思考力をはぐくみ評価する(その2)

思考力の向上を図るにも、測定・評価するにも「思考させる場」を与えることが大前提。そのために欠かせないのが「考えさせるための問い」であるというのが昨日の記事の趣旨でした。本日は、その問いを教室でどう使っていくべきかを考えてみます。

❏ レディネスを整えたら、まずは生徒にやらせてみる

「考えるための問い」を示しても、答えを出すまでのプロセスを丁寧に誘導しては問いの意味がなくなります。教えてしまえば、生徒は覚えるだけ。生徒の側での思考に入り込む余地がなくなりますよね。
教えてしまいたくなる気持ちは抑えて、できるだけ生徒にやらせてみましょう。まずは、やらせてみないことには何ができるようになっていたかの把握もままなりません。

やらせてみると、こちらの予想を良い意味で裏切るような方法で問題にアプローチする生徒もいるはずです。
もちろん、挑ませる前にレディネスの確認は不可欠です。

  • 前提知識がきちんと備わっているか
  • 新たに導入した概念はきちんと理解できたか
  • 補うべき知識・情報へのアクセスは確保されているか

前提知識を大きく欠いては、その問いを解こうする前に問いそのものを理解できないことだってあります。課題に挑ませる前には、最小限の前提が整っているか問い掛けて確認しておくことが肝要です。

❏ 普段から、生徒が自力で理解する場面を作っておく

新しい概念を導入する部分にも、先生がしっかり教えるべき部分と生徒に自力で理解させるように仕向けるべき部分とがあります。
補うべき知識・情報は、教科書・資料集・プリントなどを参照させることで獲得させますが、日頃から参照を習慣化させて使い方に習熟させるようにしておかないと、せっかくの情報も利用できません。
教材に書かれている解説も、普段の授業でいちいち先生が説明してわからせる場面ばかりでは、生徒が自力で理解できるようになるチャンスを奪っていることになります。
そんな中でいきなり「さぁ、読んで理解しろ」と言われても、生徒は面食らってしまいます。教える場面と、自力で挑ませる場面の比率も、学年が進み学習者としての成熟に合わせ、後者を大きくしていくべきでしょう。

❏ 解を導き出す過程をしっかり観察

答えを出す中で、生徒は様々な思考を重ねます。設問のタイプや内容によっても異なりますが、以下のようなことが頭の中で行われているはずです。

  • 設問文を読み、与えられた情報や答えが求めるものを理解する
  • 既得の知識を組み合わせて解を導く工程を考える
  • 不足する情報は何かを判断し、自力で探して集める
  • 解が求める形に再構成し、論拠を伴った表現を与える

「その設問が何を求めているか」を教える側がきちんと認識しておけば、どこに焦点を当てて生徒の行動を観察・評価すべきかの判断がより的確になります。

❏ どんな思考を求めているかを意識して観察

漠然と「真面目に/一生懸命に頑張っているな」という感想だけでは、どんな思考ができて、何ができていないのかを観察・評価することもできませんよね。
繰り返しで恐縮ですが、場面ごとにどんな思考を求めているのか、きちんと切り分けしておきましょう。切り分けができていてこそ、観察の精度が高まります。
切り分けには、中央審議会のワーキンググループでの検討ベースで使われている用語も参考になりそうです。


また、こうした観察を重ねて行くと、当初は想定していなかった課題解決へのアプローチ(思考や行動のパターン)があるのに気づきます。
知的活動にラベルを貼る(名称を与える)こと自体には、あまり意味があるとは思いませんが、用語があってこそ整理できるものがあるのも事実です。

