授業改善は先生方一人ひとりが取り組むべきお仕事であるのは間違いありませんが、教科内外で先生方の協働があってこそ、うまく機能する/成果が上がるものという側面もあろうかと思います。
周囲の優れた手法や工夫に学ぶことなしには、改善に向けた発想も自分の中に閉じたものとなり、広がりも深まりもないまま凝り固まってしまうリスクを抱え込みます。
互いの実践に学ぶ中で、より良いものが共有されるにつれ、校是ともいうべき「自校が目指す授業像」も生まれてくるのではないでしょうか。
2017/09/06 公開の記事をアップデートしました。
❏ 成果を挙げた実践を知り、そこに学ぶ
例えば、公開模試の成績で大きな伸長があったクラスには、伸長をもたらした要因である何らかの「優れた実践」があったはずです。
そこで行われている実践や指導の工夫を知る機会を持たずに、自分の担当するクラスでこれまでと同じ指導を続けていたら、目の前にいる生徒は、伸びたクラスと同じ恩恵に与ることもできません。
そもそも、伸びているクラスが存在しているのに、その所在に気づかないでいては、その手法や工夫を知る/学ぶところには到底至らず、そのかなり手前で立ち止まっていることになりそうです。
学校には、様々なデータがありますが、それらを優良実践の所在を探ることに利用できているかどうか、振り返ってみる必要があります。
例えば、授業評価アンケートで得意/苦手の生徒意識の分布を定点観測している中でも、ある科目を「得意」と答える生徒が顕著に増えてきたとしたら、その理由(どんな指導による効果か)を探りたいもの。
それを他のクラス/学年でも(効果を確かめながら必要なアレンジを加えつつ)試していれば、元々は一人の先生の発想から生まれたものが、やがては教科あるいは学校全体で共有される知見に育っていきます。
❏ 優良実践の共有が進めば、授業間の差異は縮むはず
授業のやり方は、それぞれの先生方の授業観や学力観(多くはご自身が生徒だったときに作られ、無意識のうちに再生産されています)を土台にしますので、先生ごとに違ってしまうのが「自然な状態」です。
多様な教え方があるのは、自分に合ったもの(授業)を生徒が選べるのであれば、好ましいことですが、実際には、在籍するクラスや学年で先生は決まってしまい、生徒に「選択」はないかと思います。
割り振られた教室で、自分では選べない授業に学びが左右されるとなれば、「当たり、外れ」があるのはどうかと…。授業のスタイルに違いはあっても、獲得できる学力には大差ない状態を保証したいところです。
如上の「自然状態」を抜け出すには、同僚の先生の実践に触れ、発想を広げていく中で、自分の授業に欠けていたものを補い、同時に、不要に抱え込んでいた拘りなどを洗い流していく必要があろうかと思います。
別稿でも書いた通り、マニュアルのようなもので授業のあり方を最初から縛るのでは、創意も生まれず、形だけ揃ったあまり意味のないものになりますが、大きな指導効果上げている授業でのやり方を互いに取り込んでいけば、それぞれの授業に共通するものは自ずと増えてくるもの。
そこに生まれるのが、冒頭に書いた、校是というべき「自校の授業像」なのではないでしょうか。先生方がそれぞれバラバラなやり方をしているようなら、互いの実践や工夫に学んでみる余地がありそうです。
❏ 不公平に感じられることには保護者や地域も敏感
校内で行われている授業がまちまち/バラバラであるのを敏感に見抜くのは、授業公開/参観などで学校を訪れた保護者や地域の方です。生徒が「同じ科目の別の先生の授業」を観て、違いに気づくのは稀です。
そうした「違い」を目にしたとき、我が子を預ける保護者は不満を覚えるでしょうし、学校を志望しようと授業公開に足を運んだ受験生やその保護者は「何だ、これ?」と思うかもしれません。
些末なことかもしれませんが、保護者が学校の取り組みに不信感を抱けば、教育活動への理解と協力は得にくくなりますし、受験生(+その関係者)の出願意欲も薄らいでしまうかもしれません。
実際、学校公開時のアンケートでも、そんな記述は少なくありません。
担当者(先生)ごとに授業のやり方が大きく異なる(≒受けられる教育に違いが生じる)ことに、ステークホルダーは想像以上に敏感です。もし、スキルに劣る先生の指導を受けている1年間で差がついてしまったら(=遅れが生じたら)という不安や不満もあるのでしょう。
繰り返しになりますが、「授業かくあるべし」とばかりに理念を先行しても、あまり実のあるものにならないと思いますが、先生方がそれぞれの工夫の中で作り上げてきた優れたものは広く共有すべきです。
校是たる授業像が明確にされ、方法に多少の違い(個性)はあっても、どの教室でもその理念が等しく実現されていることは、生徒や保護者、地域からの信頼を得るための大前提だと思います。
❏ 高い評価/大きな成果を得た先生からの発信が鍵
大きな成果を得ている/(付加価値の大きな)指導を互いに学ぶと言っても、どんな工夫や取り組みがどこでなされているかは、その授業を担当されているご本人が発信してくれなければ、知るすべがありません。
成果が出たときは、どんな取り組みを行い、どんな成果と課題が確認されたかを、教科会などで積極的に発信していきましょう。
改善課題を抱えていた先生方は、その発信に触れて「自分の授業でも取り込めそうだ」と思えば、実際に授業を観に行って具体的なやり方を学べば良いだけの話です。
発信する側に回った先生にしても、自分の取り組みと成果(加えて、今後の課題)を客観的に捉え直し、言語化することは重要かつ有効です。
大きな成果が上がったにも拘わらず、何が奏功したか明確にできなければ、別環境に応用もできません。言葉にしてみる中で、見落としていたことに気付いたり、更なる発展へのヒントがあったりするものです。
❏ 授業改善に協働で取り組む姿も生徒に見せたい
生徒に主体性や協働性、多様性を獲得させることに先生方は日々尽力なさっていますが、先生方が協働で課題(ここではより良い授業の実現)に取り組む姿を、モデルとして見せていくことも大切だと思います。
先生方が知恵を出し合ってより良い学ばせ方の確立に取り組む姿や、多様な授業観に折り合いをつけながら学校の教育目的の達成に歩を進めていく姿は、生徒にとって「ついていくべき背中」ではないでしょうか。
伝達スキルや授業デザインといった事柄以外にも、各教科の専門教養の向上、問いのあり方の研究、教材や授業ネタの開発といったところにも先生方の協働の機会があるはずです。
そうした取り組みを進める中で、もしかしたら、先生方ご自身の協働性や多様性にも新たな一面が加わるかもしれず、それを生徒にも伝えていければ、今イメージできる以上のものを生徒に授けられるかも…。
本稿を起こしながら、ずいぶん前に恩師が引退するとき、「学び続けてこそ、人に教える資格を持つ」と教えられたのを思い出しました。
教育実践研究オフィスF 代表 鍋島史一