教科の枠を超えて「学び」を語るために

以前に増して「思考させる授業」や「探究的な学び」が求められる中、私たちが目指すべきは、単なる知識伝達を超えた授業デザインです。
探究活動やPBLに取り組む機会が増える中、狙いの中心に据えるべき対象は、単元固有の知識や理解の形成と並行して(=それを手段に)獲得を目指す「さまざまな能力や資質」へと変わってきています。

各学校が打ち出している「特色ある教育活動」もまた、既存の教科の学びに「後付け」しただけのものではないはず。各教科の学びの成果を統合し、より高い次元に昇華させる機会として創られたものでしょう。
日々の授業を考えるときも、自教科のことだけを視野に置くのでは不十分ということ。先生方が、教科の枠を超えたところで「学びについて語り合える言語と機会」を持つことは以前に増して重要になっています。
教科を跨いで議論をするときに、指導観や学力観に「ズレ」や「断絶」を感じることがあるようなら、改めて目線を揃えていきましょう。

❏ なぜ、担当教科の外での学びに意識が及びにくいのか

先生方はどなたも例外なく、より良い授業の実現を目指し、教材の工夫や指導方法の改善、評価の設計などに力を注いでいるはずです。
学習内容をより深く理解させたい、確かな力を身につけさせたいという思いに強く駆られる日々と拝察しますが、目の前の単元や教科内の到達目標に意識が集中するほど、その先や周辺は見えにくくなるものかと。
生徒の学びを設計するときには、「今この教科で学んでいることが、どこでどう活きるのか」を常に問い、明確なイメージを持ちたいところ。この意識を持たない授業設計や指導計画では、生徒の学びもその場に閉じたものになり、「生きる力」に昇華しきれないと思います。
以下の別稿でも書きましたが、各教科で学んだことも、探究活動の中で学ぶ探究の姿勢や作法と同様に、そこで生徒が活用すべき知識です。

他教科で生徒が学んだことを踏まえ、自教科の内容を上乗せすることでさらに有用性の高い道具にすることができます。そうしてこそ、各教科で学ぶことの意味はより大きくなるはず。自教科の学びの完結をもって生徒の学びが完成するわけではないのだと考えるのが好適です。
教科の枠を取り払い、全校(あるいは学年)を挙げて取り組む「総合的な探究の時間」を軸に据えることで、各教科の学びは互いに接点を持ち始めるのではないでしょうか。
探究活動の各フェイズにおいて、自教科で学ばせることがどう役立つのかを考えるとともに、他教科で学ばせていることにも(少なくとも「探究の方策」と括り得る部分には)しっかりと目を向けましょう。
教科書会社も、競い合うように「探究的な学び」を各単元に織り込むようになっています。そこに書かれた実験の方法や社会調査のやり方などには、自教科の学びにも生かせるヒントを抱えているかも。他教科の教科書を捲ってみるだけでも指導のイメージが膨らんできそうです。

❏ 様々な場面に共通する“学ばせ方”を言葉にしてみる

どの教科の先生も、それぞれの目標に即し、最適な指導を日々模索しておられます。扱う内容は科目ごとに異なりますが、生徒が「学ぶときに取っている行動」には教科を超えて共通するものも少なくありません。
たとえば、資料を読み取って要点を整理する場面などはどの教科でもありますし、実験や調査の結果をデータにまとめ適切な加工を施すことなども、いずれかの教科に固有ではない、「汎用的」なスキルでしょう。
不明が生じたときに「手を挙げて質問する」のも、条件が揃ったときにしか取れない行動です。学習者としての自立を目指すなら、別のアプローチにも習熟させなければなりません。

発表やレポートの形で考えを言語化・表現させるのも至る所で見られる活動ですし、予想と違う結果がでたときのふるまい方や、事物を観察してそこに問題を見つけるといった力と姿勢も、まさに合教科的に養われるもの。協働場面でのふるまい方なども、同様でしょう。

