不用意な“待て”をかけない(その4)

生徒は取り組むべきタスクがないときに手を止めてしまい、その時間の蓄積が1年間、3年間という長いスパンでは大きなロスとなり、学びの総量を減らしてしまいます。このシリーズの前3稿で触れたような場面に加えて、生徒に注意や指導をするときや、指名した生徒が答えられずに窮しているときにも、同じようなことが起きてしまいます。
教室内で生徒に不用意な待てをかけてしまうリスクについて、これまで書いてきた記事と関連付けながら、少し場面を拡張して考えてみます。

2015/07/02 に公開した記事を再アップデートしました。

❏ 宿題をやってこなかった生徒を叱っている間

最近は見かけることが減ってきているように感じますが、提出物を忘れたり、指示していた予習や準備をしてこなかったりした生徒に対して、注意したり理由を聞いたりする場面があります。
もちろん、同じ過ちを繰り返させないために何らかの指導は必要ですが、その間、他の生徒が待っていることも忘れてはなりません。
別稿「宿題をやってこない生徒への対応」でも紹介した『教えることの復権 (ちくま新書) 』の序章に描かれた光景はたいへん参考になります。
大村先生がそこで生徒に伝えた言葉は次の通りです。

「約束の宿題がありましたね。今日が提出日でした。ここに全部そろっているという人が多いでしょうが、中には、これとこれは今日提出するけれども、これは少し遅れる、というような人もいるかもしれません。この紙に、何々を提出するという事情や予定を書いて宿題に添えて出しなさい。中学は大人になる練習をするところなんだから、友達どうしで『どう書いたらいいの』なんておしゃべりしないで、黙ってなさい。さあ、どうぞ」

 

❏ 他の生徒が指名されてフリーズしているとき

ある生徒を指名して答えさせようとするとき、その生徒が答えに詰まっている間は、他の生徒は待つしかありません。
答えに詰まっている生徒が衆人環視の緊張感で半分フリーズしている間に、他の生徒は、自分なりの答えをとっくに見つけて、次にやることをなくしているか、自分も答えがわからず一緒に固まっているかのいずれかということも多いはずです。
指名して発言させるときには、クラス全体に発問を投げかけて、反応を探ってから指名する生徒を決める、というのが鉄則です。
この手順を怠ると、他の生徒を無駄に待たせるだけでなく、次への展開ができなくなるリスクを抱えます。
机間指導で「惜しい答え(そこから次の問いを展開できる)」を作った生徒を見つけたり、事前に回収した課題から「優れた着想(他の生徒に対して刺激になる)」を抽出しておいたりしたいものです。
生徒を指名して発言させるとき(全5編)で申し上げた通り、十分な意図と準備、観察に基づいて指名する生徒を選び出すことが重要です。
また、全員に均等な発言機会を与えることにも、あまりこだわる必要はないように思います。「クラス全体での学習総量を最大化すること」にこそ意識を向けていくべきでしょう。

❏ 板書を生徒がノートに写しているとき

板書をまとめて行い、説明を終えてからノートに写す時間を別に確保するというやり方も時々見かけます。
一見すると丁寧な指導と評価できそうですが、板書を写すスピードにも差がありますので、一度に写す量が増えるほど、完了までの時間にも差が大きくなるのは自明です。
板書を行うときの鉄則は、

  1. 発問で思考や気づきを促した上で
  2. 導き出した発言や確認したことを黒板に書き出し
  3. クラス全体でシェアしたことを土台に次の問いを繋ぐ

というサイクルをコンパクトにまとめて繰り返すことです。
考えている時間、写している時間を長くとり過ぎては、授業自体も間延びしますし、緊張感が緩むことで生徒の集中も損ねます。

❏ マルチタスクをこなすスキルを徐々に養う

黒板を写す時間を話しを聴く時間と別に設けるやり方は、同時に複数のタスク(聴きながらノートに写したり、メモを取ったり)をこなせるだけのスキルを身につけていない生徒に対しては必要な気配りです。
しかしながら、いつまでもその状態のままにしては生徒自身が後で困ることになりかねません。
大学に進学してから「先生が板書を写す時間をくれないからノートが取れない」と嘆かせてしまっては後の祭りです。
社会人になって取引先に出向いて打ち合わせに臨むときも、「話が途切れなく続くんで、ぜんぜんメモが取れませんでしたよ」と悪びれもせずのたまうような営業マンとはあまり話をしたくないかも…。
マルチタスクの処理能力は、身につけるべき汎用スキルの一つです。当然ながら、訓練の場があってはじめて身につくものですから、段階的・計画的にそうした練習を積ませていきたいものです。

❏ 授業の中でしかできないことに時間を割く

知識の獲得は個人の活動を通じてでも書いた通り、高大接続改革や新学習指導要領のなかで実現が図られる”教育の強じん化”に対応するには、教室でやることと個人の活動に委ねる部分の切り分けが重要です。

貴重な授業時間は、教室の中でしかできないことや集団の中でしかできないことに集中して配分し、それ以外は生徒に自学自習で取り組ませるというのが基本的な方向性になるはずです。

授業内での学びの密度が高まれば、家庭に持ち帰らせる「やり残し」も減らせ、そこで浮いた時間は探究活動などの新しい学びにも振り向けることができるはずです。
調べたり、考えたり、その結果を文字に起こしたりする作業にしても、生徒一人ひとりでそのスピードが違います。
スピードに個人差が大きい活動に「集団で過ごす時間」を当てることには、仕上げ切れない生徒、時間を持て余す生徒の両方を増やしてしまうリスクが内在することを忘れないようにしたいものです。

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教育実践研究オフィスF 代表 鍋島史一