AIの時代だからこそ「問いを立てる力」

AIは、以前から身近なところでも活用されており、生活を便利にしてくれていますが、知的作業の道具(相棒?)としての存在感を強めたのは、ChatGPTの登場(2022年11月)を機にでしょう。
以来、学習の場でも、生徒や学生が物事を調べたり、考えたりするのに使って当然、なくてはならない道具としての立場を手に入れました。
こうした技術の進歩と道具の変化の中で、生徒や学生(に限らず、社会人も含むあらゆる立場の人)が、AI(特に生成AI)を効果的に活用する上で最も大切な能力は「問いを立てる力」だと思います。

❏ 適切な問いが、正しい答えを引き出す

生成AIは、こちらが尋ねたことに対して、既に学習した膨大なデータを土台に「正解である確率が高い答え」を返してくれますが、尋ね方が下手だと期待した通りの答えを中々返してくれません。
AIとの的外れなやり取りが続くと、「馬鹿なの?」と悪態をつきたくなりますが、こちらの訊き方が悪いだけのことも少なくありません。
自分の疑問を的確に伝えるには、解き明かしたいものをきちんと捉えると同時に、効果的な表現を与える必要があるのは、尋ねる相手が人間の場合と同じでしょう。(cf. 質問や相談が上手にできない生徒
所謂「腹芸」(言外の意を汲むこと)は、互いをよく知る人間同士で成り立つことであり、AIには言語化したものしか伝わりません。
進化する道具を効果的に活用できてこそ、パフォーマンスの最大化が図れます。生成AIを使いこなす鍵は「問いの立て方」「それを言語化する表現力」でしょう。cf. 新しい道具は、思考法や行動様式も変える

❏ AIが返した答えを吟味し、問いを重ねる

AIが返してきた「答え」が正しいものかを判定するにも、「それって本当か?」「なぜそう言えるのか?」「この条件が違っても同じ結果なのか」と問いを重ねて行く必要があります。
返ってくる答えは、正解である確率が最も高いというだけであり、信ぴょう性が保証されているわけではありません。それを鵜呑みにしては正しい選択を重ねる(=より良く生きる)ことを難しくします。
PISAが測定する「読解力」には、2018年のテストから「質と信ぴょう性を評価する」と「矛盾を見つけて対処する」という2つの要素が加わりましたが、AI活用の鍵のひとつがここにあります。
普段の学習を通して、もっと言えば生活の中で、物事を鵜呑みにせず、正しいのか/信頼に足るのかを勘に頼らず、論理的に考え(=問いを立て)る方法と習慣を身に付けているかどうかが問われています。

AIが相手でも、返ってきた答えに対し、さらに問いを立て、思考を掘り下げる「対話」ができてこそ、より良い答えが得られるはずです。
そのための基礎作りとして、複数の資料を比較して、解明/解消すべき疑問や矛盾を見つける練習や、それらへの対処を考える方法を学ぶ機会も整える必要がありそうです。cf. 複数テクストの比較で試す「読解力」

❏ 探究活動の成否も「問いを立てる力」が分ける

総合的な探究の時間の指導で、最も苦労が多いのは「テーマ選び」のフェイズだと思います。

探究活動は「調べ学習」とは違い、興味を持ったことをじっくり調べ、わかったことをまとめてプレゼンするところがゴールではありません。
調べてみたことに基づき、あれこれ考えても尚、明らかにできないところに仮説を立て、それを検証するために実験や調査を行います。
ここで立てた仮説をリサーチ・クエスチョンの形で表現するフェイズで躓く生徒が多いのは、「問いを立てる力」が不十分だからと考えることができそうです。(そもそも、仮説やリサーチクエスチョンが何であるかの理解が足りない場合も少なくないようですが…)
日々の授業の中で、生徒に問いを立てさせる/質問を起こさせる練習が不足していたら、生徒は不慣れ/未習熟なまま、如上の高度なタスクに挑まされていることになります。できないのも当然の帰結かと。

自ら問いを立て、その答えを欲してこそ、学ぶことへの自分の理由も生まれます。cf. 学びにおけるインプット(input)とインテイク(intake)
総合的な探究の時間/探究活動は、21世紀型能力の「実践力」(社会参画力や持続可能な未来への責任)を獲得させる役割を担います。
現状に何らの問題を見つけ、そこに解決すべき問いを立てるということは、環境に働きかけようとする意志を持つことにほかなりません。

社会の課題や身の回りの問題を捉え、その解決をどう図るか、その先にどんな社会を創造するかという視点が、リサーチ・クエスチョン含まれていれば、「そこで自分はどんな役割を引き受け、社会にどう関わるのか」という自分に向けた問い(=進路意識)が生まれるはずです。

❏ 問いを立てる力の涵養は日々の学びと相互啓発の中で

問いを立てる力とは、「問題発見力」(21世紀型能力の「思考力」を構成する要素)にほかなりません。あらゆる能力や資質は、全教科でその涵養にコミットすべきものであり、観察をタスクに「問題発見力」を育てるような機会はどの授業の中にも設けたいものです。
他教科の学びの中でどこまで獲得が進んでいるかも捉えつつ、相乗効果が得られるような「仕掛け」を教科間の連携で講じていきましょう。

生徒一人ひとりが立てた「問い」を教室の内外(他のクラスや年度を跨いだ学年間でも)でシェアすることも重要です。先生方が教えられるのは、先生方の発想の中にあるものだけ。新たな世代が相互啓発の中で学ぶことの中からは、まったく違った価値が生まれ出るかもしれません。



AIは自ら問いを立てることは、少なくとも現時点では、できません。今の社会が抱える課題の解決と、より良い社会の創造を進めるには、現状を正しく捉えた中に適切な問いを立てる力が欠かせません。
また、将来はAIが今より踏み込んだ「提案」を様々なところで人類に対して行うようになろうかと。AIからの提案の一つひとつを吟味し、必要なNOを返すにも、返ってきた答えに効果的な問いを立ててこそ。
突き返した提案に「好ましい代案」を作らせるにも、正しい課題を設定する(=適切な問いを立てる)力を備えているかどうかが問われます。
別稿でも書きましたが、観察した事実の中に問題を見つけたり、それらを解決してどんな世界を創り出すべきなのかを描いたりするのは、(少なくとも当面は)人間がやるべきところ。AI時代にヒトがアドバンテージを持ち得るのは「問いを立てる力」によってだと思います。
ただし、AIもプロンプトを生成できます。人間の思考の強みを知ってこそ、人間ならではの営みが実現できるのではないでしょうか。「AIが質問を作る」時代の幕開け(外部リンク|第一生命経済研究所)、特に最終節「人間とAIの質問生成プロセスの比較と今後の可能性」は、極めて分かりやすく、短いながら、深く考えさせられる内容です。

教育実践研究オフィスF 代表 鍋島史一