メッセージは意図通りに伝わっているか

生徒を指導している中、大切なことを伝えたのに生徒の反応には「伝わった確かな手応え」が感じ取れず、本当に伝わっているのか不安になることはないでしょうか。どうしてそれが大切なのかもしっかり説明したはずなのに、生徒はピンときていない様子のときもあります。
伝えたことがどう伝わったか確かめるには、生徒が考えていることを言語化させてみるか、指導後の生徒の行動に期待した変化が見られるかを観察してみるしかないのは、学習指導も、生活指導・進路指導も同じでしょうが、獲得させたい知識・理解が単元ごとにはっきりしている前者と違い、後者の場合、理解の確認もそう簡単にはいきません。

❏ 指導を消化できているか、言語化させて確かめる

指導を経て生徒がどんな理解を得たか言語化させてみると言っても、先生が説いて聞かせたことを「要約」させてみたところで、きちんと消化し生徒が自分のものにしたものが言葉になってくるとは限りません。
消化された痕跡すら感じられない、先生が伝えたままの言葉がオウム返しかやまびこのように戻ってくるだけのこともあります。
ましてや、「本当にわかっているの?」では、理解は確認できません。生徒自身もわかっているかどうか判断がつかないことがあるからです。
ある行動や態度を示して習慣にすることを生徒に求めたら、先生が伝えたことをもとに生徒自身が答えを考えてみるべき問いを与え、その結果を言葉にさせてみては如何でしょうか。
「そうするのは、何を目指してのことか」

「そうしないとどんなこと(危険)が起きるか」

「もし、こんな場面ではどう行動するか」
先生からの問いに答えようとする中で、指示や助言の内容についてより深く考える機会を持つことで、先生のメッセージは少しずつ消化されていくでしょうし、個々の生徒が考えたことをクラスでシェアすれば、互いの気づきに触れての理解の深まり(相互啓発)も進むはずです。
もし、いつまで経っても先生が意図した/期待した答えが出揃わないようなら、最初の伝え方を失敗した可能性がありそうです。伝え方を工夫し、時と場所を変えて、指導に再チャレンジするしかありません。

❏ メッセージを受け止める準備を整えさせる

先生の意図が正しく伝わらないときの原因は、メッセージの内容やそれに与えた表現(どんな言い方をしたか)以外にも考えられます。
最たるものの一つは、先生のメッセージを受け止めるだけのレディネスを生徒がまだ備えていないことだと思います。
先生は先々のことまで考えて、今はこう行動すべきだ、こういう習慣を身につけるべきだと考えますが、その「先々のこと」が生徒に見えていなければ、生徒はピンと来るはずもありません。
先にどんなハードルや選択の機会が待っているかをある程度のリアリティを持って知らしめる「準備」も必要ではないでしょうか。先輩学年がポートフォリオに残した各種ログは、その好適な材料になるはずです。
準備が整っていない生徒に、指導を重ねても、先生と生徒の意識などにギャップが拡大するばかり。かえって、その後の指導をややこしくするリスクを抱えるばかりかもしれません。
レディネスを整えさせる指導そのものも中々うまくいかないときは、生徒の成長を少し待ってみるのも手。好適期を待つだけで、案外すんなりと指導が成果を結ぶときも少なくないように感じます。

❏ 生徒との間で、ゴールを正しく共有

メッセージと意図の伝達を阻むもう一つの大きな要因は、先生が指導を通して生徒を導こうとしているところと、生徒が自分の行先として思い浮かべているところが一致していないことにもあります。
教室に限ったことではありませんが、目指すもの(ゴール/目標)を同じくしていない相手に対して、達成の方法やアプローチについて説いてみても、頭で理解させるのが精一杯、共感を得るのは困難です。

どんな行動や態度にも、それらを獲得する必要の背景には、「〇〇を目指す上では」という(時に暗黙の)前提が存在します。
学校が教育活動を通して育成を目指す人間像(教育目的)や指導方針などを、平素からしっかりと伝えておかないと、個々の指導に込めた意図を生徒が正しく理解してくれるとは限らないということです。
同じ地図を見ていない人に道順は説明できませんし、どんな丁寧な道案内も、そこに行こうとしていない人にとっては「一体、何言ってるの?この人」です。
多様な進路希望を持つ生徒を前に、ある進路類型を前提とした指導(好ましい行動や態度の提示)を一律で行っても狙った通りの効果が出ないのも同じ理屈です。既に自律的に学びを進められるようになった生徒に逐一予復習の方法を指示するのもおかしな話です。
指導を設計するのは、対象となる生徒を抽出する基準と、彼らと共有できる「目指すべきところ」をしっかり定立してからだと思います。

❏ 指示に素直に従ってくれただけでOKとしない

望ましい生活態度や生活習慣を獲得させようとするとき、「こうしなさい、ああしなさい」と指示を並べるだけで、生徒が何の疑問も持たずに素直に従ってくれるのはむしろ稀なことだと思います。
指示に素直に従ってくれたとしても、なぜそうした態度や行動を取るべきかを深く理解してくれているか、状況が少し変わっても正しい行動を自ら考え出せるだけの「判断の土台」を築けているかわかりません。

一つの指導をきっかけに、生徒が自らの行動や態度を正しい方向にセットできるようにしていくには、具体的でわかりやすい指示や助言を出すことだけではなく、生徒自身が考える場を持つことが大切です。
資料などを使って問題を投げ掛け、先生からは正解を示さず、生徒一人ひとりに/グループで答えを考えさせるなど、「伝える」から「気づかせる」に作戦を切り替えて臨む場面を徐々に増やしていきましょう。
生徒が自ら考え、周囲からの刺激で気づきを膨らませてもなお、正しい結論を出せないときこそ、先生の助言は大きな効果を持ちます。

ましてや、生徒の間違った行動・態度を改めさせようとする場面では、面と向かっての反発こそ受けなくても、先生方が伝えたことの真意が、生徒に正しく理解されているとは限りません。
それまでの行動にも生徒なりの「自分の理由」があったはず。生徒自身が考える場を持ち、その理由を再設定/組み直しできなければ、行動・態度には改まらないところが少なからず残るでしょうし、先生に対する不満を募らせるだけという事態も想定されるところです。



生徒に限らず、誰に対して話をするときでも、以下の2つは常に意識しておくべき最小限のポイントだと思います。

  1. ボールを投げるのはミットを構えさせてから
  2. 生徒に見えている景色を想像しながら教えているか

教育実践研究オフィスF 代表 鍋島史一