意図したことを正しく表現する方法を学ばせる

思考力・判断力・表現力が重視され、主体的に学ぶ姿勢が求めれるようになる中、生徒が自ら考えたことを発表する場面が増えてきました。
探究型学習の成果発表会などはその最たる例でしょうが、高大接続改革を機に「証明する方法を説明する」「解決策を考え周囲の理解と共感を得る」という言語活動の要素を含む問題が登場するなど、日々の教科学習指導の中でも「自らの考えに適切な表現を与える力」を獲得させる必要が高まってきています。
❏ 的確で効果的な表現の方法を学ぶ必要性
どんなに優れたアイデアを持っていても、理屈が正しければそれだけで周囲の賛同が得られるというわけでもなく、それを的確に表現する方法を持ってこそ、周囲に理解してもらい共感を得ることができます。
協働で取り組まなければ解決できない課題を前にしたときにも、発想は良いのに表現力の欠如・不足がネックになれば、せっかく良い解決策を思いついてもそれを理解してもらえないでしょうし、そもそも問題意識を共有してもらう段階すらクリアできないこともあります。
データを集めてエビデンスを揃えたり、矛盾や破たんのない論理を組み立てられることは大前提ですが、その上で、様々な表現の方法を学び、それらを適切に使いこなせるようになる必要があるということです。
相手が表現したことを正しく理解するにも、そこで用いられている表現の技法を知らなければなりません。意図したことを正しく表現する方法を学ぶことは、相手の考えを正しく理解できる前提でもあります。
❏ 表現の方法を学ぶ場は、すべての教科の学習の中に
表現の技法を学ぶ機会はあらゆる教科を学ぶ中にあります。
教科書や副教材をつぶさに見れば、そこにはかなり多彩な表現方法がちりばめられているはずです。新聞や雑誌の記事からプリントに転載したものも同様です。
グラフにして視覚に訴えたり、思考をモデル化している箇所もあれば、修辞技法を駆使したり、キャッチフレーズや新しい用語を生み出したりする言語的なアプローチが取られている箇所もありますよね。
単元で学ぶ内容を理解させたらそれで完了とするのではなく、ちょっと余裕があるときには、先生からの一言(コメントや発問)を通じて、表現の手法にも目を向かせていきたいところです。
同じデータから起こしたグラフでも、異なる形式を選べば相手に伝わるメッセージは違うものになります。同じアイデアを伝えるにも、言葉だけで説明するときと、図に起こしてモデル化して見せたときとでは相手に訴える力に大きな違いが生まれます。
日々の授業での先生のちょっとした一言の積み重ねが、表現方法に関する生徒の知識(リタラシー)を高め、その成果は探究活動の成果発表会などに発揮されますし、卒業後にも様々な場面で生きてくるはずです。
❏ 手札を増やし、正しく選択できる判断力を養う
様々な場面で表現の方法を学ばせ、手札を増やさせても、生徒が使いこなせるようになるかどうかは、その場の状況にあった適切な方法を選び出せる「判断力」を獲得させる指導に左右されます。
新しく知った表現技法をただ使ってみるだけでは、「伝えたい思いを正しく伝える」という目的を達することはできません。優れた表現にどれだけ触れさせても、それを見本に再現させるだけでは不十分です。
なぜ、このような表現が選ばれたのか、同じ手法はどんな時に使えそうか/不向きなのはどんな時かなど、様々な角度から問いを投げかけ、表現方法への理解を「使いこなせるレベル」まで深める必要があります。
当然ながら、頭だけでの理解に止まっては意味がありませんので、実際に使わせてみる機会をどれだけ用意できるかも、指導計画を立てるときのポイントです。
授業内外での課題に取り組ませた結果を生徒に発表させる中で、成果を見比べさせる/グループでの討論の中で評価を確定させるといったアクティビティは、ここでの学びに好適な場になるのではないでしょうか。
❏ 対話的な学びの拡充は、表現の方法を学ぶのに不可欠
美術、音楽、工芸、書道といった芸術科目の中では、意図をもった適切な表現の方法を学ばせますが、表現したかったものに応じた形式を選択できたかが評価の基準だと思います。
体育でも、ダンスでは意図を伝える表現を考えさせますし、作戦上の意図をもとに戦術を選択させますよね。家庭科でも同様でしょう。
実技系科目ではすでに注力されていた「表現の技法」「表現により意図されるものに気づく力」を獲得させる指導は、いわゆる講義座学系の各教科においても今後ますます重要になると考えます。
対話的な学びを拡充していく必要は、表現の機会を増やす中、その方法を学ばせることにもあるのだとの認識を持つ必要がありそうです。
多様化が進む社会では、腹芸(この言葉自体が死語になりかけていますが)は通用しなくなり、意図を正しく伝える手法を広く知り、その場に応じた適切なものを選べるようになることは、より良く生きる上で欠かせないものだと思います。
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教育実践研究オフィスF 代表 鍋島史一