与えられた資料から読み取った情報をもとに、思考を重ねた結果を言語化/表現する力は、今後ますます多くの場面で求められますが、資料は言語によるものだけに限りません。グラフ、データテーブルなどの数値をもとにしたものもあれば、イラストや地図なども含めた、ありとあらゆるタイプのものがその対象になりえます。
各教科の教科書でも、本文以外のパートから得られる情報は膨大。それらを材料に、「非言語情報」を効果的にハンドリングし、他者と思考を共有すべく適切な表現を与える(=効果的に言語化する)力を、どのように養っていくかは、これからの教室での大きな課題です。
2017/09/28 公開の記事をアップデートしました。
❏ データを読む力、グラフなどからメカニズムを探る力
グラフを読んで状況を把握し、そこから導かれる帰結や仮説を論じさせるタイプの問題は、既に様々な教科で見られるようになっています。
とりわけ、「探究活動の場を想定した問題」が出題を増やす中、そこにはデータやグラフが必ずと言っていいほど含まれています。
これ以外にも、様々な考え方をモデル化したイラストなどもよく見かけるようになり、文字で書かれたものをきちんと理解できるというだけでは、十分な「読解力」を備えているとは言えなくなりました。
こうした出題が増えたので対策をしっかりやりましょう、という話ではありません。出題が増えたのは「こうした力を社会が求めるようになったから」であり、すべての教室で意識を向けるべき課題でしょう。
新しい学力観に沿った「学ばせ方」への転換は待ったなしの課題です。獲得させるべき能力・資質ごとに、適正な評価を行わないことには効果的な育成も叶いません。こうした出題の増加は「必然」でしょう。
日々の指導においても「馴染みのない新しいパーツを加える」ということではないはずです。元々が、各教科の学習内容に関連したところに、如上の「非言語情報で編まれた資料」はいくらでも存在したはず。
それらを正当に学びの過程に取り込むことで、自力で学ぶ力(必要に応じて学び続けていくための土台)を着実に養っていきましょう。
❏ 読み解く工程を、先生が不用意に肩代わりしない
グラフやデータテーブル、図版などから必要な情報やストーリーを読み取る力は、生徒が実際にやってみないことには身につきません。
教科書の「本文」でも同じことですが、先生が先回りして解説してしまっては、貴重な学びの機会を生徒から奪ってしまうことになります。
教科書や資料集にグラフや図版などが出てくるたびに、それを「読む」ことを求めましょう。そこでの気づきを「周囲との対話」の中でシェアさせれば、相互啓発の作用で、気づけることも増えていきます。
教材のページを開いて如上の材料が登場したら、「これらから何が読み取れるか」をすかさず問い、生徒一人ひとりの頭に浮かんだことを言葉にさせることを「習慣」としているかで能力獲得の速さに差が出ます。
もし、発言がなかなか出ない/思考が膨らまないときは、ワークシートやタブレットの中で「自分の中での言語化」に取り組ませましょう。
一人ひとりがしっかりと考え尽くさないうちに、周囲との言葉のやり取りを始めさせても、学びは膨らんでいきませんし、「他人の答えにただ乗りする」ことを学ばせるだけの結果にもなりかねません。
❏ いわゆるアートやパフォーマンスの領域でも
音楽、美術、書道などの芸術では、導入フェイズの活動に「作品鑑賞」を採り入れることも多いかと思いますが、狙いは、良いものを見て(他と比較して)ポイントを具体的に/言語化して捉えることでしょう。
例えば書道では、同じ文字を題材にした、複数の書家の作品を並べて見せて、その特徴を言葉で説明させたり、どちらが好きかを表明させて、その理由を言わせたりしてみることで、漠然と眺めているときとは全く違った認識が生徒のうちに生まれるようです。
観る者の目を奪う魅力や調和のとれた美を「感じ取る」のも素晴らしい体験だと思いますが、感覚で捉える以上のことができていない(=体験を知に再構成できていない)のでは、それを自ら駆使して再現するところにはなかなか行き着くものではありません。
調和とは何か、心地よさはどこから生まれるのかは、様々な課題の解決策を考えるときにも深いところで必要になる「知」の一つでしょう。
その土台なしに作られたもの(調和や心地よさを備えない、歪みなどを感じる提案)からは、多くの人々の共感を巻き込んだ動きは生まれず、ものごとを変えていく力は得られないと思います。
閑話休題。如上の活動(観察と対話)を通し、自分で作品作りに取り掛かる段階では、どんなことに気を付けるべきか、自分の思いがどのような手法で表現できるかを意識し始めている生徒も見受けられました。
先生が、意気揚々と作品のすばらしさを語っても伝えられない部分を、活動(気づきの交換)が効果的に補ってくれたということでしょう。
その科目が得意な生徒なら感覚だけで上手に捉えられることも、苦手とする生徒には取っ掛かりすら得られないことがあります。
それを放置したまま学びを進めさせても、主体的な授業参加・取り組みは期待できず、学ぶことの面白さにも気付けないかもしれません。
❏ 言語化は、気づきの共有と仮説検証の前提条件
言語化されていない情報は、他者と共有することも、客観的に達成を検証することもできません。言語化することを自己目的化しては無駄が増えるばかりですが、必要な場面ではきっちりと行わせたいところです。
以下のような場面では、どんどん「観察と言語化」(+問題を見つけて問いに起こすこと cf. 改めて考えてみる「問いを立てる」ということ)に取り組ませていきましょう。各教科の学習内容そのものに関わる部分以外にも、そのチャンスは多々あるはずです。
・行間を読む/背景に隠された事情を思い描く
同じテーマについて異なる立場から書かれた論説Aと論説Bを読んで、主張の違いだけを比べても、両者が共存可能な落としどころを見つけるのは難しそうです。論説Aを書いた人はなぜそこにこだわり、論説Bの筆者がなぜ別の部分に重きを置いた意見を展開しているのかを知ってこそ、双方の理解と共感を得る解決策(納得解)を提案できるはずです。
・学びへの取り組み方
協働学習への参加の仕方や、予習・復習への取り組み方、わからないことがあったときに取るべき行動なども、生徒自身に言語化させてみることで、新たな気づきが得られ、それを起点に自発的な行動や目的意識をもった取り組みが生まれ出るはずです。先生が示した方法を斜め上に超える工夫も、生徒間の相互啓発の中から生まれてきます。
・練習/活動場面での到達目標
練習を通じてできるようになるべきこと、チームへの貢献の仕方といった「目指すべき到達状態」 を、活動を通して生徒自身に考えさせていきましょう。ベースになるもの(協働場面での活動評価基準など)は先生方が用意して示すとしても、その範囲から一歩も出られないようでは、前の世代を超えた進歩は生じません。
・答案が満たすべき要件(採点基準)
良いところと改めるべきところを併せ持った答案を選び、板書やプロジェクタで生徒全員に見せながら、朱入れをしていきましょう。生徒に問い掛け、改めるべき箇所に気づかせ、なぜ好ましくないのか理由を考えさせなければ、生徒は正しい答案を起こせるようになりません。
cf. 表現力を高める指導、答案を正しく評価できているか
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教育実践研究オフィスF 代表 鍋島史一