ひと月ほど前、NHKのクローズアップ現代で「最近、手書きしてますか? 最新研究が明かす“頭を動かす力”」という番組が放送されました。
以下は、同局のホームページにあった「番組概要」からの引用です。

番組を見て思ったのは、学習の場での「手書き/紙の教材 vs デジタル活用」の議論がときに噛み合わないのは、それぞれが違うところに焦点を当てて「学力」を語っているからではないか、ということです。
議論を建設的に、ブレずに進めるには、手を使った方が獲得に有利な学力要素と、それ以外の要素をきちんと区別する必要がありそうです。
❏ 注意深い観察や記憶への刻み込みなら、手書きが有利
対象を注意深く観察したり、記憶に刻み込んだりする場面では、手書きの「遅さ」が有利に働きます。デジタルの「便利さ、早さ、手軽さ」は却ってマイナスでしょう。学習内容の理解や定着には手書きが勝る、というのは、こうした場面では確かに当てはまりそうです。
別稿でも書きましたが、手を使って書き写そうと思えば、写真を撮るようにはいきません。全体の構図(パーツの配列)を捉え、細部を注視してようやく、オリジナルと近いものを紙面に再現できます。
全体を捉えて細部を見ることは、対象への理解を深めることにほかなりません。観察を通して進んだ記憶への刻み込み/記銘は、手を使うことでさらに強化されます。
そうした観察の中では、様々な「気づき」もあるはずです。そこを起点に「これは何だ?どうなっている?なんのために」と考えた先には、答えを見つけるべき問いの発見があり、探究への第一歩にもなり得ます。
❏ 書き写す手間の多さは、特徴の把握や抽象化にも有利
デジタル機器の上での「コピペ」なら、どんな情報量のものでも一瞬で完了。写す手間を減らすための情報の間引きは不要です。そのため「リアル」な姿を伝えられる一方、抽象化や再構成は進みにくいもの。
手書きで写そうと思えば、優先順位にそって「情報を切り落とす」ことが必要になります。その工程で抽象化が進み、特徴が浮き彫りにされます。写真より、似顔絵の方が特徴をよく伝えるのもこの理屈です。
ノート整理でも、教科書や資料の丸写しでは、時間と手間が膨大。そもそも整理も進みません。自ずと書かれていることを、項目に切り出し、再構成することになり、学んだことの「体系化」も進みます。
もちろん、項目への切り出しと再構成は、デジタルでも可能ですし、操作に慣れさえすれば効率も手書きを凌駕しますが、情報を整理し、コンパクトに(=現実的な手間で)まとめることへの欲求は、「手書きの面倒さ」を体験する中で生まれるのではないでしょうか。
ノート持ち込み可の定期考査に備えて、ノート整理の必要に迫られた生徒が、その習慣と方策を身につけたというのも頷ける話です。
手で書くことの面倒くささ(非効率性)が、より良い取り組みを促す効果は、こうした場面に限られません。「書き直しが大変な分、一語一語を丁寧に選ぶ姿勢が生まれる」といったところなどにも期待できます。
しかしながら、これらだけで、学習の場面では「手書き/紙の教材とノート」が勝ると決めつけるのは乱暴に過ぎます。効率の悪さが、ほかの能力の発現・向上を妨げる場面も少なくありません。
❏ デジタル活用で作った時間を、思考の積み上げ・深化に
手書きで効率が悪いのは、わざわざ挙げるまでもなく、情報を整理・再配列・更新する場面、複数の情報を関連付けて処理する場面などです。
今まさに私がしているような、文の配列を変えたり、表現を入れ替えたりしながら、ある程度まとまった量の文章を起こすときに、手書きでやれと言われたら、書いたり消したりする作業で思考が途切れ、紡げなくなりそうです。書き上りがいつになるかもわかりません。
例えば、二千字くらいの文章を書く場合、文字を起こす作業にかかる時間は、手書きなら少なくとも80分。対してタイピングなら20分前後でしょうか。差分の60分は「思考」(構想、推敲)に充てられます。
書きながら考え、思いついたことを織り込んで書き直すときに消しゴムをかける時間は、100%無駄ではないにしても、少なくとも効率的とは言えません。(消す中で心が落ち着くと感じる方もいるかもしれませんが、たまった消しカスを掃除するのは面倒なだけかと…)
ものを書いたり、思考をまとめたりするには、余計な作業の負担はできるだけ軽くしたい。手書きを大事にするあまり、本来の活動(思考や表現)にブレーキをかけてしまうことがないようにしたいものです。
鉛筆と消しゴムだけより、付箋(紙)を伝った方が作業は軽くなり、デジタル上の編集は(操作に慣れれば、という前提条件が付きますが)さらに「作業に取られる意識と時間」を減らせます。中高のうちに道具の使い方に慣れていおけば、その後もアドバンテージが持てるはずです。
❏ 答案のシェア、評価をするなら、デジタルが完勝
手書きかデジタルかを考えるには、生徒の学習活動(+そこで使われ、鍛えられる能力)だけでなく、活動で生み出された成果(答案など)をどう処理、活用していくかにもしっかり目を向ける必要があります。
生徒一人ひとりが考え尽くした結果としての答案をクラスでシェアすれば、そこには相互啓発が生まれますが、紙で回収、印刷して配布なんてことをしていては、手間は膨大。働き方改革なんて進みません。
クラウドに提出させ、AIも上手に使って「シェアすべき好適な答案」を選び出すようにすれば、省力化と効果の最大化が図れるはずです。
生徒一人ひとりが「学び始める段階」で何を備えているか、AIで答案解析すれば、より正確かつ手軽に捉えられる可能性があります。リフレクション・ログに目を通せば、生徒理解の精度も上がります。
こうした「用途」まできちんと考慮すれば、手書きのメリットを過度に評価することはできないはず。一方、デジタル活用に走れば、育成できない能力や資質もある。これを踏まえて、場面ごとに必要/優先順位に応じた「正しい選択」をしていくことが唯一の「正解」だと思います。
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教育実践研究オフィスF 代表 鍋島史一
