの事柄が定着していなかったり、覚え方や学び方を身につけていなかったりすると、勉強は思った通りに進みません。
やる気はあっても、実行するだけのパワーやスキルが足りず、目標達成への勝算が描けないとなると、生徒の中にあきらめの気持ちが頭をもたげてくるのは当然です。
手を伸ばしても届かない目標は、イソップの寓話に出てくる「酸っぱい葡萄」です。「そんなもの欲しくない」と嘯き、対象から遠ざかろうとする生徒が出てきたとしても、本人だけを責めるわけには行きません。
❏ やり切れる量を見極めて、課題を取捨選択
こうなる前に採るべき対策は、今まで以上におしりをたたくことでも、目先にニンジンを吊るすことでもありません。
課題を増やしてさらに追い込むという方策では、仕上げ切れないものを増やすだけですから、逆効果しか期待できないはずです。
指導者の側で、生徒がきちんとやりきれる量を見極め、課題の取捨選択をしっかりと行うことが唯一の選択肢だと思います。
年度の途中で、「やっぱりこれはやらない」と引っ込めるわけにもいかないでしょうから、個々の生徒の履行/達成可能性の見通しをしっかり立て、予め熟慮したカリキュラム作りが必要ということになります。
❏ 課題の付与は、必須とプラスαの二段構えで
意欲と能力に余裕がある生徒には、プラスα の課題を用意して伸びこぼしを防ぐ必要はありますが、全員に課すハードルは、履行率を高く保つこと/達成可能性を担保することを旨に、その高さを設定すべきです。
挑戦課題に回すべきものまで、全員に与えた場合、一部の生徒を除いて多くの生徒が「仕上げきれない状態」に置かれてしまいます。
周りを見渡してみたときに、叱られないように形だけ整える生徒、仕上げずに放り出している生徒が方々にいたら、妙な「安心感」を抱いてしまうのも当たり前かもしれません。
たとえが古くて恐縮ですが、「赤信号、みんなで渡れば怖くない」になってしまったら、教室の雰囲気は大きく崩れかねず、生徒が互いの頑張りを支え合う集団作りとは逆向きの流れが生じます。
副教材等を使って拡充を図ろうとしている知識や理解についても、「ここまでは全員必ず」という線をきちんと引いた上で、それをクリアできた生徒に求める次の段階(学びの広がりと深さ)を用意しましょう。
❏ 副教材は、主教材で作った流れの中で使う
副教材の利用には「あくまでも主教材で流れを作っておき、場面ごとの目的に照らしながら、副教材の関連箇所を拾って使う」のが鉄則です。
問いを軸に設計した授業デザインで、単元の理解のコアをきちんと作りつつ、参照型副教材を頻繁に参照させながら、その使い方にも習熟させていきましょう。(cf. 参照型教材を徹底して使い倒す)
コアの理解も固められないうちに、周辺を膨らませても定着は図れません。幹が育っていない木には枝葉が茂らないのと同じでしょう。
また、理解していないことを覚えようとしたら、丸暗記に頼らざるを得ず、保持と想起が難しくなるばかりです。その結果、「時間の経過とともに忘却の彼方」では、後になって学び直しの手間が増えるだけです。
上記の別稿でも書いた通り、主教材を学ぶ中で「虫食い」的に副教材の既習部分を増やしていき、未参照の箇所が十分に減ったところで、改めて「通し」で学び直し/総ざらいを行うのが最善の戦略だと思います。
❏ 課題は与えた以上、達成させるのが教える側の責任
副教材を揃え、漏れを作らない大きな「網」をかけたくなるのも、生徒の進路希望を実現させてあげたいとの熱意からのものだと思います。
でも、こなしきれない状態が長く続くことが、学習者としての悪習慣の獲得、退化の引き金にもなり得ます。
これまでもやらせていたので、ここで引っ込めるのは不安、という気持ちに負けて最大限の網をかけ続けることが、結果的には「生徒につけを回す」可能性があることを忘れないようにしたいものです。
課題は与えた以上、達成させるのが教える側の責任です。指導の序盤から着実に達成を重ねさせることで、学びへの自己効力感と学習方策を高めさせ、後半戦でのより大きな負荷に耐えられる状態を作っていくという戦略が、指導計画の立案に際して不可欠です。
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教育実践研究オフィスF 代表 鍋島史一