こうした「学ばせ方」は、たとえ表面の形が教科ごとに違っていても、背景にある学びのプロセスや育てたい力には共通するものがあります。
別稿「全教科でコミットすべき能力・資質の涵養」にも書いた通り、言語・数量・情報の各スキルに加えて、問題発見力メタ認知・適応的学習力といった「思考力」も、いずれかの教科に固有のものではありません。そうした機会をどの教科でもしっかり整えたいところです。
こうした学びを支える共通項を、言葉の上でも、意識のレベルでもきちんと共有しておくことは、能力・資質の育成が断片化するのを防ぎ、すべての教科の学びをつなぐための要件の一つでしょう。
自教科の中での実践だけでなく、他教科の実践の中にも、倣うべき優れた指導手法があるはず。それらを互いに学ぶ機会を持ちたいものです。

❏ 日々の疑問や悩みを言語化するところから生まれる対話

教科を超えて学びを語ることの必要性は、現場でも徐々に意識されるようになってきていますが、実際に語り合う場を作ろうにも、「誰が何から話すのか」「何を共通項にできるのか」は中々定まりません。
互いの専門を尊重するあまり、教科の垣根を越えられないまま時間が過ぎてしまうというのも、実によくあるパターン。(校内研修会を行ってから、各教科の分科会に進むときは割とスムーズですが…)
ましてや、専門外(=他教科)のことに踏み込むとなると、腰も引けようというもの。誰かが口火を切ってくれるのを待つうちに時間だけがどんどん進みます。
各教科の特異性は、学習内容にしかありません。学習の主体たる生徒の「学び方」に視点を当てれば、他領域に踏み込むのではなく、それぞれの知見をシェアし、建設的に組み合わせていく場にもできるはずです。
最初の口火になり得るのは、先生方が日々の指導の中で感じた「困り事や疑問」。それらを言語化してシェアする場を作るだけならハードルは高くありません。似たような疑問や悩みをピックアップして、各々の立場での取り組みや現状での成果を伝え合うだけでも大きな学びです。
実際、そんな場面を作ってみたら、こんな話題になりました。どの教科でもあり得る悩み。解決策は「教科固有の領域」にはなさそうです。

手詰まりを感じているところにも「他教科での取り組み」の中に突破口が見出せるかもしれません。日々感じていることを言語化して発信してみることが、より良い学びの実現に向けた協働のきっかけになります。
まずは、肩の力を抜いて「気づいた人から、気づいたところから」でしょう。最初から、組織的に全校で動き出すのは多大なエネルギーを要しますが、身近なところで、学年団の他教科の先生と話してみるところからなら、同じ生徒を見ているだけに有為なやり取りにもなるはずです。
繰り返しになりますが、ここで必要なのは、「教科内容の専門性」ではなく、「生徒の学びをどう見るか」「どんな力を育てているか」であり、それを相手と共有するための土台になる「言葉」です。
たとえば、「問いを立てる」「情報を集めて知に編む」「見通しを立てて解決までのプロセスを考える」「思考の結果とプロセスを言語化する」などは、どの教科の学びを語るときにも必要になるはずです。

❏ 学びをつなぐ対話を継続し、根付かせるために

教科を越えて学びを語る対話は、始めること以上に、続けることが難しいのかもしれません。校内研修などで話し合いの場を設けても、そのときの熱や気づきが日々の授業に結びつかないまま、次第に話題も関心も薄れてしまうことがあります。
対話を一過性のものにしないためには、「教科の壁を越えて語ること」を特別な活動とせず、日常の中に組み込んでいく工夫が必要です。たとえば、共通の生徒を見ている先生方が、授業中のふとした気づきを伝え合うだけでも、学びをつなぐ視点が自然に共有されていきます。
生徒の姿を起点にすれば、話題が途切れることはありません。「この生徒、別の教科ではどんなふうに課題に取り組んでいるのか」「今見せているふるまいは、どこから来ているのか」といった問いは、特定の教科に閉じない学びの接点を見出す手がかりになります。
また、探究活動の指導に際しての生徒観察で得られたもの(所見や気づき)のシェアも大切です。「こんな工夫をしている生徒を見かけた」という起点からは、「どこで身につけたものか」「他の生徒にも学ばせるには、各教科で何ができるか」へと、思考を展開できるはずです。
重要なのは、こうした対話が、授業の改善や評価の仕組みとは別に存在する「付け足し」ではなく、日々の実践を内側から支える営みとして根づいていくこと。大きな改革や制度の導入より、気づいたことを言葉にして共有するという「小さなやりとり」の積み重ねが重要と考えます。
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教育実践研究オフィスF 代表 鍋島史一