指示を的確にこなす生徒~それだけで良いのか?

どの生徒のノートもしっかり板書を書き写しているし、予習も完璧に行われており答え合わせだけで十分。生徒を指名しても期待通りの答えがきっちり戻ってくる。一見すると「これまでの指導の成果」のように見えなくもありませんが、どこかに違和感を覚えます。
もちろん、ちゃんとノートを取れない、予習もしない、答えさせれば的外れというのでは、これまでの指導のあり方を反省しなければならないでしょうが、指示を的確にこなす姿だけ見て「学習者としての自立」に近づいていると考えてはいけないように思います。

2016/07/04 公開の記事をアップデートしました。

❏ 「指示を満たす」と「実りある学び」は別のもの

板書を正確に書き写しているだけで、気づきや考えを書き込んだり、自分なりに工夫して情報を再構成していないようであれば、やっているのはスマホのカメラで板書を撮影していることとあまり変わりません。
生徒が予習を「完璧」にこなしていても、取り組み方によっては、教室での学びへの準備が整っているとは限りません。教科書ガイドをコピーするかのような予習では、深い学びに繋がるような問いを立てることもないでしょうし、周囲とシェアすべき気づきも生まれていないはず。
指名した生徒から期待通りの「正解」が返ってくることをもって正しい予習ができていると考えるのは危険ということです。さらに授業が答え合わせで終始しては、「解答と解説」を読ませるのと大差なしです。
ファーストトライでは間違えてもいいし、それを修正する中でこそ、学びの深まりがあります。失敗から学ぶことで、より洗練された学び方も身についていくことを生徒に知らしめましょう。
ノートも宿題も、先生の「チェック」の方法しだいで、「正しい結果だけ出れば良し/言われたことを忠実に実行すればOK」という間違った姿勢を身につけさせてしまうリスクがあります。深い学びや、学習者としての自立を遠ざけることのないよう、十分に注意したいところです。

❏ 板書したことに生徒は自力で何を書き加えられたか

どの生徒のノートを見てもみな同じというのは、板書を丸写しているだけということです。生徒それぞれの思考の痕跡が残されれば、ノートは自ずと違うものになるはずです。
先生が口頭で伝えたことをメモとして書き込んだり、自分で考えたこと/思いついたことを言語化して記録に残したりしてこそ、個々の生徒にとって実りある、学びに資するノートになるのではないでしょうか。
こうしたノート作りを指導していけば、学び終えたときに残ったノートは、生徒一人ひとり違ったものになって然るべきです。
生徒のノートを点検するときには、「ちゃんと写しているか」ではなく「思考の痕跡がどれだけ残っているか」で評価するようにしましょう。
自分なりの工夫で、情報をわかりやすく整理したり、考察が加わっていたりするノートを見つけたら、クラスで取り上げて他の生徒の「教材」にしても良いのではないでしょうか。
ちなみに、メモ(備忘録)には2種類あります。他人の発言などを書き留めたものと、自分の頭に浮かびあがったことを言語化したものです。
前者であれば、思い出せなくなっても記憶に断片さえ残っていれば、改めて教えてもらうことで「復元」できますが、後者の場合、他のことに気を取られるうちに短期記憶が上書きされたら、もはや想起不能です。
気づきはその場で言語化して文字に残す習慣を作らないと、気づきを重ねる(=学びを深める)ことは難しくなるのではないでしょうか。

❏ 自分の答えを先に書き出すスペースを作らせる

ノートには思考の痕跡を残させたいのに、中にはノートを汚すことを嫌う生徒がいて、正解が板書されるまで手を動かさなかったりします。
自分で考えたことがあっても、後から提示される先生の「正解」と違ったときに書き直すことになることを嫌がる生徒です。小中学校のときにきっちり整理した綺麗なノートを褒められることを繰り返す中で、そうした姿勢を固定してしまったのかもしれません。
こうした生徒の気持ちを汲んで、ノートを汚すことなく、且つ、自らの思考の痕跡をしっかり残すノートの構造を提案してあげることも必要かもしれません。
自分が最初に考えた答えを書いておく欄、教わったり話し合ったりした後に作り直した自分の答え、さらに先生が示してくれた「別解」 を書き込む欄をそれぞれ設ければ、思考の痕跡が残り、且つすっきりときれいに整理されたノートが作れます。
最初に考えたものと、学んだ後に仕上げ直したものとの差分にこそ、その日の学びの成果が現れます。学びの深まりや自分の進歩を可視化して確認できるようになれば、次の学びに向けたモチベーションの原資たる達成感も強化できるのではないでしょうか。
学年を担当するすべての科目の先生方で方針を共有し、こうしたノート指導に臨めば、効果が表れるまでの期間も大きく短縮できるはずです。

❏ 正解を導くことだけをゴールにしない

その日の授業で学ぶことの準備をするのが予習であることに異論はありませんが、予習の段階で「完璧」を達成した生徒が授業に臨んで新たに学ぶものがほどんど残っていないというのもおかしな話です。
英語や古文で全訳を作らせて、その答え合わせだけをしている授業は、令和の時代を迎えてさすがに「絶滅」したと思いますが、昔を思い出すと、教科書ガイドから書き写せば予習は完璧。教室での学びを経てもそれ以上に積み上げはゼロというお寒い授業も少なくありませんでした。
主体的、対話的で深い学びが求められる今の時代には、教室での対面の場にどんな学習活動を配列するか、その準備としてどんなタスクを予習に課す必要があるかを考えていかないと、指示を完璧にこなすほどに、教室での学びが薄く、浅いものになってしまいます。
生徒一人ひとりが授業準備の段階から、教科書や配布資料をしっかり読み書かれている内容と対話を重ね自ら問いを立てたり、自分の意見を持つことを求めていけば、そこで生み出された問いや答え/意見をシェアするところから、教室での対話的な学びが作られていくはずです。

正解の存在する課題に予習で取り組ませる場合でも、「正解を導けたことを確認して終わり」というやり方ではなく、プロセスに焦点を当てた問いを多用して、答えの導き方、解法の考え出し方に意識をしっかり向けさせれば、生徒一人ひとりの中に生まれる気づきや思考(=対話を通してクラス内で共有すべきもの)の増大も図れるはずです。
なお、生徒にとって飛び越えがたいハードルを課しても履行率が下がるばかり。授業(=教室での対話)も成立しなくなってしまいます。別稿でも書いた通り、「複線的なゴールと教室を出る前のレディネス形成」で、予習や復習ができる状態をしっかり作り出していきましょう。
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先生方の指示を的確にこなしてくれる生徒は、それだけ能力も高く、勤勉さや素直さも備えているのだと思います。しかしながら、他者の指示を待つばかり、周囲の期待を汲んで(忖度して?)自分の行動を選んでいるばかりでは、主体的な学習者には近づけません。
工夫を重ねる中で失敗から学び、自分のスタイルを作っていくには、先生方によって安全が確保された学校以上に最適な場はないはず。創意や工夫、チャレンジの痕跡を見逃さず、肯定的に評価して見せることで、生徒の内に、自発的に動く姿勢と意欲を育んでいきましょう。

教育実践研究オフィスF 代表 鍋島史一

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