失敗を積極的に経験させるといっても、誰しもわざわざ失敗などしたくないものです。前稿に触れたような「失敗を重ねて自己効力感を弱め、学びが消極的なものになるのを抑える工夫」を凝らしても、それだけでは失敗のリスクを冒してまで積極的に挑戦する姿勢は生まれません。
ものごとに積極的にトライする姿勢を生徒に取らせるには、失敗への不安を上回る強い動機を持たせるための仕掛けを講じる必要があります。
2015/01/28 公開の記事をアップデートしました。
❏ 動機のないところで圧力だけかけても…
自分のためだけに取り組むことであれば、サボろうが、適当に済ませようが、困るのは自分だけ。他人に迷惑をかけることもありませんので、ちょっと無理かなと思ったら「手を出さない」という選択もありです。
提出物を期限までに整えるといった「最低限のノルマ」さえクリアすれば、先生に叱られることもないでしょうし、仮に思い切ってサボったとしても、先生に怒られている間、辛抱していればそれで凌げます。
生徒がサボらないよう、ペナルティを課したり、なだめすかしたり、あの手この手を凝らしても、手応えは曖昧。本人に取り組むことへの動機がないところでいくら締め上げてみても、その効果は限定的でしょう。
解決策の一つは、学習活動を「自分のため」だけのものにしないことです。各自の取り組みに「ペアの相手やグループの仲間への貢献」という成果が期待されているとなれば、話は大きく違ってきます。
❏ 学習活動に「自分の役割」を持たせてみる
グループで課題に取り組ませ、パートを分けてそれぞれが担当する箇所を割り当ててみるのは如何でしょうか。
自分がサボったりしたらグループ全体の足を引っ張ることになるのは明らか。この状況であからさまに手を抜くことはできません。
例えば、ある程度の長さの英文をパラグラフごとに切り分け、それぞれを個々の生徒に割り当て、自力で読ませた後に、その内容を口頭で伝え合い、全体のストーリーを復元させるというタスクはどうでしょうか。
パラグラフひとつだけが印刷されているカードが個々の生徒に配られ、自分のカードは他人に見せてはいけないというルールです。
実際の場面を参観したことがありますが、すべての生徒が各々の力量で出来る限りのことをしようと頑張っていました。要約に至らない生徒も大事なところに当たりをつけ、断片だけでも伝えようと必死です。
ここでは、多少の読み違えなど、生徒の意識の中で「避けるべき失敗」に入りません。伝えるという目的のもと、読む、話す、聞くという活動に必死に取り組む中で、学びの成果も大きく膨らんだことと思います。
単元内容に沿った、拡張型の調べ学習などでも、同様のことができそうです。教科書に登場するキーワードのそれぞれについて新聞の記事などを探し、生徒が個々にその要約を整えて、教室に持ち寄るというタスクに取り組んでいる授業もありました。
❏ 生徒一人ひとりが「自分事」として捉えられる課題
課題への取り組みを動機づけるアプローチは、これだけに限りません。様々な方法がありますが、その一つは「課題そのものを生徒一人ひとりが自分事として捉えられるものにすること」だと思います。
教科書の単元配列に合わせて進めていくだけの勉強は、生徒にとって、どこの誰かも知らない教科書を作った人が設計したもの。他人が決めたことに従う義理もなければ、そこに意味を見出せるとも限りません。
教科書内容に沿った適切な問いを用意し、生徒に「なぜだろう」「どうなっているんだろう」と思わせるところがスタートだと思います。
身近なところに隠れている問題に注目させる「クイズ」のようなものを出してみるのも効果的でしょうし、賛否が分かれる事柄について意見を交わさせることで、解決すべき課題を発見させるのも良いと思います。
構えず気楽に答えられるもの、様々な正解があり得るものを「スタートの問い」にするのが、ここでのポイントです。
間違ったら/正解できなかったら恥ずかしいという恐怖を抱かせることもなく、スムーズに学びに入れますし、抵抗なく勉強を進め、少しずつ解き明かされるものが増えれば、そこにまた新しい興味(=学ぶことへの自分の理由)が見出され、さらに喰い付くという循環が生まれます。
❏ 失敗から学ぶことの価値を学ばせる
失敗を恐れ、失敗したくないと思う気持ちの出どころは、ひとたび失敗するとその結果が固定されてしまうとの認識にもあるように思います。
与えられたお題に自分なりの答えを作ってみたところ、自分でも不満しか残らない出来で、先生や周囲も呆れ顔だったとしても、そこで得られたフィードバック(講評やツッコミ)を参考に、答え作りに再チャレンジしたら、納得できるものに作り替えられることも多々あるはずです。
こうした体験を重ねる中で、自分でも納得できない不完全なものほど、他者の目に触れるところに出して意見や助言をもらうべきだと「学習」した生徒は、それまでと違う行動を取るようになるかもしれません。
学校では、大抵の場合、課題を一度提出したら評価が決まってそこで終わりとなっているように思います。やり直し/仕上げ直しという工程を経験させていないことが、如上の認識を持たせる要因の一つです。
最初のトライで作った答えと、学び(調べ直したり、他者の講評を受けたりすることも含みます)を経て作り直した答えの差分にこそ、進歩が現れますが、作り直しをさせなければ、進歩そのものがありません。
あれこれ失敗するからこそ、それを起点にした進歩や成長があり、失敗を恐れてチャレンジしなければ、その糸口も見つからないということを日々の教室の中で繰り返し伝え、体験の中で実感させていきましょう。
❏ 失敗させない配慮が、失敗を否定的に捉えさせる
スタンフォード大学のクランボルトは計画的偶発性理論の中で「間違いを犯し、失敗を経験しよう。間違いや失敗は重要な学びの経験となり、それが予想以上によい結果に結びつくこともある」と述べています。
教える側で「生徒に失敗させない配慮」が行き過ぎては、失敗を積極的に経験する機会、失敗から学ぶ機会を奪ってしまいます。
大事なのは、失敗によって自己効力感を不必要に損ねさせないことであり、失敗そのものをさせないことではありません。
失敗をさせないように先生方が必死になるほど、生徒はその姿に「失敗はいけないもの、避けるべきもの」とのメッセージを読み取ります。
教室で先生方が見守っているところでの間違いや失敗は、いくらでもリカバーできるはず。生徒の間違い/失敗を頭ごなしに否定することなく積極的に取り上げ、クラス全体の学びにすることを繰り返していけば、
- 失敗したところで、自分が思い悩むほど周りは気にしていない
- 誰かの失敗が、クラス全体の学びになることも少なくない
- 最初のトライで失敗しても、やり直してリカバーできれば問題なし
という認識が教室の中に広がっていき、そこでの学びはさらに深く広いものになるでしょうし、生徒の資質や能力を大きく伸ばせるはずです。
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教育実践研究オフィスF 代表 鍋島史一