先週半ば、東京大学社会科学研究所とベネッセ教育総合研究所との共同研究(親子パネル調査)の結果速報がプレスリリースされました。方々で取り上げられましたので、ご覧になった方も多いと思います。
❏ 勉強が嫌いでも好きに転じる可能性がある
勉強嫌いが小6から中2にかけて増えていく一方、嫌いから好きに変わった生徒も一定割合で存在することに、明るいものを感じました。下表は、上記のプレスリリースから数字を拾い上げて作成したものです。
勉強が「嫌い」から「好き」に変わったこどもの割合
小6→中1 | 6.3% |
中1→中2 | 7.7% |
中2→中3 | 14.2% |
中3→高1 | 10.6% |
高1→高2 | 10.8% |
高2→高3 | 14.4% |
❏ 勉強を好きになったから正しい学び方を獲得するのか?
プレスリリースの p.5 には「勉強方法(学習方略)(中学生2016 年、勉強の好き嫌いの変化別)」と題したグラフ(図7)があります。
生徒の学習行動における方略を3つ挙げて、それぞれ「よくする」 「ときどきする」 のいずれかを選んだ割合を、勉強を嫌いなままの生徒と嫌いが好きに変わった生徒とで比較したものです。
勉強をする気になった生徒がどんな学習方略を獲得するのか、その傾向を示すデータですが、逆方向の因果関係を想定してみると、
どのような学習方略を採らせることで、
勉強嫌いの生徒を勉強好きに変化させ得るのか
を探ることもできそうです。なお、数字が公表されていたのは中学生のものですが、「小学生、高校生も同様の傾向」とありました。
❏ できるようになってこそ、対象への興味が生まれる
手元には、学力の向上を実感したときに、その科目への興味が生まれることを示唆する別のデータがあります。
如上のデータと併せることで、「どのような学習方略を採ると、対象となる科目への自己効力感を持ち、その科目が好きになるのか、可能性が探れるかも」と考えて、あれこれデータをいじってみた結果は以下の通りです。
❏ クロス集計の表側と表頭を入れ替えてみると…
下図は、各々の学習方略の使用度合いを表側に、勉強が嫌いなままか好きになったかの意識変化を表頭において作成しなおしたクロス集計表に基づく、調整済み標準化残差表です。
ローデータが入手できないため、プレスリリースにあったグラフから元のデータを推計したものですので、正確性に欠けることは承知の上で、数字から立てうる仮説を並べてみます。
❏ テストの間違い直しに自発的に取り組めれば
「テストで間違えた問題をやり直す」という【調整方略】は、「よくする」を選んだ生徒では、嫌いが好きになるか、嫌いなままかで有意な差を生じますが、「ときどきする」では有意差はありません。
他の方略(モニタリング方略と社会的方略)が、「ときどき」でも有意差を生じているのと対照的です。
テスト直しをしないのでは、いつまでたってもその科目を好きになれないとはいえ、宿題として課せられたときに仕方なく(=やらされ感をもって)取り組むレベルでは、着実な効果は期待できないようです。
取り組む中で、なんらかの達成感や効果を実感した生徒が、自発的に取り組みを習慣化できてこそ、意味のある取り組ませ方になりそうです。
❏ 振り返りを通じたメタ認知形成は場面を選ばない
「何がわかっていないか確かめながら勉強する」という【モニタリング方略】は、ときどきするという生徒にも効果がありそうです。
振り返りが学力向上に効果があることは別の研究でも明らかになっていますが、課題解決に取り組む中で、どこがわかっていないのか、何がわかれば行けるのかをメタレベルで認知できるようにさせる指導は、やればやっただけ効果があると考えてよさそうです。
cf. メタ認知、適応的学習力
ちなみに、教わったことを覚えて答案に再現できるかどうかを試したところで、判明するのは「覚えたかどうか」だけであり、「理解できたかどうか」まではわかりません。
インプットに不備や不足があっても、アウトプットの機会を持たなければそれに気づくことができません。しっかり教えて、きちんと覚えさせるだけでは満たせないものがあります。
理解したことを言葉にさせることで、断片的な知識は統合されますし、習ったときと違う形で問われることで、学んだことの意味を捉えなおすこともできます。
知識の総体は同じであっても、その中での組み合わせを変えることで、個々の知識が持つ意味の拡張が図れるということです。
また、一度アウトプットしてみることで、足りないものに気づき、それを埋める学びのきっかけも得られるのではないでしょうか。
❏ 教え合いでヒントを得たら、自力で仕上げに挑ませる
「友達と勉強を教え合う」という【社会的方略】は、「よくする」「ときどきする」のいずれでも、嫌いが好きになるか、嫌いなままかに有意差がありますが、【モニタリング方略】と比べると、標準化残価に現れた数字は控えめです。
確かめるデータもないので推測に過ぎませんが、「自分で仕上げたい」という気持ちを強く持つ生徒もいますし、周りに比べて遅れを感じている生徒の中には、「教え合う」というより「教えてもらっている」という認識になってしまうケースもあるのかもしれません。
話し合いや助け合いの中で、躓きを解消するヒントを得るのはプラスになると考えるのは、データとも一致するため、問題なさそうですが、仕上げは個人のタスクに戻して、「自分が工夫してなんとかなった」という実感を持たせることが必要ではないでしょうか。
「教えてもらって何とかなった」と「自力で工夫して仕上げられた」とでは、学習者の内面で生じることに大きな違いがありそうです。
教育実践研究オフィスF 代表 鍋島史一