当たり前のことですが、どの教科の学習指導を行うときも、「基礎」が固まっていない生徒がその先に学びを進めるのは容易ではありません。
新しい単元を学ばせようにも、関連する既習単元の内容を理解していない/知識として定着していないのでは、それらを土台とする新たな知を積み上げることはできず、勢い、復習や学び直しに終始しがちです。
こうした状況を前に、基礎が身についていない生徒に教えるとき、「わかりやすさ」「ポイントの明確さ」を優先しがちですが、それだけでは基礎力の不足という問題を生じさせた根っこの問題がそのままです。
❏ 基礎力という言葉が持つ、新旧2つの意味
教育現場では、明確に定義することなく使うことが多い「基礎(力)」という言葉は、場面によって2つの異なるものを指しているようです。
ひとつは、昔ながらの捉え方とも言えますが、「頻繁に参照されるプリミティブな知識群や理解」であり、「基礎の定着が不十分」といった言い方をするときが指しているのはこちらでしょう。
既習単元で学んだことが、理解できていなかったり、自在に想起できない状態になっていたりすれば、それらを土台にして思考を重ねて到達する「ひとつ先の理解」を形成する際の妨げになります。
もう一つは、新課程の土台となった21世紀型能力における「基礎力」です。別稿で触れた通り、言語、数量、情報の各スキルで構成される、思考力を支える力を指します。
こちらが欠けている場合、教科書を読んだり人の話を聞いたりして情報を集め、新たな知に編むことはできず、新たな知識や理解を積み上げていくことができません。
今でもなお、教室内外で生徒の学力について語るときに、基礎(力)という言葉が指しているのは、前者が多く、後者の意味で用いられるのは比較的少ないように感じていますが、如何でしょうか。
❏ 基礎力の不足=学習方策(学びの土台)への未習熟
基礎学力が不足する生徒の指導を行う場合、どうしても既習内容の定着や習熟の不足に目が行きがちになり、復習や教え直しに力が入ってしまうことが多いと思います。(これ自体は悪いことだと思いませんが…)
また、土台の不確かさで、高度な内容を学ぶのが難しい(と考えてしまう)ため、学習内容を抑え気味にしたり、より分かりやすい説明を心掛けたりするのも、ごく当たり前のことかと思います。
しかしながら、こうした「難易度の抑制」や「わかりやすさの重視」だけで、生徒が自力で新しいことを学んでいく力は養えるでしょうか。
どの時代にも当てはまることですが、「現在の教室で教えられること」は、既に明らかにされたことがら(様々な物事の仕組みや課題を解決する既存の方法)に限られます。
科学の進歩や社会の変化により、「先生方が今教えてあげられること」だけでは、生徒は未来を生き抜くことは難しいはず。必要に応じて学べる力を養ってあげることこそが、生きる力になると考えます。
仮に、解決すべき問題に直面したときに、その理解や解決に要求される知識を所持していなくても、学び方さえ身に付けておけば、必要に応じて学んでいくことができるはず。致命的な不利益は避けられそうです。
❏ 基礎力不足の生徒にこそ、しっかり取り組ませたい活動
入学してきた時点で、それまでに獲得しているべき知識や理解、技能などに大きな欠落/不足が見て取れたとしたら、それらの学び直しも必要ですが、並行して、学び方そのものも学び直させていきましょう。
新しい単元を学ぶ上で不可欠な「前提理解」も、丁寧に教え直してその場をしのぐだけでは、絆創膏を貼っただけの状態です。
転ばない歩き方(=着実に学びを積み重ねる方法)を獲得していない生徒は、またどこかで転ぶでしょうし、転んだ時に立ち上がる(トライした結果を振り返り、次に取るべき行動を考える)すべを知らなければ、その場に倒れ込んだままになってしまいます。
以下は、日々の学びにおいてどの生徒にも取り組ませたい活動ですが、基礎力が不足する(根っこの部分で「学習方策の未確立」という問題を大きく抱える)生徒の指導では、とりわけ力を入れたいところです。
・教科書や資料を自力でしっかり読む
教科書や資料をじっくりと読むことは、「情報を集めて新たな知に編む力」を獲得させるのに欠かせません。個々の生徒の学力水準に拠らず、教科書を音読することにも小さからぬ意味と効果があります。既習事項の復習も、問い掛けで教科書などを開いて調べさせていきましょう。
・周囲と話し合い、気づきや知識を交換する
一人で考えても思いつかない/わからないことも、周囲との対話で、気づきや知識を交換すれば、理解は進み、発想も膨らみます。集団知を活用して新たな知を得る方法を学ばせていきたいところ。疑問を言語化して他者に伝え、答えや支援を得ることも生きる力の一つだと思います。
・観察する、問いを立てる(問題を見つける)
先生方が、「大事なところ」に焦点を当てて強調してくれたり、「躓きやすいところ」を解きほぐしてくれたりすれば、学びは円滑になりますが、卒業後に先生はそばにいません。その時を迎えても困らないよう、問いを立てながら観察する習慣と方法を身に付ける練習が必要です。
・取り組みのたびにきちんと振り返りを行う
だいぶ前の記事でも考察した通り、「何がわかっていないか確かめながら勉強する」という【モニタリング方略】は、時どきしかしない生徒にも、勉強が好きになる効果が期待できそうです。21世紀型能力の「思考力」では、メタ認知、適応的学習力が構成要素の一つ。自分の学びをデザインできるようになってこそ、学習者としての自立が進みます。
単元内容を理解させ、必要な知識を蓄えさせていくことは重要ですが、それと同等以上に、「必要な時に自ら学べ、考えられる」ようになることは重要であると考えます。
これまでの学びの中で後者の力を身に付けられなかった結果が、現況の学力不足であり、知識を補ってあげるだけでは根本の問題が残ります。
現時点で「学力に不安あり」という生徒にこそ、個々の学習内容を学ぶことを「機会/手段」に、学び方(新たな知の獲得方法)を改めて学ぶ機会を用意してあげましょう。そうした能力/スキルを学べる学習活動を日々の授業の中に配列してあげられるのは、先生方しかいません。
■関連記事:
- カリキュラムは{学習内容×能力資質}で設計する
- 「学びの拡張」まで考慮したカリキュラムの設計
- 学力差、苦手意識への対応(ジャンル別記事インデックス)
- 学習方策は課題解決を通して身につく
- 模試の結果を正しく振り返る(学習行動の改善)
教育実践研究オフィスF 代表 鍋島史一