各地の学校で行われている探究活動や課題研究を拝見する中、生徒の取り組みにはいくつかの類型的な問題点があるのではないかという思いを強くしています。とりわけ、
- 調べ学習と探究活動の境界がどこにあるか理解していない
- わかっていることを調べ尽くす前に先に進もうとしている
- 選んだテーマに「自分ごと」としての関わりを見出していない
などは、少なからぬ生徒に見出される特徴ではないでしょうか。
これらはいずれも、探究活動を進める中で、指導を担当する先生からの働き掛けで解消を図ることができる問題かもしれません。
2018/06/07 公開の記事をアップデートしました。
❏ 他人の答えを辿っているだけなら「調べ学習」
自分で選んだテーマについて、調べたことをまとめて発表するだけならば、単なる「調べ学習」であり、生徒は小学校でも「自由研究」という呼び方で同じ活動を既に経験しています。
調べる工程で、図書館で書籍を探したり、読んで理解したことをまとめたりする方法を身につけると同時に、発表することの楽しさや難しさもある程度までは学んでいるはずです。
高校の探究活動は、その先に位置づけるべきものではないでしょうか。
調べて分かった/答えらしきものが見つかったところで活動を止めてしまっては、探究活動の本来の目的には近づけません。
調べて分かったことの中に、まだ解明されていないところや別の見方の可能性を見つけることこそ探究の入り口。あれこれと調べてみる中で、自分の疑問に対する「先人の答え」に行き当たるうちは、「調べ学習」の域をまだ出ていないのだと思います。
どんなに調べてみても、自分が抱える疑問への答えが出てこなくなったところに、「調べ学習」と「探究活動」の境界が存在します。
❏ 調べても答えがわからない問いを見つけてからが探究
自分の問い/学ぶ中で見いだす新たな疑問には様々なものがあります。
例えば、「本にはこう書いてあるけど、本当にそう言えるのだろうか」と思うことだって立派な問い。答えを探そうと思ったら、確かめてみる方法を考え、データを集めて検証してみるしかありません。
また、「こういう技術が紹介されていたけど、こうやったらもっとうまく行くのではないか」と考えたら、実験は無理でも、頭の中に設計図を描いてみてシミュレーションしてみることはできるはずです。
こうした問いを思い浮かべることが、別稿「PPDACサイクルを用いた課題研究」で紹介した「問題の解決へのプロセス」への入り口です。
高校生の知識や理解、あるいは利用できる施設には限界があるだけに、高校での探究活動は「答えが出ない問い」で終わって半ば当然です。
むしろ、きれいに答えがまとまり、次の問いが一つも残っていなかったとしたら、それは「調べ学習に終始した」ということかもしれません。
先人が積み上げてきた知識は膨大であり、高校生が「巨人の肩」までよじ登るのは困難ですが、自分が取り付いているのが「くるぶし」に過ぎないことを知るだけでも大きな意義があると思います。
❏ 問いを立てる練習は、日々の教科学習指導の中で
如上の問いは、日々の教科学習指導の中でも立てられるはずです。
教科書を読むときも、書かれていることを鵜呑みにさせるのではなく、問いを立てさせましょう。
既に解明され、整理された知識を先生が伝えて行くだけでは、問いの立て方を生徒は学べません。
誰もが自明と考えることにも「なぜそう言えるのか」「他の方法では説明がつかないか」「立場を変えてみても同じ結論か」と問う姿勢を常に持たせられるかどうか、先生が発する問いによるところが大です。
様々な場面で幾度も繰り返される先生の問いを、生徒はやがて真似ることができるようになり、その先には自力で問いを立てられるようになる段階が待っているはずです。
❏ 解き明かしたいこととの出会いが進路希望を作る
今の自分の知識や環境では答えが出せない「問い」の存在と、その先の広がりに気づき、本気で解き明かしたいと思えば、大学に進んで本格的に学んでみるという選択肢も生まれてきます。
進路希望を作るきっかけとしては極めてまっとうであり、志望理由書に書いても十分な説得力を持ちそうです。
また、調べていくうちに、書籍に書かれていることなのに理解できないことも増えてくるでしょうが、既に解明されたことを読んでわからないということは、「巨人の肩」がまだはるか上にあるということ。
巨人の肩の上までよじ登るために、上級学校に進んで専門的に学んでみたいと思う気持ちは「進路希望」そのものでしょうし、もしかしたら、この段階で既に、学んだことを用いて社会とどんな接点をもつか、関わっていくかおぼろげながらもイメージできていることもありそうです。
日々の授業と探究活動を通した学びは、巨人の体をよじ登るための体力とスキルを身につけるトレーニング、進路希望を実現することはその先を目指すための「ベースキャンプ」に到達することだと思います。
❏ 自分ごととして取り組めるテーマを見つけさせる
ある学校での探究活動の成果発表会では、Jリーグの各チームの経営状態を調査して発表していたサッカー部の生徒がいました。
自分の趣味を起点にテーマを選ぶこと自体は別に悪いことではありませんが、「調べてみて面白かった」で終わってしまっている様子に、高校の探究活動としてこれで良いのかという疑問も感じます。
他にもやるべきことが山積みの高校生活の中で、貴重な時間(=リソース)を投じて設けた教育機会としてはどうなのか、ということです。
スポーツのプロチームのマネジメントを学べる学部もありますが、そうした進路に本人の展望が繋がっているようには見えませんでした。
高校の教育活動の中核をなす探究活動ですから、その目的は、
- 探究の方策(=新たな知を生み出す手法)を学ぶこと
- 探究の成果の先に、深く学んでみたいことを発見すること
の2つにあることを、まずは生徒の指導に当たる先生方が常に忘れずにいることが大切ではないでしょうか。
■関連記事:
追記: “正解を言って欲しい”と言う生徒には、探究活動に取り組む中のどこかで、「答えは他人に与えられるものではなく、自分で作り出すもの」ということに気づいていって欲しいと思います。
教育実践研究オフィスF 代表 鍋島史一