活動を通じて目指すはコンピテンシーの増大
授業内にアクティビティ(活動)をどのように配列するかを考えるときには、その前に「できるようにさせたいこと」(到達目標)をはっきりさせておくことが大切です。
ここでの到達目標には、学習内容の理解だけではなく、内容(コンテンツ)を学ぶことで獲得する能力や資質(コンピテンシー)、加えて学びの姿勢と方法なども含まれるはずです。目標をしっかり見据えて、その達成に必要な学習活動を選択、配列するようにしましょう。
くれぐれも活動を自己目的化しない(やりっぱなしにしない)ようにしたいところ。50分を生徒が元気に過ごしたことと、それを通して生徒が何かを新たにできるようになったことは別物です。
2015/07/06 公開の記事を再アップデートしました。
❏ パフォーマンスモデルからコンピテンシーモデルへ
授業内外に学習活動を配列することの目的は、それを通じて「できるようになったことを増やすこと」にあるのは言うまでもありません。
誰かが既に導いた解を教えてもらって、それを忠実に/丸ごと覚えただけでは、同じ問題には正解を再現できるでしょうが、問い方を少し変えただけで手が出なくなる可能性があります。
せっかく「○○とはどんなことか」「○○の理由を述べよ」といった理解と思考、表現を求める問題を用意しても、問題へのアプローチを間違えたら、その問題を解くのに必要とされる力を生徒は獲得できません。
先生が作ってきた正解と解法が示され、それが正しい/合理的であることを示す説明しかなされなかったら、生徒は正解を導く工程をひとつも経験していないことになります。
うっかりするとやりがちな「正解はアだね。空所に補ってみるとこんな意味になるね」という説明が抱える問題点は、まさにここにあります。
学習の捉え方は、パフォーマンスモデル(これまで何を学んだか)からコンピテンシーモデル(これから何ができるか)へと転換しています。
他人が作った答えを教わって再現できても、自力でできることが増えていないのなら、そこでの学習は成功とは言えません。ある課題に取り組ませたことで、生徒が自力でできることをどのくらい増やせたかで指導の成果を測るという発想から離れないようにしたいものです。
❏ 課題解決工程の実地体験でコンピテンシーの増大
できることを増やすには、解を導く工程を、解法を考える段階から仕上げるところまで、生徒が自分で経験する場面を作るしかありません。
丁寧に教えて、不明を残さずに学習内容を理解させるというアプローチだけでは、現代社会が求める学力の形成は図れないということです。
別稿、「教室でしかできない学びを充実~問いを軸に授業を設計」でも書いたように、まずは、本時/単元の学びを終えたときに答えを作れるようになって欲しい問題をターゲットに設定しましょう。
その上で、その解決に必要なパーツ(知識、発想、手順など)を特定した上で、それらをどのような学習活動を通して生徒に獲得させるかを分類し、それぞれに必要な活動を授業内外に配列していくことが、授業を設計するときの基本的な手順/考え方だと思います。
ここで言う、学習活動は、大別すると以下の3つになります。
- 教科書や資料を自力で読ませ、理解させる
- 個々に考える/周囲と話し合う中で気づかせる
- 説明を聞かせて理解させる(手掛かりができたら 1. や 2. に戻す)
cf. 自力で学ぶ力を育むのに重要な、最初に選ぶ”対話の相手”
学び終えてからその成果を確認する(=指導の効果を測定する)にも、獲得したはずの知識を、習った時と違った形で使うことを求める問いや課題が必要です。
そうした問い/課題に、答えを作る/解を導くことに取り組んでみてはじめて、生徒はその使い方(知識の活かし方、働かせ方)をさらに深く学び、使い方の視点を広げます。獲得した知識に「意味の拡張」を図ることも視野に置いた、確認のための問題を用意しましょう。
❏ 仕上げ/確認の場でも、学習者としての自立を図らせる
仕上げや確認のための問い/課題に取り組む中で、そこまでの学びに不足していたもの(残った不明や見逃していたこと)に気づいたときに、どのような「活動」でそれを解消させるかも大切です。
学ばせる手段を「先生が教えること」だけにしては、不明の解消、気づきの補完を図る手段を生徒はいつまでたっても学べません。
まずは、手元にある教科書、ノート、副教材に「コンサル先」を求めさせましょう。わからないことを見つけたとき、自ら調べて必要な知識と情報を得る姿勢と方法を学ばせる機を逃さないようにしたいものです。
せっかく参照型教材を購入させて持参させているのに2学期になってもまだ新品同様というのでは、使わせていない責任も問われそうです。
次に求めるべきコンサル先は、周りの友達でしょう。教え合い、学び合い(=集団知の活用)のメリットと方法を学ばせることで、協働性などの涵養にもつながっていくはずです。
周囲の生徒が導いた答えに触れる(見る、聞く)ことの中にも、それまでの自分の発想が及ばなかったところに気づく機会があり、それが「新たな学び、より深く広い学び」の入り口になります。
一人が持ち合わせている知識や発想だけでは解決できない問題も、周囲との対話によって知識や発想、気づきの交換をすることで解決の糸口が得られることはしばしばですが、これも体験させないと生徒は実感としてその効用を学ぶことができません。
生徒が抱えた不明に、先生が丁寧に対応することの重要性を否定するものではありませんが、安易に答えを教える/不明に答えることが、生徒が自力でできることを増やすチャンスを奪ってしまうこともあります。
こうした「副作用」をきちんと認識したうえで、生徒に最適な行動を取らせる(=その場での学習活動を選択する)ことこそが、本当の意味での「丁寧な対応」なのではないでしょうか。
その4に続く
このシリーズのインデックスに戻る
教育実践研究オフィスF 代表 鍋島史一