対話的な学びにおける”第4の相手”

対話は、課題を前に発動した思考を、他者との気づきの交換で拡張するための活動であるのは言うまでもありませんが、その相手は「共に学ぶ周囲の生徒」に限らないのは、「自力で学ぶ力を育むのに重要な、最初に選ぶ”対話の相手”」などの別稿でも既に申し上げてきた通りです。
学びにおける対話と言えば、周囲の仲間(生徒)との間に行われるもの以外に、教科書や資料を読むことによる文字を介した先人との対話や、先生との問答や発表会などでの質疑応答などがすぐに思い浮かびます。
これらに続く4番目の相手は、「自分の中にあるもの(考え)」です。文字などに起こして表現したもの(答案やプレゼン資料、リフレクション・ログなど)を介することで行う、自分自身が持つ考えや気づきとの対話(=内省)というのも存在し、重要性は他の3者に劣りません。

❏ 各教科の日々の学びで~「仮の答え」を作って推敲

自分の考えやアイデアというのは、「頭の中」に入っているだけの状態では、なかなか客観的に点検や評価ができないものです。
紙やパソコンの画面上に書き出して「頭の外」に置いてみると、それまでに気づかなかったところ(論理の破綻や視点の抜け落ち、表現のわかりにくさなど)が見えてくるのは、誰しも経験のあるところでしょう。
答案や発表資材のように提出を求められるもの以外も、気づいたことや考えたことは「文字にして頭の外に置く」のを習慣化したいものです。
その上で、吟味・推敲を重ねると、書き出した段階のものより優れたものに改まっていくはずです。答案などであれば、採点基準に照らし合わせつつ、不足しているところを見つけて補っていくことになります。
頭の外に取り出したものに、批判的・論理的な思考を加えて、磨きをかけていけば、より良いもの(答えなど)にまとまっていくはずであり、最初の答えからの進歩には、学びの成果が如実に表れます。

❏ 周囲の発言や発表に触れて、自分の成果と向き合う

総合的な探究の時間など、成果発表を行う学びが以前より増えていますが、「頑張らせるためのゴール」や「頑張ったことを認めてもらう場」というだけでは、発表の場の捉え方として不十分ではないでしょうか。
ただ発表させれば良いというものではなく、周囲の頑張りとその成果に触れながら、それまで自分が積み重ねてきた努力と工夫を客観的に「評価」してみる機会にしないと、学びは深まりを止めてしまいます。
周囲の生徒との「彼我の違い」に気づいた上で、自分が書き出したそこまでの活動(調べる、考える、試すなど)の成果に向き合ってみれば、足りないところ(加えて優れたところ)が見つかるものです。
足りなかったものは何か、そこにどんな対処(補完や発展)が可能かを考えてみることは、たとえ発表したものがそのままになったとしても、次の機会での別のチャレンジの「大切な糧」になるはずです。
当然のことながら、ポスターセッションなどで受けた「質問」もまた、発想を拡充するための材料。互いの学びを大きくするには「質問力」を高めた生徒で作られた学びのコミュニティが不可欠です。

的確な自己評価を経て、成果と改善課題の棚卸ができるようになることは、学習者としての自立への大前提であり、社会に出てから様々な(教室では学べない)ことにチャレンジするときの土台を作ります。

❏ 生き方・あり方を考える過程での自分への向き合い

思考の結果や体験を通した気づきを言語化し、頭の外に出してから「自分と向き合う」という手続きは、進路意識形成の過程でも重要です。
別稿でも書いた通り、くれぐれも体験学習をただの体験で終わらせないようにしたいもの。貴重な時間を割いて作った学びの場が無駄(期待ほどの成果を得ない状態)になっては、取り返しがつきません。
校内外を問わず、体験の場を作る場合、そこに向けた準備(どのような学習を経て、どんな意識でその場に臨ませるか)も重要ですが、体験を経て得た気づきやそこで考えたことを言語化させることが重要です。
言語化を通して体験にしっかり向き合わせる(=書きながら、自分の内面と対話する)ことでの学びの深まりに加え、書き終えたものを保存しておき、一定の時間(=様々な経験と学び)を経てからそこに立ち戻ることでの多くの気づきも、大きな成長のために欠かせないものです。
ある時点までの体験で考え得ることは、その後の経験と学びと組み合わさることで、思いもしなかった形に発展することがあるものです。

新課程への移行前には大きな注目を集めていた「ポートフォリオ」も、すっかり耳にすることが減った昨今ですが、本来、入試の合否判定材料ではなく、その場その場で文字にしてきた自分の内面と、冷静に向き合い対話をさせるための材料として活用すべきだったはずです。
対話的な学びにおける第4の相手(=自分)を、はっきりした形で手の届くところに整理するためのツールとして改めて活用を考えましょう。



冒頭でも書いた通り、「対話的な学び」が目的とするところは、他者との気づきの交換で、着想を補い、思考を拡充/深化させることです。
例えば一行の文章を読んでも、読み取るところは人それぞれ。各々の感性で見つけたものを互いに知ることが、世界をより広い視野で捉えることになりますし、真理に近づくのに有効な方法でもあるはず。
意見などを交換するにしても、考え尽くす前の「思いつき」を言い合ったところで、互いに得るものは膨らみません。考え尽くした結果を伝えることはコミュニティへの貢献ですが、考え尽くすには、まずは頭の中のことを外に出して吟味・推敲を重ねる必要があろうかと思います。
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教育実践研究オフィスF 代表 鍋島史一