ある単元を学ばせるのに「不明を残さずに内容を理解させること」だけを目的とするなら、先生が丁寧に教えてあげれば十分かもしれません。また、ある問いに正解を導くことだけを目指すのであれば手順をきちんと示してあげることで当座の目的は達することができると思います。
しかしながら、このアプローチでは「学び方を学ばせる」という要素が欠落する可能性が大です。「先生が丁寧に教えてくれさえすれば理解できる」という段階に止まっていては、先に進んで「自力で学ぶ」必要が生じたときに、困るのは生徒自身ではないでしょうか。
生徒に「この科目の学び方が身についてきたか」と尋ねてみて、返ってくる答えに「自信を伴うYES」が増えてこないようなら、これまでの指導/学ばせ方に改めるべき点があるはずです。
2016/09/01 に公開した記事を再アップデートしました。
❏ 学習方策が身についたかという問いにNOが増える?
生徒による授業評価アンケートで「この科目について学び方が身についてきたと思うか」と生徒に尋ねてみると、学年・学期が進むにつれて、NOという答えが徐々に増えてくるケースが少なくありません。
下図(如上の質問への回答を得点に換算したものの分布)の通り、どの教科も中間学年まで、学年が上がる(=学習内容が高度化する)につれ、徐々に「自分の学び方への自信」が弱まっていきます。
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先生が丁寧に説明してくれるのをじっと聞き、理解できたら覚えていくというアプローチしか持たず、不明が生じたときに自力で解消する力を身につけていないと、学習内容が難しくなるにつれて躓きから立ち上がれないことが増えます。その中で自信も失っていくのでしょう。
最上級生になると、どの教科も回復していますが、背景には、学び方を身につけた(と自認する)科目しか選択/履修しないことや、進路希望の実現という目標に向けて演習に取り組む中で、学び方の工夫を重ね、自分のやり方が身についてくるという事情もあろうかと思います。
中間学年で集計値の分布がボトムを打っている様子からは、その段階で学び方に自信を失い、その教科/科目の学びを諦めてしまっている生徒の存在も想像しなければならないのではないでしょうか。
学びが次のステージに進んだときのことを考え、そこで必要な学び方を身につけさせることに、指導に当たるものが十分な意識を向けていたかどうか、省みなければならない問題だと思います。
如上の質問への回答分布は常に注視し、「学び方を身につけられずにいる生徒」の発生を早めに把握し、対処が後手を踏まないようにしたいもの。経年的に蓄積したデータからは学習方策の獲得がスムーズに進まなくなる時期も予想できるため、先回りした対処も可能になるはずです。
❏ 知識活用の機会を重ねるほど学習方策の獲得が進む
下の散布図は、授業評価アンケートの授業別集計値(n=1,542)を用いて作成したものです。(質問設計はこちらでご覧ください)
横軸に置いた【知識活用の機会】は「授業で学んだことを用いた課題解決の機会が整っているか」という問いへの答えを満点=100のスケールに換算したもの、縦軸の【学習方策の獲得】は「この科目の学び方が身についてきたと思うか」への答えを-10~+10に換算した結果です。
両項目の強固な相関は、分布が狭い範囲に集中していることから一目瞭然だと思います。実際、相関係数は 0.801というかなり大きな値です。
学習効果(=授業を受けて学力や技能の向上、自分の進歩を実感できるか)で75ポイント(=肯定的な回答が概ね9割)以上に達した授業は{知識活用の機会≧75、学習方策≧3.0}の領域に分布が集中しており、その他のエリアには「例外的」と言えるほど少数です。
データをより詳しく解析してみると、学習方策の獲得に最も強い影響を及ぼしているのは「獲得した知識を生きて働かせ、課題解決に活用する場が整っているかどうか(活用機会)」であることがわかります。
重回帰分析の結果では、学習方法やポイントの押さえ方をしっかり理解させることよりも、活用機会の方が大きな偏回帰係数が算出されます。
学習方策で+3以上に達する確率が十分に高まる(=箱の下端が同値を超える)のは、知識活用の機会が75ポイント以上に達したときです。本稿のタイトルにした「学習方策は課題解決を通して身につく」というのは、データに照らしてみても間違いなさそうです。
ちなみに、活用機会が極端に低い授業(50ポイント台以下)で学習方策の獲得で高めの数値が出ているケースもありますが、知識を使わせてみていないことで、「覚えているだけなのに、できていると勘違している生徒」が含まれている可能性も疑ってみるべきだと思います。
別稿(以下)の通り、活用機会が不足すると負荷も軽くなりすぎる傾向があり、結果的に「何が足りないか」を捉えるのが難しくなります。
❏ 丁寧にやりかたを教えて理解させるだけでは…
冒頭でも書きましたが、「学習内容を理解させること」と「学習内容を理解する方法を学ぶ/身につける」ことはイコールではありません。問題の解き方を教えることと、課題解決力を養うことも別物です。
拙稿「教科固有の知識・技能を学ぶ中で」で申し上げた通り、各科目の学習目標達成を「手段」と捉える発想を持つことも重要だと思います。
目の前の学習内容を理解させることに意識が向き過ぎると、勢い、丁寧に説明することに気を取られてしまい、本来なら生徒にやらせるべきであることを不用意に肩代わりしてしまうことがあります。
常に、できない?やらない?やらせてない?と自問し、できることはどんどんやらせる~生徒の邪魔をしないようにしたいものです。
やらせるきっかけは、言うまでもなく「生徒が自力で解決すべき課題を与えること」です。適切な課題を与えれば、それに取り組む中で生徒はやり方を考えながら、不明を解消したり、仮説を立てて検証したりといった学び方を広く身につけ、学びを積み上げていく土台を獲得します。
ジョージ・パットン流の「人にやり方を教えるな。何をすべきかを教えれば、人はその創意工夫で驚かせてくれる」に通じるものを感じます。
山本五十六流の「やってみせ、言って聞かせて、させてみて、ほめてやらねば、人は動かじ」では、解内在型の課題には対応できても、その先の創意工夫は生まれにくく、創造的思考力の発動も期待できません。
❏ 予習や復習のやり方についても同じことが
予習や復習のやり方を懇切・丁寧に教えたとしても、それを生徒が身につけてきちんと履行しているかどうかは別問題ですし、指示した方法がその生徒にマッチしているとも限りません。
新年度を迎えたときの授業開きで伝えた「学び方」は、どのくらいの生徒が自分のものにしているでしょうか。半年が経過してもなお定着していないようであれば、年度前半の指導に不足があったと思われます。
また、提示した方法に沿って学びを進めている生徒と、それ以外の生徒とで成績の伸びに違いがなければ、「生徒に求めた学び方」そのものの妥当性も疑ってみるべきです。
生徒同士の教え合い・学び合いを促したり、参照型教材を徹底的に活用させたり、先生以外のコンサル先を持たせることで、学び方のバリエーションを増やすように仕向けていくことも重要です。
先生の説明がわからないと立ち止まってしまい、そこから先に進めない場合と、友達や書籍を「コンサル先」(相談相手)として必要な知識や情報を得て先に進められる場合とでは大違いです。後者の生徒の方が、学習者としての自立に近づいていることは間違いないはずです。
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教育実践研究オフィスF 代表 鍋島史一