生徒の興味・関心をどこまで育めたか

授業を通じて科目に対する(あるいは学びそのものへの)生徒の興味や関心を高めることはどの教室にも共通する目標だと思いますが、そのための方法を論じる機会の多さに比べて、「興味・関心とは何か」という根幹に立ち戻った議論はあまりなされていないような気がします。
興味・関心とは何かをきちんと定義しないままでは、その高まりを客観的に測定することはできません。方法をあれこれと論じても、それらがどのくらいの成果を得たか検証できなければ、方法の優劣を判断することも難しく、共有すべき優れた実践も抽出ができないはずです。

2018/06/29 公開の記事を再アップデートしました。

❏ 興味とは、知りたい気持ち/やってみたいという欲求

何かに興味を持つというのは様々な場面でおきることですが、共通するのは「もっと知りたい/試してみたい」という欲求でしょう。
わかりきっている/自明だと思えることや、背後や周辺にパッと見以上の広がりをイメージできないことに興味が沸くとは思えません。

  • どうしてこうなっているのだろうか
  • なぜそんなことが言えるのだろうか
  • 他にはどんなことができるのか、…

といった疑問を思い浮かべることが興味の本質の一つだと思います。
探究活動のテーマ選びでも、「興味のあること」を起点にさせることが多いかと思いますが、ここでも「興味=知りたいこと(=今の段階でわからないこと)」との定義を頭に入れておくべきだと思います。

❏ 疑問を抱かせる/不明に気づかせるのは「問い掛け」

生徒にそうした疑問を抱かせる/不明の所在に気づかせるのに最も手軽で確実な方法は、こちらから問い掛けてしまうことです。
別稿「隠されているものは覗きたくなる」でも書きましたが、問われてみて初めて自分がわかっていないことに気づき、一体どうなっているのだろうと考え始めるのは、生徒に限ったことではありません。
問われたことで、それまで思いもよらなかった角度から物事を見るようになれば、如上の様々な問いが頭に浮かんでくるものです。
問い掛けるという方法以外にも、相手が見落としているだろうと思える箇所を指摘してみせ、角度を変えて掘り下げて考えてみる余地が残っていることに気づかせるという手もあります。
興味を持ちなさいと言われても「ハイそうしてみます」とはなりませんが、如上のアプローチなら外からの刺激で興味のきっかけを作れます。

❏ 自己効力感を持てたところに行動への欲求が生まれる

学習して身につけたことを別の場面で試してみたいと思うのは、勉強に限らず、スポーツでも遊びでも経験することではないでしょうか。
ある仕組みや方法を学んで、できること(自分の能力の及ぶ範囲)の広がりを感じれば、それを試してみたくなるものです。
例えば、新しい言葉を学んで知ると、それをどこかで使ってみたくなるもの。教室などで新しく触れた「ちょっとカッコ良い用語」をやたらと使ってみたがる生徒の姿をご覧になられたこともあろうかと思います。
自己効力感を持てる範囲が広がったことで、行動が誘発されるというのは本能に近いメカニズムだと思います。
となれば、指導者にできることは、教えたり学ばせたことを使って解決する課題に生徒を挑ませ、その達成を通じ「できることの範囲が広がったこと」を実感させてあげることだと思います。

❏ 関心とは、物事に関わろうとする心的な態度や姿勢

一方、関心は書いて字のごとく「関わる心」であり、対象への関わりを持とうとする意識や姿勢を指すのだと思います。
社会が抱える課題や自分の身の回りに起きていることに、当事者としてどう関わるべきか、どう関わりたいかを認識するという形で現れることもあります。cf. 社会参画力、持続可能な未来への責任(実践力)
これを教科学習指導の場に当てはめてみると、

  • 学んでいることが自分にどう関わっているのかを知り、
  • 他人事ではなく「自分事」として認識できるかどうか

といった基準で「関心を持っているかどうか」を判別できそうです。
教科書に書かれていることを字面として理解するだけでは、ましてや教わったことを覚えることに終始するのでは、学習したことに対し当事者としての「関り」を認識しているとは思えません。

❏ 教科・科目を跨いだ学びで関心を持たせる

教室で学んでいることを、自分の身の回りに存在する問題として認識させるには、そうした観点で作られた「課題」が必要です。
昨今の社会(≒生徒)が向き合う問題に自教科の学びがどのような接点を持つかを考えると、そうした課題も思いつきやすいかもしれません。

それぞれの教科・科目の学習内容に閉じていては、そうした接点を見出せるとは限りません。教科・科目を跨いで学ぶ機会を作る必要が生じますが、その役割をすべて「総合的な学習の時間/総合的な探究の時間」に回していては、思いのほか低いところに限界がきそうです。
同一教科の他科目はもちろん、保健や家庭、情報の教科書にも目を通してみると、思いがけないところに接点があり、担当科目の授業の設計にも発想が膨らむはずです。
生徒にとっても、教科・科目の垣根を取っ払って、様々な角度・視点から学びを重ねられることは有為な体験ではないでしょうか。

❏ 興味・関心をどこまで育めたかを検証する

興味・関心の高まりを測るのに、「学んでいることにどのくらい興味や関心が持てましたか」と生徒に尋ねても、正確な答えは期待薄です。
自由記述で「興味をもったことを挙げて、その理由も添えて下さい」とし、そこに挙がった項目の数と理由の具体性を観点に、段階的な規準を設けて評価結果を定量化するという手もありそうです。
関心の広がりを把握したいなら、前述の「身の回りに存在する問題として認識させるための課題」に取り組ませたときのリフレクション・ログに生徒がどんなことを書き残したかを手掛かりにするのも好適です。
そこに「自分でも、こんな方法でこの課題に取り組んでみたい」といった具体的な意思表明があれば、指導の手応えは十分にあったと評しても良いのではないでしょうか。
■関連記事:

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教育実践研究オフィスF 代表 鍋島史一

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