板書(スライドを含む)や資料が整う度合いと、説明や指示のわかりやすさは、非常に強く連動します。実際のデータに照らしてみても、両者の間には 0.89 という極めて強い相関係数が確認できました。
【板書や資料】 板書やプリントは見やすく整理され、後で見てもわかりやすい。
【指示と説明】 先生の説明はよくわかり、指示にとまどうこともない。
わかりやすく整理された板書やスライドを用意することで、指示や説明は確実に伝わるようになり、生徒が学習活動に取り組む土台が整えられると考えられます(cf. 学習効果に直結する活動性、それを支える視覚情報)が、それだけでは、新課程で目指す「生徒が主体的に関わる対話的で深い学び」が実現するとは限りません。
スライドや板書案を作り込んで「完成度」を高めるだけでは、むしろ、問答などのインタラクションを展開しにくくなるリスクを抱えます。
2017/08/30 公開の記事をアップデートしました。
❏ 必要な情報は固定し、後で思考を再現できるように
話を聞いているだけでは、聞き漏らしてしまったらそれまでですし、少し話が進んだだけで、短期記憶は後から入ってきた情報に上書きされてしまい、記憶も保持できなくなります。当然、想起もできません。
その先の話を理解するには、前段を踏まえる必要がありますが、聞き漏らしや記憶からの消失は、新たな情報を結び付けるべきアンカーを失うことを意味します。
必要な情報を生徒の視野に/いつでも参照できるところに固定しておくことが、その後の学びを円滑に進める土台になるということです。
時間を空けて復習するときも、ノートやプリントを見れば「授業で経験した、知識の体系化や課題解決の工程」が想起できるかどうかが、結論だけを覚える勉強と、応用の効く学びを分けるのではないでしょうか。
大切なことは、最終的に導いた結論をノートなどに残すことではありません。結論を導く過程を、ひとつひとつ確認し、固定しながら、実地に体験させ、そのプロセスを後の再現に備えて記録させることです。
❏ 作り込んでおくほど、一方通行なプレゼンに
先生が事前に用意してきた板書案を、そのまま黒板の上に再現するだけでは、そこには生徒の思考や気づきが入り込む余地はありません。
せっかく、結論を導くまでのプロセスを経験させたとしても、その中で生徒の発言などに現れた気づきや疑問などが、どこにも言語化/固定されていなければ、後で復習するときには「結論」しか確認できません。
先生からの問い掛けを起点に発動し、膨らんだ生徒の思考を拾い上げ、板書の中に取り込んでいく必要があります。
パワーポイントでスライドを用意するだけでは、こうした途中の発言を拾い上げ、そこから授業を展開していくのはさらに大変です。スライドはプレゼンの道具であり、コミュニケーションに最適とは言えません。
想定外の「良い発言」を受けても、スライドをその場で組み直すことはできません。せっかくのチャンスに予定された方向に授業を進めるしかないのでは、生徒が学びに関わる部分を小さくしてしまいます。
新課程では「対話的で深い学び」がキーワード。問い掛けて気づかせ、それを黒板の上に展開・固定していくことの重要性は増すばかりです。
生徒とのやり取りのなかで、動的に作り上げられていく板書と、先生が職員室(自宅?)で作り込んできたスライドとの間には、ディレクターが編集して完成したビデオと、即興での掛け合いも要素のひとつになるライブとの間と同じくらいの大きな違いがあるのではないでしょうか。
❏ 計画に沿って進むだけの授業では発言も出にくい
練り上げた板書案やスライドに沿って授業を進めると、進行はスムーズかもしれませんが、生徒の発言を拾い上げながら、臨機応変に進め方をアレンジするのは容易ではありません。
もしかしたら、生徒は「先生はあらかじめ予定した流れに外れることなく授業を進めていきたいのだろう」と感じているかも。そうなっては、発言を求められても「期待されているのは何?/先生はどんな答えを期待している?」とついつい考えてしまいます。
別稿「発言がなかなか出ない/思考が膨らまないとき」で書いた通り、生徒は、正解があると思えばそれを探り当てることに意識を向けます。
期待されているものを探り当てたという「自信」を持たない限り、「発言せずに黙っておく」という選択をする生徒もいるということです。
生徒の意識が「正解は何か」に奪われた結果、自由に考えて発言することに不安を覚えては、対話を通じた気づきの交換は貧弱なものになり、学びの深まりも遠のくばかりだと思います。
ちゃんと考えて発言したのに「そうじゃなくて…」と切り捨てられてしまった経験がある生徒、そんな場面を周囲で目撃したことのある生徒ほど、こうした行動傾向を示します。「得がない」と学んでしまったことに、わざわざチャレンジする生徒はそう多くないと思います。
スライドが用意されているということは、その後の展開も「予定」されているということ。板書案通りにしか進まない授業も同じです。
それに対して、生徒とのやり取りの中で先生が自在に板書を行い、些細な発言でも拾い上げて板書に組み込んでくれるのを目にすれば、先生が自分たちに「しっかり考えて自由に発言すること」を求めているのだと生徒は感じ取ってくれるはずです。
スライドは、決まったことを幾度も提示するとき、変更の可能性がないものをスピーディーに提示するときには効果的ですが、発問を介した生徒との対話の場面では、板書に大きな分があります。
生徒に何かを考えさせ、発言をさせようとするときには、生徒の言葉をしっかり拾い上げるために、スライドからいったん離れて、黒板の前に位置を移すのが好適です。スライドと板書を併用するのが正解。臨機応変に道具を使い分けていきましょう。
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教育実践研究オフィスF 代表 鍋島史一