自ら課題を設定し、ブレずに歩める生徒を育てる

別稿「目標提示が苦手意識を抑制」では、先生方による目標提示(到達目標と取り組み方の明示)が、学習者が抱える苦手意識を抑え込む効果について、データを示しつつ、考えるところを整理してみました。
本稿では、苦手意識を抱えさせない段階からもう一歩踏み込み、「自ら課題を設定しながら成長を重ねていける生徒を育む」ために、先生方を含む周囲の者がどう関わっていくべきか、考えてみたいと思います。
生徒に限りませんが、昨今、よく耳にするのは「褒められて伸びるタイプ」と自称する声。わからなくもありませんが、他人に褒めてもらわずとも伸びる人はいるし、褒めてもらえないから、叱られたからと簡単にやる気を失うようでは、少々「生きる力」に欠ける気がします。
自ら目標を設定し、その達成への道程を描き、実行できるように育てる先生方の指導によってこそ、自己効力感を備え、他者評価に依存しないタフでブレない生き方を生徒は身につけていくのではないでしょうか。

❏ 自分を客体化し、進捗と改善課題を捉えることで

褒められれば誰だって嬉しいものです(但し、取ってつけたような誉め言葉には警戒も覚えます)が、他人の言葉にしか意欲の原資が見いだせないのは、自らの進捗と改善課題を捉えた学びが実現していない、即ちメタ認知の獲得が不十分ということではないでしょうか。
周囲からの肯定的な評価(褒める言葉)がないと、自分の位置を特定できない、歩みの正しさを認識できないというのは、どこに課題を抱えていて、どちらに歩を進めれば良いか、自力で探れないということです。
褒められるのと逆に、叱られたときも、自分の位置を正しく捉え、こうすれば目的地に近づけるという見通しを持てていなければ、簡単に凹んだり、途方に暮れたりする以外のレスポンスは出なさそうです。
このまま、褒めてくれる人がいない限り(むしろ、居てくれることの方がラッキーなのでは?)、歩を進められないのでは自立的な成長はなさそうです。そうした「危うさ」から生徒を救い出しましょう。
褒めたり、叱ったりする前に、生徒自身が自らの歩みを見渡せる(=客体化して捉えられる)ように導く仕組みを整える必要があります。

❏ 目標設定は、進捗を可視化するための「物差し」

様々な体験を通して、実現を目指したいことを見つけたときに、そこに接近するためのルートを考え、工程を具体化する中で、人は自分の歩みを客体化して捉え、現在の位置を理解します。
実現を目指したいことを見つけて思い浮かべているだけでは、「夢」を持った段階。まだ、達成を目指す具体的な目標になっていません。到達までの手順と課題を整理して捉えていく必要が残っています。
また、日々の学習などの中で、様々な課題にチャレンジしたときも、その結果と過程を振り返って、次のフェイズにどう取り組み、どんな成果を目指すかを考える中でも、新たな目標を設定したことになります。
いずれのパターンでも、目標は「今の自分の先」にあるもの。それを明確に認識することは、頑張りの方向を定める上でも、自らの工夫と努力を通して得た「進捗」を捉える上でも欠かせないことです。
自ら設定した目標に照らして、どこまで近づけたか、進歩を自ら確かめて可視化していけば、自ずと「まだ残っている距離」も明らかになり、それをどう詰めるか考え続ける中で、自律的な努力が継続します。
誰かに褒められなくても、自分で「よし、ここは前よりもできるようになっている」と思える感覚──これが、自己効力感の核心でしょう。

❏ 成果のたな卸しをしながら、次の作戦を考える

取り組みを進める前に考えた目標に照らして、どこまで進歩したか(進捗)を捉えると同時に、目標への接近のために自分で考えた作戦(計画や見通し)が適切だったかの「検証」を行うことになります。
先生方からの「こうしなさい」という指示に従った場合と違い、自分で考えた目標と作戦ですので、それが合理的/妥当なものだったかを振り返る必要があるはず。この振り返りなしには、勘頼み/やりっぱなしになりがちで、目標設定や作戦立案の力の獲得も不確かになります。
生徒が上手く次の行動を計画できないでいると、助言をしたり、指示を与えたりしたくなりますが、生徒が「メタ認知・適応的学習力」を獲得しようとしているところを、不用意な先回りで邪魔しないことが大事。

先生方がなすべきは、生徒が自らの進捗や改善課題を捉えるのに必要な気づきを与えるべく、問い掛けで意識を誘導することくらいでしょう。
取り組んできたことを分解的に捉えて、それぞれの充足・成果を点検したり、作戦の中身をうまく行った部分と行かなかった部分に切り分けたりといったことも、意識が固着していると思いつかないもの。捉え方をリセットするためには、対話の中での新たな視点の獲得が不可欠です。
周囲の「過度な親切」は、生徒の自立性や主体性の獲得にブレーキを掛けます。できるようにさせたいなら、やらせて練習を重ねさせることが肝要です。cf. できることはどんどんやらせる~生徒の邪魔をしない

❏ 叱責や批評も前向きにとらえる「自律的な視点」

自己評価の基準を確立し、自らの取り組み(成果と過程)をきちんと評価できるようになると、周囲の意見や評価をネガティブに受け止めて、必要以上に揺さぶられることも少なくなっていくものです。
自分の軸が定まっていないうちは叱責や批判に聞こえていたものも、改善のための新たな着眼点、ヒントというポジティブなものに捉えられるようになってきます。叱られたときに、凹んで終わりと、「なるほど、ここを修正すればいいのか」と受け止められるのでは大違いでしょう。
一朝一夕に起こり得る変化(成長)ではありませんが、この土台の一部だけでも中高の6年間で築き、進学や就職後も積み上げていけば、やがては揺るがぬ自己、自律的な視点の獲得に向かっていけるはずです。
他者の評価がなくても自分の歩みに納得できる人、たとえ褒められなくても「今日はここまでやれた」と思える生徒に育てたいところです。

❏ 正しい目標設定に必要なのは十分な「自己理解」

生徒自身による目標の設定が、「他者からの評価に依存せず、自己効力感をもって自律的に行動していくことに繋がる」というのがここまでの主旨ですが、正しい自己理解の上に目標が設定されていることが前提。
高すぎる目標では達成できずに自己効力感が下がることもあれば、低すぎて成長実感が得られないこともあります。取り組みのたびにきちんと振り返りを行う中で、「めいっぱい手を伸ばして届くところ」に目標を置くことも覚えていく必要があります。
そうした「的確な振り返りができているか」をリフレクション・ログに目を通しながらしっかり把握し、「主客の一致した自己理解」を作らせたり、目標までの工程を分割させ、小さな達成を重ねさせたりすることも、先生方が引き受けるべきお仕事ではないでしょうか。
また、目標を設定しても、それが「自分事」になり切っていなければ、しんどい局面を迎えたときに、諦める気持ちが首をもたげてくるもの。進路選択などで目標を見つけさせるときも、選択までのプロセスを確かめ、自分事になっているかを確かめていきましょう。

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教育実践研究オフィスF 代表 鍋島史一