問い掛けにきちんと反応させる仕掛け
前稿の通り、発問を軸にして授業を構成することには、生徒の思考や行動を引き出したり、説明などの情報をしっかり受け止める態勢を取らせたりする効果があり、課題解決のプロセスを共時的に体験させていくにも、発問は重要なガイドになります。cf. 問答を通じて論理性を養う
どんな問いを発するかで、生徒が身につける学力がまったく違ったものになるのは、拙稿「どんな問いを立てるかで授業デザインは決まる」でも申し上げた通りです。
しかしながら、同じように発問を重ねる授業を行っているのに、生徒がその一つひとつに活発に反応する授業もあれば、メンバーは全く同じである(要するに同じクラス)のに、反応が著しく希薄で、発問が生徒の思考や行動を引き出せていない授業があるのも事実です。
その違いを生じているのは何なのか、様々な授業を比較する中で気づいたポイントを整理してみたいと思います。
2014/12/04 公開の記事を再アップデートしました。
❏ 同じクラスなのに、授業によってこんなに違う?
クラス全体に発問を投げかけ、生徒が誰とはなしに口々に答えを言い出す風景は、小中学校に限らず、高校でも大学でも、ときに専門学校でも実際に見かけます。
これに対して、発問を投げかけてもクラスの誰も答えてくれず、指名してようやく口を開いてくれるというケースも少なくありません。
以前、ある学校をお訪ねして同じクラスの授業を、連続した時間帯で参観する機会に恵まれました。
5時間目の国語ではお昼休みの直後にも拘わらず、生徒は押しなべて元気よく発言しているのに、6時間目の英語では、活発な発言どころか、指名されてもモジモジ、傍らでは、部活動の猛練習に備えてか、睡眠で体を休めている姿も見かけます。
わずか10分の休み時間を挟んで、まるで別のクラスになったかのような感覚を覚えました。
❏ 不用意な指名が、他の生徒の発言を控えさせる
6時間目の英語では、先生が説明している時間が相対的に長く、その間に多くの生徒が「問われる態勢」を解いてしまっています。
また、発問する場合、必ず誰かを指名してしまうので、あたかも指名されないと発言してはいけないような雰囲気です。
指名された生徒以外は「他人事」のような振る舞いです。席が近い生徒や出席番号がすぐ後ろの生徒は、「飛び火」を警戒して多少はやり取りに耳を傾けている様子でしたが…。
生徒を指名してから発問をする場面すら目にしました。これでは、指名された生徒以外が横から発言を挟み込んでも構わないという雰囲気にはなりません。
また、指名に際して、個々の生徒の状況を把握していないため、まったく準備していない生徒を当ててしまい、「授業は止まる」「生徒は恥をかく」「次の展開に繋げられない」という三重苦をわざわざ引き寄せてしまっているようにも感じました。
指名前に問題を解かせているときに、きちんと机間指導を行い、生徒のノートを覗きこんでおくだけで避けられた事態ではないかと思います。
❏ 問いはクラス全体に投げ、発言はしっかり拾い上げる
これに対し、5時間目の国語では、発問は必ずクラス全体に投げかけ、生徒の反応を伺い、答えを持っていそうな生徒にはアイコンタクトで発言を促していました。
指名されなくても答えを口にすれば、先生がそれを拾い上げてくれて、黒板に書き出してさえくれます。
発言が着眼点を外したり、掘り下げに足りないところがあっても、まずは教室でシェアして、そこから次の問いを立て、答えに足りていないことに気づかせつつ、徐々に答えの完成に持っていくという段取りです。
こうしたやり取りが日常的に行われていれば、「考えたことは発言しても良い」という認識が生まれるとともに、自分の答えを拾い上げてもらいたい気持ち(=考えたところを伝えたいという欲求)も強くなっていくのは当然です。
考えたことは言語化してみることで、頭の中だけで考えているときよりも、思考に際しての観点の欠落に気づくのが容易になります。
拾いあげた生徒の発言を土台にした先生からの次の問い掛けは、生徒の気づきを増やし、思考をより深いものにしていきますし、そうした問いに多く触れる中で、他の生徒は(ときに最初に発言した当人も)発言や答えを客観的に評価し、さらに掘り下げる力を身につけていきます。
自分の発言が否定されることなく、さらに良い答えの土台になっていく場面を経験することは、学習場面における自尊感情にも好ましい影響を与えるのではないでしょうか。
こんな発言をしたら馬鹿にされるのではないか、わかっていないのは自分だけでこんな質問はレベルが低いと思われるのではないか、と余計な心配をしている生徒は思いのほか多いようです。
その3に続く
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教育実践研究オフィスF 代表 鍋島史一