昔からよく言われることに、「板書を増やすと、生徒は写すことばかりに気を取られ、学びの姿勢が受け身になる」というのがあります。この指摘には納得できる部分もなくはありませんが、「板書が多いこと自体が思考を妨げる」というのは短絡的に過ぎるのではないでしょうか。
受け身の姿勢が強調されたり、自ら考えようとしなくなったりする要因は、板書の多さではなく、板書の仕方、板書に至るまでの進め方にあると思います。実際、問い掛けと組み合わせて板書を行っていたり、拾い上げた生徒の発言を板書して共有し、次の問いに繋げたりしている授業では板書の充実と活動性の向上が両立しています。
2015/11/20 公開の記事をアップデートしました。
❏ 板書を上手につかって思考/学習活動を活性化
先生が黒板に書いたものを、そのまま写すだけなら、たとえ授業をろくに聞かず、思考を止めていてもできてしまいます。
ろくに発問も挟まず、一方的に板書と説明を進めるだけの授業を行い、板書を忠実に写しただけのノートを見て「よく勉強している/真面目に取り組んでいる」と評価するのもちょっと迂闊に過ぎます。
これに対し、先生からの問い掛けを受け、生徒がしっかり考えてから、先生が板書したものに照らして確認するサイクルが確立している授業では、生徒の思考はそうそうストップしないはずです。
問い掛けて引き出した生徒の発言をしっかり組み込んで板書を作り上げていくようにすれば、生徒もそこに参加していることになります。
さらに、先生が黒板に書いたものに、生徒が自ら考えたこと/得た気づきを書き加えてノートを作ることを習慣化させていけば、生徒の思考/学習活動と板書/ノート作りは両立します。
こうした場面では、板書を使わずに(=前段の理解や生徒の思考の痕跡を視野に固定することなしに)進める授業より、生徒は積極的に学びに参加できているのではないかと思いますが、いかがでしょうか。
❏ 板書する前に、必ず「問い掛けて、考えさせる」
まずは、板書する前に、きちんと問い掛けを行って、「考える段階」を先に踏ませることを徹底しましょう。問い掛けによって、次に答えとして与えられる情報を受け取る態勢を取らせること( cf. ボールを投げるのはミットを構えさせてから)が大切です。
A: 先生が説明した→黒板に書き出した→自分のノートに書き写す
B: 問い掛けられた→自分の頭で考えた→答えと照らして理解を確認
問い掛けなしで行われる先生からの説明(一方的な「講義」)はAの流れです。ここには生徒の自発的な思考は生まれません。単に写しただけであり、きちんと書き写したとしても理解している保証はありません。
Aの流れを、Bに切り替えるだけで、生徒の学びは「説明を聞いた」から「自分で考え理解した」に変化し、学習には能動性が加わります。
先生が選択している「板書するまでの手順」がどちらかによって、生徒の思考が止まるか膨らむかが決まることを、常に念頭に置きましょう。
❏ 自力で考えてノートを作れるようにするトレーニング
頭に入ってきた情報(=先生の説明など)を、思考という「消化」のプロセスを経て整理し、改めてノートの上にアウトプットするのは、言葉で言うほど簡単ではありません。
何の事前トレーニングもなしに、いきなり「やれ」と言われても生徒は面食らうばかり。少しずつ練習を重ねさせ、あるところまで学習を進めた時点で出来るようになるよう、計画的に指導に当たりましょう。
練習と言っても特別なことではありません。日々の授業の中で、先生方が問い掛けを絶やさず、その場で生徒に考えさせ、その結果をノートに書き出させてから、次のフェイズ(生徒同士の話し合いや、先生からの正解提示や解説)に進むという手順を欠かさずに踏むだけです。
最初のうちは、逐次「考えたことをノートに書きなさい」と指示することも必要でしょうが、習慣化すればその指示も省けるようになるはず。
生徒が少し慣れてくれば、言葉で指示する代わりに、黒板に「枠」を描いて、生徒に「自分の答えを書きこむスペース」だと認識させる手もあります。「TIPS! 空所を残した板書」の応用です。
枠内に書き込むべきことを、先生がすぐに「模範解答」として示してしまったら、ここでの取り組みは大きく効果を損ねます。まずは生徒自身に「答え」を作らせることが大事。出てきたものをクラスでシェアし、生徒相互に学ばせるようにするなどの工夫も加えたいところです。
考えながらノートを取るという習慣と技術を身につけさせる方法はこれ以外にも色々です。先生方の知恵と工夫の見せどころだと思います。
❏ 情報を整理する方法を学ばせるのも板書を通じて
教科書や資料に書かれているテクスト(文字情報)を読んで、関連付けて整理したり、全体像を構造化したりする「情報を知に編む力」も生徒は身につけていかなければなりません。
先生がプリントを起こし、情報整理や関連付け、構造化といった工程を一から十まで肩代わりしてしまっては、生徒はその練習に取り組む機会を与えられていないことになります。
わかりやすく効率よく伝えるために、時間と労力を投じて行った授業準備が、却って生徒から言語や情報を扱うスキルの獲得機会を奪っている可能性もあることを、常に意識しておく必要があると思います。
如上の過程をすべて先生が肩代わりしてしまい、「生徒は受け取ったものを覚えれば良し」というのでは、出された料理を食べているだけ。それで料理の手順や方法、コツを学べたら奇跡的です。
テクストや資料の情報(言語、図版、データなど)から読み取ったものを整理し、知に編むプロセスを学ばせるには、教室でその体験を積ませる必要があります。
その工程を生徒の視野に展開し、途中で重ねた痕跡とともに生徒が参照できるところ(=ノート)に記録させるには、板書を戦略的に活用するのが最も効果的なアプローチのひとつです。
当然ながら、生徒はその板書を書き写すことにもなりますが、前述のように前段の手順と思考をきちんと踏ませさえすれば、生徒の学習活動を受動的なものにする懸念は不要ではないでしょうか。
21世紀が求める学力の形成にも、板書は効果的な教具になり得ます。
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教育実践研究オフィスF 代表 鍋島史一