学力や技能の向上を実感できなければ興味や関心は高まらないことは、以前の記事でご紹介した通りですが、学力や技能の向上を実感することとその科目に対する興味・関心の高まりとの相関には、学年が上がるごとに高まる傾向が見られます。
初学者のうちは、興味をダイレクトに刺激する方策が有効であっても、学年があがり大人に近づくにつれて、「学力や技能の向上を実感できなければ、興味や関心は高まらない」というメカニズムが優位になると考えることで、如上の現象に一定の説明がつきそうです。
❏ 仮の答えと作り直した答えの差分が学びの成果
学力や技能の向上を実感するには、「学び始める前にできなかったことが、学びを終えたらできるようになっていたこと」を生徒自身が認識できなければなりません。
先生の目に進歩や学習目標の達成が確認できることと、生徒自身がそれを認識できていることは別のものです。
この記事のタイトルにある「仮の答えを作らせること」は、学び始める段階で、できること/できないことを生徒自身にはっきりさせることにその意味があります。
学びを終えて、改めて答えを作り直せば、最初の答えとは自ずと違ったものになりますが、その差分は学びの成果そのものです。
新たな知識を得て、自分が見渡せる範囲が広がったことに、生徒は自分の進歩を感じるはずです。
❏ 答えを作ろうとすれば、解消すべき不明の所在に気付く
当然ながら、仮の答えを作ろうとする中で、わからないことが散在していることにも気付きます。不明に気づけばそれを解消したいという欲求が芽生えます。
太古の狩猟・採集生活を引っ張り出すまでもなく、知らないことを放置するのは危険を招き寄せることであり、生存本能に近い部分で、「不明を解消せよ」という命令が脳からでるのではないでしょうか。
授業が終わりかけた段階、導入→展開→演習と進んでからようやく不明の所在に気付いても、それを解消したいという欲求を満たす場が授業内に残っていません。
不明を放置するか、持ち帰って自分で頑張るかのどちらかですが、前者は何としても避けたいところ。後者も学びの成果を確かなものにするのは難しそうです。
❏ 思考は課題を解決しようとしてはじめて発動する
お題/問いを与えられて、手持ちの知識や発想、経験などを駆使して仮の答えを作ろうとする中で、生徒は記憶を手繰り、思考を巡らせます。
拙稿「学力の三要素とは~もう一度考えてみました」で書いた通り、思考力は、解決すべき課題があってはじめて発動し、協働の場での気づきの交換で拡張を図ることができます。
先生の説明が終わるのを待ち、与えられた正解を覚えるだけの学びには思考の発動は期待できません。
高大接続改革では、思考力・判断力・表現力を高めることが、これまで以上に求められますが、そのためにも、お題/問いを与えて考えさせ、表現させる場を整えていく必要があるのは言うまでもありません。
❏ 他の生徒が作った答えに触れることにも意味がある
自分なりの答えを作ってみてから、他の生徒が同様に作った答えと比べてみると、自分が気づかなかった問題点や見落としていたことに気付きます。
答えが一つに決まらない問題では特に、生徒が作った答えをシェアすることが、多様な考えの存在に気付かせ、独善に陥らない判断力を身につけることへの入り口になります。
他人の意見や考えに触れることは、対話を通じて思考を深める上で不可欠ですが、仮の答えを作らせても、言葉にさせる/文字に起こさせるところまで踏み込まないとシェアのしようがありません。
文字に起こさせておいてこそ、作り直した答えとの差分を採点基準に照らしながら、目で見て確認できるのではないでしょうか。
ICTの普及で、答案のシェアはこれまで以上に簡便にできるようになってきました。積極的に採り入れてみたい方法のひとつです。
❏ 思考・判断・表現に重きを置くために
課題解決を軸にした授業デザインを採っても、それが授業の仕上げの段階に設けられていては、様々な気づきや芽生えた知への欲求を具体的な学習行動につなげていけません。
授業の冒頭、導入フェイズで答えを作るからこそ、早い段階で気づきの機会を作り、その先にある学びに重きを置くことができるのではないでしょうか。
タイトルに、「導入フェイズで」という書き出しが含まれる2つめの大きな意味がここにあります。
伝統的な「導入」「展開」「演習」「まとめ」という授業の構成は、学力の三要素が強く求められるようになった今、それぞれのフェイズのあり方や配列そのものを見直すべき時期を迎えているのかもしれません。
教育実践研究オフィスF 代表 鍋島史一