将来なりたい仕事を見つけ、そのためにはどんな学部・学科で学ぶのが最善かを逆算して考えるという、広く行われてきた進路決定の方法は今後ますます難しくなるように思います。ゴールとして目指していた仕事が10年、20年先にも存続している保証はありません。
ゴールだけを見つめてそこに到達する努力を続けたあげく、辿り着いてみたら目指していたものは既に価値を失い、存在しなくなっていることだって十分にあり得ます。
最短ルートを歩けば、効率は良いかもしれませんが、寄り道したり、迷ったりしたからこそ見つけられるものとの出会いはなくなり、可能性の幅を狭めてしまうリスクも招きかねません。
2014/05/28 公開の記事をアップデートしました。
❏ 社会の変化が加速するとの予測は現実に
だいぶ前になされた「2011年度にアメリカの小学校に入学した子どもたちの65%は、大学卒業時に今は存在していない職業に就くだろう」(米デューク大学、キャシー・デビッドソン)という予測も、AIの急速な進歩で現実味を帯びてきました。
この予測は、今の時代にだけあてはまるものではなく、これから先の時代、同じ予測はどの時点においても成立する(=恒常的に繰り返されていく)のではないか、いや、さらに加速するのではないかと思います。
そうした中で、進路指導に携わるときには、従来と違った発想を持つ必要があろうかと思います。
その一つは「キャリアは選ぶものではなく重ねるもの」と捉えることでしょうし、本稿でご紹介する「計画的偶発性理論」の考え方を知っておくことは、指導観の更新を図る上で欠かせないものだと思います。
❏ 計画的偶発性理論~予期せぬ偶然との出会い
“計画的偶発性理論”というのは、スタンフォード大学のジョン・D・クランボルツ教授らが提案したキャリア論に関する考え方です。
「キャリアの80%は、予期しない偶然の出来事によって形成される」という前提のもとで、そうした偶然との出会いを積極的に作り出していくことで、より良いキャリアを重ねて行くことを提唱しています。
2005年に出版された『その幸運は偶然ではないんです!』という書籍では、クランボルツは次のように言っています。
将来何になるか決める必要はない。
その時々で目標はつくってもよいが、目標はあなたの成長や学習、環境の変化に伴って常に変化する可能性があるものです。
生徒に限らず、自分が目標を決められないでいるときに、既に目標を決めてその実現に向けて頑張っている周りの姿を眩しく思い、ときに焦りや劣等感のようなものを覚えます。
クランボルトの考え方を踏まえれば、必ずしも焦る必要はなく、目の前にあるものに一生懸命に取り組めば良いのではないでしょうか。
努力して達成した中には、新たな興味が生まれます。その新しい興味を追いかけるうちに、偶然との出会いによってさらに様々な可能性が広がってくるのだと思います。
❏ 興味を追究する行動の中でこそ開ける未来
どんなことでも、面白いと思ったこと調べたり取り組んでいたりするうちに、新しい知識や経験が「見える範囲」を押し広げます。
開けた視野の中にはまた別の面白いものも見つかるでしょう。立ち止まっていては同じ風景しか見えません。
以下のエピソードは、2013年5月12日放送の「夢の扉+」で取り上げられた、高知工科大学(現在は熊本大学にいらっしゃるようです)の渡邊高志教授のお話です。
高校生のときに生物が好きで、生物学科に進み、そこで履修した植物学に魅せれた学生が、薬になる植物を探しに教授について発展途上国の奥地に足を運びました。
現地の貧しい生活を目の当たりにして衝撃を受けた彼は、人々が現地の植物で収入を得る仕組みを作りました。地元に戻った彼は、地域の豊かな植生を利用した地域振興に取り組んでいます。
もし、地域振興を自分の仕事と最初から考えるなら、市役所の職員などを目指すのが普通かもしれません。でも、まったく違ったルート、興味を求める努力の中での「予期しない偶然」の積み重ねでキャリアが形成されることがあるのは、このエピソードが十分に伝えてくれます。
同番組で紹介された中には、流体力学を学んだ物理学の先生が、お医者さんと組んで脳梗塞の診断システムを作った話もあり、今でも強く印象に残っています。ひとつの専門を得た後でも、様々な偶然との出会いの中で見出した「自分の使命」なのだと思います。
その2に続く
教育実践研究オフィスF 代表 鍋島史一