❏ 想像力を働かせながら観察視点を増やしていく

もともと、思考は頭の中という見えない場所で行われているだけに、頭の中で起きていることが何かは、個人の感覚や経験の中でしかとらえていません。
目に見えない生徒の思考を、外在化させる/客観的に捉えるための場面を意識的・積極的に作り出していく必要は、まさにここから生じます。
様々な生徒を指導し観察する経験を重ねる中で、相対化(客観的理解)ができるようになりますが、漫然と経験に頼るより、意識的に取り組んだ方がその進歩も早いはずです。
新しい観察視点をひとつ獲得すると、それを取っ掛かりとしてまた新しい気づきが生まれる ─ これを繰り返すことが、指導者・観察者としての成長にも繋がるのだと思います。

❏ 結果の答えだけを見ても、思考は評価できない

正しく思考できたかどうかは、結果として生徒が導きだした答えがどれだけ「正解」(=先生が想定していた満点答案)に近いかだけでは判断できません。
もしかしたら、同じ/類似の問題を以前に解いたことがあり、そのときの答えを覚えていただけかもしれません。
だとしたら、どれだけ正解に近かろうと、その場で生徒が正しい/期待された通りの思考・判断のプロセスを経たことを示すものではありません。
初見の問題を用いたとしても、「答えを言えた/書けたこと」 と「自力で解を導けた(=思考できた)こと」は必ずしもイコールではありません。グループのメンバーの答えに「ただ乗り」 しただけというケースだってあります。
真面目な生徒こそ、先生の期待を裏切りたくないという気持ちから、他人の答えに乗っかってその場を乗り越えたいと思ってしまうかも…。

❏ 課題解決行動そのものを観察する

導いた答えを尋ねるだけではなく、そう考えた理由を説明(=思考のメタ化)させたり、論拠を言葉に表現させたりするのは大切ですが、これを行ってもなお、「前に解いたことがある/他人の答えに乗っかった」という可能性は完全には除外できません。
生徒が思考して解に近づく過程そのものを観察しておかなければなりません。
腕組みされて黙考されては、頭の中で何が起きているかわかりませんので、言葉にさせる、手を使って書かせる、資料を開かせて調べさせるといった活動場面を設ける必要も生じます。
思考はあくまでもプロセスであるのに対し、答案は結論(とその論拠)を示すもの。
途中で分岐を考え、論理的に棄却した考えがあったとしても、答案には表現されているとは限りません。字数制限があれば、最終的にに導いた答えの正当性を示す部分に文字を使うのは当然であり、袋小路を戻ってきてその様子を長々と書くような余裕はないはずです。
また、生徒自身の表現力が不足している/未発達である場合、思考過程が外から伺えなくなっていることだって少なくないはずです。

❏ 性悪説ではなく、教える側の責任として

生徒一人ひとりの課題解決行動(=思考の過程)そのものをしっかり観察するのは、生徒を信頼していない、ズルをしたかもと疑うという「性悪説」に立ってのものではありません。
結果が整っていれば良いというのでは、中途の思考(「解法や計画の評価・選択・決定」などに評価の目を向けていないということにほかなりませんよね。
先生が拾い上げなければ、生徒相互の刺激(相互啓発)に利されることもなくなってしまい、集団としての成長も遅くなるのではないでしょうか。
できるようになっていないのに気付いてあげられなかったら、…。将来のどこかで、そこで得られた思考(能力、方法)が助けとなる場面に出くわした時に困るのは生徒本人です。
その3に続く

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教育実践研究オフィスF 代表 鍋島史一

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思考力と表現力を養うにはExcerpt: 1 学力の三要素、高大接続改革に向けて1.1 学力の三要素とは~もう一度考えてみました 1.1 高大接続改革に向けて今できる準備 1.2 高大接続改革に向けて今できる準備(その2) 1.3 評価方法の再整備~高大接続答申から 2 思考力をはぐくみ評価する2.0 思考力をはぐくみ評価する(序) 2.1 思考力をはぐくみ評価する(その1) 2.2 思考力をはぐくみ評価する(その2) 2.3 思考力をはぐくみ評価する(その3) 2.4 思考力をはぐくみ評価する(その4) 3 ...
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